第2章その2 Call
窓から差し込むやわらかな光、聞こえてくる小鳥のさえずり。
天蓋付きの姫系ベッドで私は爽やかな朝を迎えた。
(……はい、駄目でした)
いかにすれば、この夢から抜け出せるか。昨夜、さんざん悩んだ末に思い付いたのが、
「夢の中で眠れば、現実に目が覚めるんじゃない?」
だったのだが……。
(普通に『銀オラ』の世界で目覚めてしまった……)
これは、もしかすると『一炊の夢』のパターンかもしれない。何十年もこの世界で過ごして、ようやく目覚めてみれば、実際には30分くらいしか眠ってなかった的な……。
(冗談じゃないっ!)
例え現実にはほんの数分しか経過していないのだとしても、体感的に何十年もの時をここで過ごさなくてはならないとなれば。
(『銀オラ』、まだ5章までしかプレイしてないのよ! 半年待って、更に発売延期で1ヶ月待って、ようやく手に入れて、このGWにがっつりプレイしようって楽しみにしていたのに!)
何十年も待てない。ゲームの世界を実体験するのはもう十分だ。
(今すぐ現実世界で目覚めたい! ゲームの続きがやりたい!)
「ここから出せぇええええ!!!」
ベッドにうつ伏せになり、私は手足をばたつかせる。
その時、扉がせわしなく4度ノックされた。
「ひゃ、ひゃいっ!?」
「睦実、起きてる?」
「その声、かなたさ……ライリーさん!?」
弾けるような彼の声に、私はぴょこんとベッドの上へ起き直る。
(うっかり声優名を口にするところだっ……うぎゃ!?)
傍らの鏡に映ったのはまだ起き抜けのボサボサの頭、ボタンをはずして何とか着られたソフィアのふりふりパジャマ姿の私。
「ぎゃあぁあああ、駄目ですっ!! 絶対に入って来ないでください!!」
美少女でもないくせに、いっちょ前に恥じらって見せるなと?
うるせぇ、泣くぞ!!
これは決して美少女キャラの「やんっ、恥ずかしい、そんなに見ないでぇ!」の嬉し恥ずかし心理じゃない。誰しもウンコをしているみっともない姿を他人に晒すのは耐えられないだろう。
私のはそれと同じなんだ!
焦ってジッタンバッタンと布団に潜り込もうとする私の耳に、扉の向こうから少しムッとしたような声が聞こえて来た。
「そんな必死になんなくても、入らないよ。朝食の時間だから呼びに来ただけなのに。ったくぅ……」
ぶつくさ言う声と遠ざかる足音。
(はい、すみませんでした! まるであなたが、私の寝起きを襲いに来たかのような過剰反応をして申し訳ありませんでした!)
私はやり場のない感情を拳に込めて、枕を1度殴った。
§§§
ダイニングには既に私以外の全員が揃って席についていた。
「お、お待たせしました。……すみません」
イケメンどもの視線を肌に感じ、居心地の悪い思いをしながら、私はおずおずと席に着く。テーブルの上には今日も、ゲーム内の飯テログラフィックを見事に再現した美味しそうな料理が並んでいた。
(ふぉ! おおおおっ!)
作中でも最も美味しそうに描かれていると、すでにネットで大評判のクロワッサンが白い皿の上に乗っていた。バターの香りがふわりと漂ってくる。私は胸躍らせながらクロワッサンをちぎり、口に運んだ。
(ん!? んんん~~~っっ!!)
『美味しい』なんて言葉で片づけるにはもったいない。香ばしくて甘くてサクサクで芳醇で……口の中に楽園が広がっている。
(これは……っ、飲みこんじゃうのが惜しい!)
「あのさ、睦実」
「っ!?」
クロワッサンを頬張ったままうっとりと時を止めていた私に、隣席のライリーが話しかけてきた。
「ふぉっ、な、何……でふか?」
パン屑が飛び出さないように口元を押さえ、私は彼に目を向ける。
「さっきのことなんだけど、ちょっと言っときたいことがあってさ」
(さっきのこと……。あ!)
私は口の中に広がる楽園を、慌ててフレッシュジュースで飲み下した。
「さ、さっきのことですね!? あの、わざわざ呼びに来てくれたのに、失礼な態度取ってすみませんでした! 反省しています!」
「へ? いや……」
「分かってます、ライリーさんが私の寝込みを襲撃しに来たとか、そんな誤解はしていませんし、私みたいなのがライリーさんの性欲の対象になるなんて自惚れもしていませんから! ただ、悪気なくうっかり扉を開けられちゃったりなんかした場合、お見苦しい姿を見せてしまうかもと、そのことがこちら的には非常に耐えがたく、ついついあのような大袈裟な反応を……!」
「ね、ねぇ、ちょっと!?」
「くふっ」
ミランさんが片方の口端を上げて笑った。
「随分面白いことになっていたようですねぇ、ライリー」
「ひゃっひゃっひゃ、上で一体何があったんだよ」
「ちょ、ま! ミラン、キブェ、なに勘違いしてんだよ!
睦実! あのさ、オレはただ……」
「ごめんなさい! 気を悪くされちゃいましたね! すみません!」
「そうじゃない! 落ち着いて!
オレはただ、その『ライリーさん』っての、やめてほしいって言いたかっただけで……」
「あっ、馴れ馴れしかったですよね! すみません! ライリー様!!」
「ちっがぁう! なんでそっち行ったの!?」
(「様」じゃないの? じゃあ、じゃあ……あばばば……)
「『ライリー』!」
「っ!」
顔面偏差値70超を目の前にして、パニックでぐるぐるになっている私の耳に、ライリーの張りのある声が飛び込んで来た。
「オレのことは『ライリー』って呼んでほしい、って言いたかっただけ」
「…………」
「『さん』とかつけられると、むず痒くてさ。あと、その敬語もなし。OK?」
「…………」
(あ……、そうか。このシーンって……)
「あの、睦実? オレの話聞いてる?」
「……はっ! はははいっ! わかっ、分かりまし……」
「じゃなくて?」
「……分かった」
「ん!」
(わ、笑顔……!)
不意に訪れた親密度アップイベントのような展開。返事をした瞬間、一気に頬が熱くなり、のぼせた状態になった。
私の反応に、ライリーが目を丸くする。
「え? 嘘、なんで? どうしてここで赤くなるわけ!?」
「え? あ、これは違っ、ごめ……っ」
私は両頬を押さえて俯いた。
(馬鹿か私! ゲームでもこのシーンでライリーが主人公に、自分を呼び捨てにしろって言いだして、他のキャラもそれに倣う展開だったじゃない。普通に〇ボタンぽちぽちして進めたじゃない。別に、恋愛イベントでも何でもない、ほんのちょっぴり皆と打ち解けるだけのシーンなのに!)
現実での異性との交流がなさ過ぎて、こんな些細なことで過剰反応をしてしまう。そんな自分がみっともなくて情けない。
(ぅう……、気持ち悪い女だよね、私。こんなことでいちいち大袈裟なリアクションして。大体、美少女の頬染めと違って、私のはただの赤ら顔だから! 可愛くもなんともないから!)
この場を妙な空気にしてしまったことへの申し訳なさでいっぱいになり、顔を上げらずにいる私に、陽気な声が投げかけられた。
「んじゃさ、俺のこともキブェって呼んでもらっていい? 睦実ちゃん」
「っ!」
「勿論、敬語もなしで、ね」
(あ……)
顔を上げると、皆が私を見ていた。
「私もシェマルと呼んでいただけると嬉しいです。言葉遣いに関しましては……、まぁ、私自身がこれですのでお好きになさってください」
「では、ボクも便乗して、ミランと呼んでもらいましょうか」
「…………。
『さん』とか柄じゃねぇ、ベルケルでいい」
(どうしよう……、なんか泣きそうだ……)
まだゲーム序盤のワンシーンなのに。〇ボタンぽちぽちで進めた場面なのに。
これまで私は、他人から親し気に呼んでほしいと言われたことなど殆どなかった。誰を相手にするときも苗字呼びで、壁があって……。ミサは唯一、私にニックネームをつけて親し気に声を掛けてくれた人で……。
「フッ、私のこともエルメンリッヒと呼ぶがよい」
「……っ」
「堅苦しい肩書きこそ持ってはいるが、ここでは私もメトゥスを討伐する一員に過ぎぬ。よいな、睦実」
ゲームで見た展開と同じだ。ここで主人公ソフィアはにっこりと微笑んで言う。
―分かったわ、皆さん改めてよろしくお願いします―
(私も、ヒロインとして、にっこりと笑って……)
一つ呼吸をして、口を開く。
と、同時に涙腺が決壊した。
「わ゛がり゛ま゛じだ~……」
「「「なぜ泣く!?」」」
6人分のイケボがダイニングに反響した。
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