第一章

 ある夏の日。私はたった一人の家族を失った。

 母親代わりとなって女手ひとつで私を育ててくれた、十才年上の姉の身体は、粗末な木の棺桶に収められ静かに運ばれていった。

 大切な人を亡くしたというのに何故か泣くことのできない私の代わりをするかのように、薄暗く曇った空が大粒の涙をこぼし始める。

 雨の中でも滞りなく葬儀を終えて、私はふらりと街へ出た。

 目的などない。胸に渦巻くのは虚無感だけ。私は姉を失うと同時に自分の存在意義さえも見失った。

 手に職はある。生きていく手段なら持っている。だが、一人で生き続ける意味を見つけられなかった。

 ふと目についたのは酒場の看板。

 酒は好きではないが、今日ぐらいは、姉との思い出を肴に酔いつぶれてみるのも悪くない。そんな気がした。一時だけでも構わない。酒の力は私の凍えきった心に少しでも変化を与えてくれるだろうか。

 そうして酒場へと引き寄せられていった私は、彼女と出会った。

 店先に並ぶ酒樽と酒樽の間、僅かなスペースに白いワンピースを着た女性がうずくまっていた。

 人間ではない。機械技師の私には一目でわかる。彼女は金属の身体を持つ人形……ロボットだ。

「あなた、喋れる? そこで何してるの?」

 声をかけてみると、彼女はゆっくりと顔を上げた。透き通るように色白で美しく整った顔立ちに、思わず息をのむ。無表情だが、どこか儚げな印象を受ける。

「ご主人様に『もうお前はいらないから、どこへでも行け』と言われて、置いていかれました。どうやら私は捨てられたようです」

 残酷な事実を彼女は淡々と語る。

 どんなに簡素なロボットだとしても、廃棄するには専門の業者にいくらかの料金を支払う必要がある。それが世の常識であり、守るべきルールなのだ。しかし、中にはその金を惜しんで不法投棄するマナーの悪い輩もいる。

 人と同じ姿をしていながら、主の気分次第でゴミのように捨てられる。

 もしロボットに人間と変わらぬ感情があったなら、彼女はそんな現状に何を思うのか。自身の存在価値に疑問を抱き不当な扱いに怒りを覚えるのだろうか。

「雨に打たれるのは良くないわ、傷みが早くなる。私の家にきなさい、ついでにメンテナンスもしてあげるから。こう見えてもメカニックの端くれなのよ」

 そんなことをされても何も礼ができないと言う彼女を、私は強引に連れて帰った。基本的にロボットは人間に逆らえないように作られている。それを知った上で彼女を拾った。

 機械技師として、今にも壊れてしまいそうなロボットを放っておけなかった。というのは建前で、きっと私は自分が思っている以上に寂しかったのだ。誰かに傍にいてほしかったのだろう。

 彼女は「エリシュカ」と名乗った。この地方では特に珍しくない名前だ。

「私はあなたをどうお呼びすればよいのでしょうか」

「マティルダ。呼び捨てで呼んでくれて構わないわ」

 早速メンテナンスを始めると、彼女の身体は予想を超えて劣化していた。そもそも素材が良くない。不純物の含有率が高く、強度に欠ける。

 おそらく彼女は不要になった屑鉄等を寄せ集めて作られている。戦闘用でもない、家政婦用でもない、役立つ機能は何も持ち合わせていない。しかし顔や体付きだけは美しく作られた、観賞用として楽しむためのロボットと思われる。商品としての売りは薄皮一枚の美貌のみ。おまけ程度に動いて喋る愛玩人形だ。この手のロボットは比較的安値で買えるため、使い捨てにされることも多い。見たところ、エリシュカは最低限の知識と学習能力を持っている。観賞用の中では割と出来がいいタイプのようだ。

「あなたの持ち主はどんな人だったの?」

 こんな質問に意味はないと思いながらも、一応は訪ねてみる。

「雑貨屋を営む二十八才の男性です。ここから三十キロほど離れたところにある街に住んでいます。今の時間でしたら、テレビでコメディ番組を見ているはずです。毎週欠かさず視聴していましたから、おそらく今日も」

「もういいわ」

 溜め息まじりに呟く。飽きた雑貨を捨てるようにエリシュカも捨てていったのか。そうして今頃はコメディを見て馬鹿みたいに笑っているのかと思うと腹立たしかった。

「エリシュカ、どこにも行き場がないならここにいればいい。私ならあなたを捨てたりしない」

 エリシュカは胡桃色をした樹脂製の瞳で私をしばらく見つめた後、首を横に振った。化学繊維でできた長い金髪が微かに揺れる。

「それはできません」

 ロボットの口から放たれた明確な拒絶の言葉に驚き、即座に聞き返す。

「どうして?」

「行き場所はありませんが、目的はあります」

「目的?」

 人間には逆らえないといっても、最優先されるのは主の命令。捨てられる前に何か指示されていたとしても、私にはその命令から解放してやれる技術がある。しかし、どうやら事情が違うようだった。

「私の記憶回路のフォルダにいくつか見覚えのない景色が記録されているのです。その場所を探します」

 エリシュカは自分の頭を指差して言った。

 彼女の記憶回路を覗き見るくらい容易なのだが、他人のプライバシーを侵すようで気が引けて、メンテナンス時にも確認していない。

「探して……どうするの?」

 私にはその行為に意味があるとは思えなかった。

「どうもしません。ただ確認するだけです」

 確認するだけ、というのも理解に苦しむ。

「書物で人間には輪廻転生という現象があると知りました」

「ええ、まあ……、言い伝えだけどね」

 そのような本を所持しているとは、彼女の主はオカルト好きだったとみえる。まったく無駄な知識を覚えさせたものだと呆れ気味に溜め息をつく。

「私はリサイクルされた金属の塊です。現在の記憶ではない以上、前世の、この姿に加工される前の記憶という可能性もあるのではないでしょうか」

 もし金属そのものに物事を記憶する性質があったとしたら、エリシュカの話もありえなくはないのかもしれない。だが、それは未だ解明されていない謎の部分。私にもハッキリとした答えは出せそうにない。

「前世が知りたいの? 占いじゃダメかしら」

「わからないことは自分で調べろと、言われていたので」

 自力で調べろというのが主の命令でも、輪廻転生に関する知識を得て調べようと決めたのは彼女自身なのだから、これは彼女の意思とも受け取れる。それならば、叶えてあげたい。どうせ今の私には何の目標もないのだから、彼女が納得する答えが見つかるまで付き合うのもまた一興。

 前世探しに手を貸すと申し出た私に、エリシュカは感情のない視線を向ける。

「マティルダ、私にはあなたがそこまで親切にしてくださる理由がわかりません。私を傍に置いて、私の手助けをして、何か得になりますか」

「冷静に考えれば何もないわね」

「理解、不能です」

 私にはあなたのほうが理解不能よ、と、心の中で呟く。自分の前世を知りたがるロボットなど、聞いたこともない。

 私はデスクの上に置いている写真立てを手に取った。そこには姉と私が寄り添い満面の笑みを浮かべた写真が入っている。昨年、二人で旅行をしたときの記念写真だ。

「家族を亡くしたの。たった一人の姉を」

 何故、出会ったばかりのエリシュカにこんな話をしようと思ったのか、自分でもよくわからなかった。人間のように感情に左右されないロボットが相手だからこそ、今の気持ちを素直に吐露する気になったのかもしれない。

「私は姉さんを愛してる。もうこの世にはいない人だけど、私の想いは変わらないわ」

 エリシュカに恋慕の情がわかるはずもないが、その代わり、実の姉への恋を堂々と語っても軽蔑される心配はない。その安心感が私を饒舌にさせていた。

「ぽっかりと、空いているのよ。姉さんがいなくなった分だけ。この家も、私の心も」

 エリシュカの動きがピタリと止まる。私の言葉の真意を現在の知識から導き出そうと、頭脳をフル稼動させているのだろう。

 数分の無言の後、エリシュカは言った。

「マティルダは、寂しいのですか」

「そうね。そうだと思うわ。寂しいって気持ち、わかる?」

「いいえ。知識として記録されているだけで、私にはわかりません」

「でしょうね……」

 ガラス細工を扱うかのような手付きで、写真立てをデスクにそっと戻す。

「マティルダは私に姉の代理を求めているのですか」

「誰にも姉さんの代わりはできないわ。あなたはあなたのままで、傍にいてくれればいいの。それがお手伝いの代償」

 とにかく今は、一人でいるのが嫌だった。エリシュカとすぐに別れてしまうのはあまりにも名残惜しい。せっかく出会えたのだから、もう少しだけでも近くにいて自分と関わってほしかった。

 エリシュカは私を上目遣いに見つめ、小さく頷く。

「そうするのが、丁寧にメンテナンスしていただいたお礼になるのでしたら……」

「決まりね」

 エリシュカの固い頬に手を添え、額に軽くキスをした。

「よろしく、エリシュカ」

 こうして私とエリシュカの生活が始まった――

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