オルビダンス
イシイユイ
第1話 青の星
「うわぁー! 本当に青い! すごいすごい!」
「ハハッ、そんなに喜んでくれると運び屋冥利に尽きるねぇ。初めてオルビダンスの地に足を踏み入れたヒトがなんて言ってくれるのかって、俺の楽しみの一つなんだよ。俺はこの星が大好きだからさ。嬢ちゃんも気に入ってくれるといいんだがなぁ」
「……本当にすごいです。でも、ただ青いって言ってもいろんな青があるんですね。建物の人工的なあおさや透き通った窓ガラスのあおに、きらきら輝く海のあお、それと……」
シュプン、シュプンッ
間の抜けた空気のような音が辺りに響き、興奮気味に話を続けていた少女『
くるくると渦巻くわっかが空に浮いている。それも五つも。細長く細かな雲の周りにふわふわと柔らかそうな雲が絡まっていて。まるでそう、ドーナツのような……。旅路で疲れたむつの身体は正直だった。
きゅるるるぅ
さきほどの抜けた空気よりも不恰好なそれはまるでパンクしてしまったタイヤのようだ。
「はっは、嬢ちゃん腹が減ってるのかい?」
「ぁ、わわっ?! す、すみません……あの雲が美味しそうなドーナツに見えてしまって。お腹の虫さんも大賛成してはしゃいでしまったようです」
「お腹の虫さんか! こりゃ虫さんにもここを気に入ってもらわないとだな。ほら、これもらってくれ」
「なんですか?」
太い指を器用に動かして船長がズボンの後ろポケットから小さな袋を取り出した。巾着の口は閉められていて中身は見えない。
「男の力菓子だ。はは、俺は甘党なんでな。異星からの持込はできないからお前さんは手ぶらだが、これなら大丈夫だろう」
「わぁ、ありがとうございます……!」
自分と一緒に
(……どうしてこんなに優しくしてくれるんだろう。私、なにもお返しできないのに……)
空はこんなにも晴れ渡っているのに、むつの心はシンと粉雪が舞い散ったかのように少しだけ冷たくなる。いつの間にか俯いていたむつの肩をぽんと勢いよく叩いた船長は、驚いたむつが飛び上がるのを見ると鼻を鳴らしてにんまりと笑って言った。
「さっきのドーナツ雲なぁ。あれは
「……
「あぁ。お前さんを歓迎して作ってくれたんだろう。今が夜だったら花火みたいなものだな」
「はな、び……?」
「ハハ、詳しく教えてやりたいところなんだがあいにく次のお客が待ってるんでな。悪いな」
「あ、いえっ。こちらこそ、わざわざ船から降りて案内までしてもらって、ありがとうございます!」
「お礼は言葉だけにしてくれよ? なーんてなっ。ほら、皆がお待ちかねだ。俺はバトンタッチ」
「え?」
ビシッと太い指のさす方へと反射的に振り向くと、老若男女さまざなヒトたちが大きく手を振っていた。その真ん中からポニーテールをぴょんぴょん揺らした女の子が飛び出してこちらに走ってくる。船長がハハハッと豪快に笑う。
「スザクのやつ、我慢できなかったんだな」
驚いて固まっているむつが気がついたときには船長は自分の
「せんちょーさーん! ほんとーにっ、ありがとうございました!」
「おう! ドーナツ、食えるといいな。むつ!」
(あ、名前……。私のこと、知っててくれたんだ)
自分のことを誰一人知らないはずの地で、名前を呼ばれることがこんなにも温かいなんて。むつは、その温もりを噛み締める余韻も捨てて急いで問い返した。
「は、はいっ! たくさん食べます! 船長さん、名前教えてください!」
「んー? イケメン運び屋のコルトって覚えてくれ。覚えやすいだろ?」
「コルトさん! また……また、お話したいです!」
「おう! またな、むつ」
片手だけあげてすたすたと立ち去る後ろ姿は映画のワンシーンのようだ。しかし、コルトのTシャツが裏表反対だったことに、長旅を共にしていたはずのむつは気がつかなかった。
「なーにが、イケメン運び屋よ。まったく調子がいいんだから」
「うわぁ、!」
いつの間にか隣に並んでいた少女に、左腕が跳ねた。そんなむつの様子をじろじろと怪訝な表情で探るように見つめられる。束ねた濃い蒼色の髪の隙間から見える紫の瞳の迫力に、思わず後ずさりそうになるむつの腕をむんずと掴んだ少女は、歓声の轟く港にむかって一直線に走り出した。
「えっ、ええぇーー!」
「あたしはスザク。あなたはむつって言ったっけ? 時間が勿体ないっ。はやく行くわよ」
「ちょ、ちょっと待ってくださいー!」
しばらくぶりに急稼動させられたむつの脚は、あまりの負荷と速度に耐え切れず思いきり転びそうに――ならなかった。
「もうっ、なにもたついてるの。こっちのほうが速いわね」
「わ、っ! す、スザクさん!?」
「ついでだからこのまま突っ走っていくわよ。まずは
よろけて転びそうになったむつの身体はなぜか地面に倒れることはなく、斜めの状態で静止していた。ふえぇ! と驚くむつを見かねたスザクが無理やりおんぶをして、ものすごい速さで人波をかきわけていく。
行く先々で声をかけられるむつだったが、その顔は真っ赤になっていて声にならない悲鳴を細々と吐き出しながら返事のようなものをしている。しかし、その右手はポケットの上からしっかりと巾着をおさえるように添えられていた。
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