第三章

 この街には今朝やってきたばかりだ。

 人づてに聞いた話によると、昔は相当に栄えていたらしいが、現在は見る影もない。ほとんど人がおらず、すっかり寂れていた。

 廃墟だろうがなんだろうが、僅かでも彼女が見つかる可能性があれば何処へでも行く。十数年もの間、そうして旅を続けてきた。

 今は相棒もいる。その相棒は、私の足元でふさふさした栗色の毛並みを乾いた風に揺らしている。半年ほど前に訪れた街で、野良犬だった彼に気まぐれに餌を与えたせいか、私に懐いて離れなくなった。おそらくは雑種と思われる老犬だ。名無しというのもかわいそうなので、彼のことはルドヴィークと呼んでいる。

「街を一回りしてみましょうか、ルドヴィーク」

 ルドヴィークは毛に覆われた口をもごもごさせて「わふっ」と一声鳴いた。

 私が歩き出すと、ルドヴィークもぴったりと横について歩き始める。

「静かだわ……、本当に人が少ないのね。昔は随分賑わっていたって聞いたけど……」

 どこまでも成長・発展を続ける街もあれば、人間と同じく老いさらばえて枯れていく街もある。その違いは何処にあるのだろう。私には想像もつかない。

 ふと思うときがある。

 エリシュカは私を覚えているだろうか。捜し歩いている間に年をとり、老け込んで風貌の変わった私に、気付いてくれるだろうか。

 見つける前からそんな心配をしても仕方がないのはわかっていても、つい考えてしまう。

 それは必ず彼女を見つけてみせると決意したから。

 たとえ枯れ木のような老婆になっても、諦めるつもりは毛頭ない。杖をつき足を引きずりながらでも、私は彼女を捜し続けるだろう。

 エリシュカが去ってから、何度か恋人ができた。しかし、どの相手とも長続きはしなかった。みんな私にはもったいないくらい素敵な女性だった。別れる原因はいつも私。

 姉以上に、エリシュカ以上に、愛せない。

 本気で心から愛せたのは、姉とエリシュカの二人だけ。

 どうしても、忘れられない。

 エリシュカを愛してる。会いたい。触れたい。声が聞きたい。エリシュカが欲しい。その想いを抑えきれず、私は一人でエリシュカを捜す旅に出た。そうして今に至る。

 これだけ寂れた街にエリシュカがいるとは思い難いが、ほんの僅かな希望を胸に街中を放浪する。

 楽器屋の角を曲がったところで、突然ルドヴィークが立ち止まり、しきりに地面の匂いを嗅ぎ始めた。

「どうしたの、ルドヴィーク」

 急に走り出したルドヴィークを慌てて追いかける。ルドヴィークが脚力の衰えた老犬でなければ見失うところだった。

「ルドヴィーク?」

 栗色の毛並みを追って、狭い路地から少し広い通りへと出た。

 ルドヴィークは一軒のレストランの店先に座り、何かをじっと見上げていた。

 レストランの中に人の気配はなく、物音も聞こえない。既に潰れた店のようだ。看板には消えかけた文字で「人形」を意味する異国の言葉が書かれていた。

 店の前には派手なドレスで着飾った等身大の人形が何体も並んでいる。店名に合わせた演出なのだろうが、あまり趣味が良いとはいえない。

 ルドヴィークが見上げる先にも、椅子に腰掛けた人形が一体。フリルをふんだんに使った赤いロングドレスを身に付け、目深に被せられたハットからは金髪が胸元まで垂れている。

 エリシュカと同じ色の髪だ。

 ブロンドの人形など珍しくもなんともない。それでも、エリシュカと同じというだけで胸が高鳴る。

 恐る恐る近付き、人形の顔を覗き込む。

 ずっと求めていたものがそこにはあった。見間違うわけがない。エリシュカの顔だ。同じ型のロボットは他にもいるだろうが、私にはわかる。埃にまみれてはいても、彼女はエリシュカだ。

 おそらく、故障して動けなくなった状態で拾われ、オブジェ代わりに使われていたのだろう。

「エリシュカ!」

 華奢な両肩を掴み、懸命に呼びかける。

「エリシュカ、私よ、わかる?」

 彼女の機能がまだ生きていますようにと祈りを込めて、何度も何度も呼びかける。

「……ル……ダ」

 エリシュカの唇が微かに動き、弱々しく掠れた音を発した。

「マティ……ル、ダ……」

 ――覚えていてくれた! 私の名前を呼んでくれた!

「そうよ、マティルダよ。ずっとあなたを捜していたの!」

 今まで触れられなかった分を取り戻すかのように、エリシュカに縋りつき抱きしめる。

「よかった……。やっと会えた……」

 髪をそっと撫で、砂埃で汚れるのも構わず頬を寄せた。

「さあ、帰りましょう。壊れたところはちゃんと直してあげるから、またあの頃みたいに動けるようになるからね」

 エリシュカが自分で動けないなら、私が抱えて連れて帰ろう。腕力に自信はないが、エリシュカのためなら無茶でもなんでもこなしてみせる。

 意気込んで細い腰に腕をまわし、抱き起こそうとした。

 途端にエリシュカの上半身が外れ、勢いあまって私たちは地面に倒れた。ロングドレスからずり落ちた下半身が、ガシャンと嫌な音をたてて傍に転がる。

 錆や金属疲労のせいだけではない。

 ドレスの裾や衿元から、内部が露わになった下半身の断面から、黒光りする虫が大量に這い出してきた。

 ギリュと呼ばれるゴキブリに似た黒い虫たちは、ペンチのごとく頑丈な顎で金属を喰らう。更に、体液や排泄物は金属の腐食を促す。機械類の天敵のような存在だ。

 おそらく、並んでいる他の人形たちも、金属製のものはギリュの温床となっているのだろう。

 獰猛なギリュは餌場を荒らした私を敵とみなし、牙を剥いた。金属を食いちぎるほどの力で噛みつかれたら、人間の貧弱な皮膚など簡単に破れてしまう。エリシュカを抱きしめる腕から血が伝い、服にも赤い染みが次々と浮かび上がる。それでも私はエリシュカを離さなかった。離したくなかった。

「大丈夫、大丈夫よ、絶対に直すから……。家に帰りましょう」

 ルドヴィークがけたたましく吠えて駆け回り、ギリュの群れを追い立ててくれた。一蹴とまではいかなかったものの、おかげでだいぶ数が減った。

「ありがとね、ルドヴィーク」

 すり寄ってきたルドヴィークの頭を撫でる。

 ルドヴィークは私とエリシュカを交互に見て鼻をヒクヒクさせ、もっとよく匂いを嗅ごうとしたのかエリシュカの首筋に顔を埋めた。ほんの僅かでも、私の匂いが彼女に残っているのなら嬉しいのだが。

「マティルダ……」

 か細い声で私を呼ぶエリシュカ。表情がないはずの彼女が、不思議と穏やかな微笑みをたたえているように見える。

「頼みが、あります……」

「何? なんでも言って」

 一字一句たりとも聞き逃さないよう、エリシュカの口元で耳をそばだてる。

「私を……」

 エリシュカの頼み事は突拍子もないもので、思わず我が耳を疑った。彼女の意図が全く理解できない。

「思い出したんです……、私の身体のひとかけらが、確かに、覚えていた……記憶……」

 幾年も探し続けるうちに忘れかけていた、エリシュカの願い。

 ――前世の記憶。

 本当にあったというのだろうか。

「その子の、おかげ……」

 エリシュカの胡桃色の瞳がルドヴィークを見下ろす。ルドヴィークと接触して思い出したと彼女は言う。もしかしたら、内部の損傷によってバグが生じ、データが混乱しているのかもしれない。

「お願いします……、マティルダ……」

 それでも――たとえバグの仕業だったとしても、じっとこちらを見つめて懇願するエリシュカを無下にはできない。嫌だとは言えなかった。

 今にも暴れだしそうな感情をぐっと抑え、問いかける。

「そうすれば幸せになれるのね……? 私と暮らすよりも……」

 懸命に平静を装うが、どうしても声が震えた。

 エリシュカは答えない。否定も肯定もしない。けれど、彼女の望みははっきりとしている。無言は充分すぎる答えだった。

 私の元から消えてしまったときは、エリシュカの意思に関係なく、無理やりにでも自分のものにしてしまえばよかったと後悔した。次にあったらそうしようと決めていた。二度と私から離れられないように、改造を施そうとも考えた。機械技師の私にはそれが可能なのだから。

 なのに、いざ本人を前にして、そんなさもしい考えは吹き飛んだ。

 愛しいのは、私と出会ったときのままのエリシュカ。前世を知りたがったりする風変わりなロボットのエリシュカだ。私の命令だけをきくように、何もかも私の思いどおりになるように改造してしまったら、私の好きなエリシュカではなくなる気がした。

 ロボットに人間と同じような愛情を求めるなんて、我ながら愚かしい女だと改めて思う。

 それでも私はエリシュカに愛されたかった。報われないと知りながら、今も愛し続けている。

 さまよい捜し求めてようやく叶った再会。わかってはいたけれど、彼女は今度も私を選んではくれず、

「わかったわ……」

 彼女の頼みを引き受ける以外、私に道はなかった。

「でも、これだけは言わせて」

 脆くなった身体が砕けそうなほど強く抱きしめ、囁く。

「大好きよ、エリシュカ。あなたがどんな姿になっても、ずっとずっと、あなたを愛してる」

 エリシュカの身体が私を覚えてくれますように。たとえ生まれ変わっても、忘れないでいてくれますようにと、願いを込めて。

「ありがとう……ございます……」

 その言葉を最後に、エリシュカは全ての機能を停止した。

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