ヒロインやるには足りてねぇ!

香久乃このみ

第1章その1 『白銀の聖譚曲』

輝く海、澄み渡る大気、香しき緑、さえずる小鳥の声。

豊かな自然に恵まれたパクス大陸、その東方にあるムーシカ国。


だがこの国の平和は、遠き空の彼方より飛来した隕石により一変した。


隕石の割れ目より這い出てきたのは、悪夢が姿を成したかのような謎の生物メトゥス。

その凶悪な幻獣メトゥスが人々を襲い始めたのだ。


 ル-メン学園に通う平凡な少女ソフィア。ソフィアはひょんなことからメトゥスを封じる力を持つことが分かり、『封魂の乙女』としての使命を課せられることとなる。


ソフィアをサポートするのは、『導魂士』と呼ばれる魅力的な6人の男性。彼らに支えられ、ときめきと波乱に満ちたソフィアの毎日が始まる――!


『白銀の聖譚曲オラトリオ

 4月26日 発売!



§§§



(ふふっ。ついに、今日発売だ!)


 教室の片隅でスマホを見つめながら、私は緩む口元を手で押さえていた。

画面には、輝く杖を振りかざす1人の少女を6人の男たちが守る構図のイラストが映し出されている。


『白銀の聖譚曲オラトリオ


 有名シナリオライターきざはしゆうと人気絵師聖洞みんとのタッグで、ネットに情報が流れるや否や話題騒然となった乙女ゲーだ。

 小学生の頃から乙女ゲー大好き人間の私・平子ひらこ睦実むつみが、この日を一日千秋の思いで待ち続けていたことは言うまでもない。


(誰のルートから攻略しよう。

 見た目的には元盗賊のベルケルがツボなんだけど……。

あぁ、でもっ、騎士エルメンリッヒ様のC.V.城之崎翔は捨てがたい!)


初回プレイの相手は重要だ。

 なにせ、真っ白な気持ちで物語を味わえるのは、たった一度だけ。


(いわば、そのゲームにおける私の初めてを捧げる相手なのだから!)


「おっはよ、むっつん!」


 背後から名を呼ばれ、私は現実へと引き戻される。

 声の主は、リアルで唯一の乙女ゲー愛好仲間、友永ともなが美咲みさき


「おはよ、ミサ」


「お、『銀オラ』?」


 美咲は私の背後からもたれかかるようにして、手元の液晶画面を覗き込んで来る。

 フローラルの香りがふわりと鼻腔をくすぐった。


「やっとだね、発売日。むっつんは学校終わったら買いに行く?」


「ううん、私は公式サイトで通販。特典グッズが気に入ったから。

ミサは家の近くのゲームショップだっけ?」


「そ、予約もバッチリ。

それにしてもやっぱ最高だよね、聖洞みんと先生のキャラは」


私たちは頬を寄せ合うようにして1つのスマホを覗き込み、流れ始めた美しいPVに目を落とした。



 エルメンリッヒ。21歳。

ミルク色の肌にゴールデンブロンド、そしてアイスブルーの瞳を持つ、高貴な家系の騎士。その出自や容姿、万能ぶりによって人々から一目置かれている。武器は剣。


「この勇武をもってお前を守り、高潔なる魂をもって誠実であると約束する。

お前に礼を尽くし常に寛大であることを心掛けよう。

偽りなき崇高なる愛を私はお前に捧げる。……これは騎士の誓いだ」

(C.V.城之崎翔)



 ベルケル。27歳。

筋骨隆々の体躯を誇る、長身の男。赤銅色の肌に闇色の瞳、短く刈られた濡れ羽色の髪の元盗賊。かつては「闇夜のジャッカル」と呼ばれ、人々を恐れさせていた。武器は斧。


「俺は元々悪党だ。

欲しいものがあれば、こじ開け、踏みにじり、力づくで奪ってきた。

だが知っちまった、このやり方じゃあ手に入らねぇものもある。

なぁ、教えろよ。……てめぇの心は、どうすりゃ俺の物になる?」

(C.V.益田豪一郎)



 ライリー。16歳。

クセのあるレディシュの髪とエメラルドの瞳を持つ、小柄な少年ガンナー。軽快な口調のお調子者だが、腕利きで頭も切れる。武器は銃。


「ふふ、油断した? オレのこと男って意識してなかったんでしょ?

いいよ、そのまま油断してて。警戒しないでオレを受け入れてよ。

オレ、君の好意的な解釈にとことん付け込ませてもらうつもり」

(C.V.かなたみたま)



 シェマル。19歳。

長いプラチナピンクの髪に抜けるような白い肌を持つ、精霊とも見まごう神秘的な容姿を持つ魔法使い。人里離れた場所で生まれ育った、柔和な微笑みを持つ物静かで冷静な青年。武器は杖。


「私は人と争うことを好みません。

人を傷つけることで得られたものなど虚しいだけです。

そう、思っていたのに……。

あなたを悲しませる者、そして奪い去ろうとする者があれば

今の私は迷わず争いに立ち向かうでしょう」

(C.V.葛城倫也)



 キブェ。25歳。

しなやかに引き締まったアスリートの様な体つきの戦士。チョコレート色の肌とドレッドヘアが特徴。陽気で明るい性格だが、実はその身にある特殊な能力を秘めている。武器はブーメラン。


「ははっ、アンタ、男の趣味が悪いって言われたことねぇか?

こんな人とも獣ともつかねぇバケモノのことを好きだなんて、正気かい?

……俺にそんな風に言ってくれた女、アンタが初めてだぜ」

(C.V.葵智嗣)



 ミラン。23歳。

青白い肌と銀髪を持つ科学者。かなり度の強い眼鏡をかけている。自身の研究に没頭しすぎるあまり、他人への執着や興味が殆どない。武器はパワードスーツ。


「人の感情など、所詮は脳内の神経電気パルスや神経伝達物質の濃度などに基づいた

現象の一つに過ぎませんよ。

なのになぜでしょうね。

この胸に広がる甘く温かいものをボクは今、

とても得難いもののように感じているのです……」

(C.V.大槻蓮人)




「あぁ、もう……っ」


PVが終わると美咲は両手で顔を覆い、切ない吐息を漏らして首を横に振った。


「あと8時間も待てない、今すぐ学校抜け出して買いに行きたい。

てか、学校休んで一日中プレイしていたい!」


「分かる! ミサのその気持ち、よーっく分かる!」


「よし、むっつん、一緒に学校抜け出そう!」


「いや、駄目でしょ」


「えぇ~っ、だってさぁ~」


 美咲は軽やかな足取りで席の前へと回りこんで来ると、口を尖らせ可愛らしく小首をかしげた。


「一緒にサボってさぁ、クソ真面目そうなエルメンリッヒ様に城之崎ボイスで叱られたくない?

『学生としての責務も果たさず、お前は何をしているのか!?』って」


「いいね! てか、ミサはエルメンリッヒ様推し?」


「ん? アタシはどっちかって言うと~……」


 美咲はきれいにネイルを施した指先を、私のスマホに伸ばす。

 スイスイと画面を移動させ、褐色の肌を持つドレッドヘアの青年を表示させた。


「やっぱキブェかな。この引き締まった褐色の肌、最高かよ!」


「あはは、ミサはそう来ると思った。獣人変化するのもいいよね」


「むしろポイントはそこ!」


美咲は艶やかな唇に人差し指を当て、女の私でもドキッとするような、蠱惑的な笑みを浮かべた。


「乙女ゲーでケモ男子と言えば、イケメンに獣耳と尻尾を付けたキャラばかり。

それもそれで趣あるけど、そろそろアタシ、キブェみたいなタイプ攻略したかったのよ。頭丸ごとケモ化しちゃう全身モッフモフの」


美咲は芝居がかった動きで、左手を胸に、右手を天へと伸ばす。


「待ってた、アタシずっと待ってたのよ。えっちの時、全身ブラシプレイできるようなモフモフ獣人キャラを攻略できる日を!」


(全身ブラシプレイって!)


 大変な言葉を普通のトーンで口にする美咲に、私は苦笑する。案の定、近くの席の男子がぎょっとした顔つきで美咲を見ていた。


「でもキブェって普段の姿は普通に人間だよ、それはセーフ?」


「んー、その変はちょっと不満があるけど。『獣人変化』と言いつつ、耳と尻尾だけがちょこんと飛び出すキャラじゃなかったから許す。出来ればえっちの時は、人間バージョンと獣人バージョンの2パターンでお願いしたい」


「1人で2度おいしい?」


「そゆこと。で、むっつんは誰推し?」


 好奇心に輝く瞳でこちらを覗き込んで来た美咲に、ドキリとさせられる。


「え? えっと、私は……」


スマホに顔を向けながら、私は上目遣いで美咲を伺う。


(やっぱ綺麗だなぁ、ミサは……)


 間近に見るオタ仲間の顔に、思わず見とれた。


 こんな濃い話をしていても、美咲は一見オタクには見えない。手足が長くスタイルもいい、それに学年でもトップクラスの美人だ。

 容姿がいいからオタクっぽくないと言うわけじゃない。素材がいい上に、彼女はおしゃれをサボらないのだ。

 セミディの髪はショコラピンクにカラーリングしてある。きめ細かな肌、チェリーピンクの唇。さくら貝のように艶やかに仕上げられた爪。

 

 一度彼女に問いかけたことがある。オタクなのに、服や美容にお金をかけるのはなぜなのか、と。

 すると彼女は胸を張ってこう言ったのだ。


――いつ、イカヅチイレブンの染谷くんが、時空を超えてこの世界に飛ばされて来るか分からないでしょう? その時に、自信を持って彼にアタックしたいじゃない。それに姫抱っこされた時、『重っ!』なんて思われたくないわ――


(あの時のミサの目は本気だった)


 乙女ゲー好きの中でも、私や美咲は『キャラ×自分』で妄想することを楽しむ『夢女子』と呼ばれるタイプの人間だ。


 私たちはゲームで甘い恋をする。

 決して触れ合うことのない、こちらを見ることもない、架空の相手と知りながら。


「私は今のところベルケル推しかな」


 私が美咲の問いに答えると、彼女はにんまりと笑った。


「むっつんは、安定の筋肉好きだね」


「そう、筋肉」


 私は筋肉質のキャラが好きだ。きっと私を抱き上げても『重っ!』なんて言わないだろうから。

 勿論、そんな日が訪れることなどないことは分かっているけれど。


「あ、予鈴鳴ったからアタシ席戻るね」


 美咲が手を振って自分の席に戻ってゆく。腰を下ろすと同時に、カースト上位のクラスメートたちが彼女を取り巻くのが見えた。


「美咲ぃ、放課後カラオケ付き合ってよ~」


「え? 今日はゲーム発売日だから無理」


「ゲームなんか別の日でいいじゃん。この間合コンしたコらが、また美咲に会いたいって言っててさ。ね? 少しでいいから」


「カラオケ行っても、アタシ全曲アニソン縛りやっちゃうよ?」


「ぐっ……。それでもいいから、来てくれるだけで」


「う~ん、でもやっぱ早く帰ってゲームやりたいし~」


「お願い美咲! この通り! あたしらの恋の成就のために!」


(ミサも大変だなぁ……)


 オタクであることを公言しているにもかかわらず、魅力的な彼女の周囲にはいつも人が集っている。それを羨ましく感じることは多々あるけれど。


(今日ばかりは、ご愁傷様かもね)


 私は電源をオフにする前に、もう一度スマホの画面を見つめる。


 6人のイケメンに囲まれる『平凡な少女』ソフィア。


(聖洞みんと先生グラフィックで描かれた美少女ヒロインの、どこが平凡なのよ)


 少し笑って、電源を落とす。


(もしソフィアが実在したら、きっとミサみたいな子なんだろうな)


 暗転した画面に映り込んだ、自分の地味なモブ顔。


(これぞまさに、平凡、よね……)



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