第8話 

 神社に続く長い石段の下から、大声で僕を呼ぶ声。返事をする気にもなれず、力なく横たわったまま、眼を開くことすらしなかった。

 それから30分ほど過ぎた頃だろうか、スタン、スタンと軽快なサンダルの音が聞こえてきた。 


「やっぱここかよ、返事くらいせぇな」


 その声に、薄眼うすめを開け──僕の足元に、仁王立ちする和樹がいた。

 田舎者を絵に描いたような出で立ち。袖を肩までまくった白いTシャツに、半ズボン、虫取り網とプラスチックの虫かご。ここに引越して来る前まで、大阪のど真ん中に住んでたとは思えない。

 和樹は、2年のときにゲームを取り上げられてからというもの、虫取りや秘密基地作りばっかりやるような、野生児になっている。


「さっき呼んだの無視したじゃろ。ここにいないかと思って、さがしたじゃんな。森脇んチいって佐藤のじいさんとこいって、お前んチも行ったけどいないって言われて」

 意図せず、眉がヒクリと動いた。

「ごめん」

 僕の予想外の反応に、

「元気ないの?」

 顔を覗き込む和樹から顔を背け、上半身を起こした。

「眠いだけ」

「やったら、こんなとこで寝ないでもええじゃろ」

 うるさい。傍にあった雑草をちぎって、和樹に向かって投げた。

「ダメージ0やし。てかセミ取らん?」

「虫取りにきたの?」

「んー、そうでもない。どっちかっていうと、晶也さがしてただけ」

「宿題はまだ終わってない」

 和樹が僕を探すなんていうのは、大概宿題をうつさせてほしい場合だ。

「ちゃうし。ウチの母ちゃんが呼んでんの」

「僕を?」

「お気に入りやんな。着せ替え人形がほしいってサ〜」

 僕を見てニヤニヤ笑う和樹。

「なにそれ」

「とにかく晶也つれてかんと、うるさいねん。4時までに一回連れてこいって」

 僕は、ポケットから懐中時計を取り出す──時刻は13時過ぎであった。

「いいなあ、その時計」

「あげない」

「わかっとら」

 僕の懐中時計は、母方の祖父の遺品で、すごくかっこいい。戦争にも持って行った、大事なアンティークの時計。祖父が初任給で買ったものだから、僕の何倍も年寄りだ。和樹は、見るたびにこの時計を欲しがる。だからこそ僕も、どこにでも持って歩くのだ。

 時計の鎖を丁寧に巻いて、ポケットに仕舞った。

「じゃあ……3時になったら迎え来て」

「え、虫取りしないん?」

「しない」

 僕はまた、もとあったように、地面に横になり、木の根っこに頭を載せた。

 和樹はすこし逡巡してから、僕と向かい合わせになるように、地面に横になった。

「なに?」

「俺も眠くなった」

「お前も寝たら、誰が起こすんだよ」

「晶也の時計、目覚まし付いてないの?ダッサ」

 僕は、二人の間にある雑草をちぎり、ふたたび和樹の顔に投げた。和樹は、口に入った雑草をペッと吐き出す。それにすこし笑って、僕は立ち上がった。湿った背中と、ズボンのお尻をはたく。


「セミ、とるか」

「よっしゃ!」

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