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 それからほどなくして、デュケイとルネら調査班にも帰還命令が出た。襲撃の首謀者が処刑され、事件は解決したとみなされたためだった。

 これのどこが解決か、とジェフラは怒っていたが、デュケイらを引きとめて摩擦を強めるのは得策ではないと判断したらしい。ついには握った拳を解いてしまった。

「だが、あなたも一度は生命を狙われたのだ。本国へ戻られても、油断はならんぞ」

「痛み入ります」

 ジェフラ・ダリスタンに見送られ、二人はロズルノーに戻って調査班と合流し、一路西を目指して進んだ。怪我で騎乗もままならぬデュケイは荷車に横たわり、ひたすら振動に耐えるしかなかった。

 幸い、時間だけはあった。痛みを紛らわせるために考えに没頭し、今回のことはシャルロッテとデュケイを亡き者にするために仕組まれたのだという結論に落ち着いた。ロズルノーから逃亡したとされる者を首謀者として迅速に処刑したのも、調査班やジェフラ・ダリスタンによる解明や介入を避けたためと考えれば納得がいく。何なら、処刑したということも、首謀者を捕えたということも、でっち上げでもいいのだ。調査を打ち切ることさえできれば。今から王都へ戻っても、証拠はすべてなくなっているだろう。

 ラグナシャスやジェスティンが「騎士の誇り」「強いイルナシオン」などと勇ましいことを言って若手の騎士を焚きつけ、王の和平路線を批判する。その気になった騎士たちが結束して襲撃事件を起こし、和平路線に同調するシャルロッテとデュケイを亡き者にしようと企んだ。現場から逃げおおせた襲撃犯を、例えば匿うふりなどをして捕え、証拠を残さぬように処刑する。

 真偽を確かめるすべはないが、ルネも長考ののち、同意してくれた。

「でも、それが真実なら、ディークは……」

 ジェフラが案じてくれたように、ルネもまた、デュケイの身の安全を気遣ってくれた。卑劣極まりない毒という手段を厭わない相手である。暴力でもって襲いかかられるならまだしも、毒殺を警戒するのは難しい。毒見役を雇うのは非現実的だし、普段口にする食べ物や飲み物を気にするにしても、城下で下宿しているデュケイは、毎日の食事も近隣の店や屋台で済ませることが多い。そのすべてが安全であると、誰に保証できよう。

「俺のことはいい。ルネ、きみも十分に気をつけなければ」

「……はい」

 王都に戻ると、とんでもないことになっていた。

 王族であるシャルロッテが騎士によって殺されたという事件の衝撃の余韻だけではなく、これまでは表だって感じることのなかった、王の進める和平政策を是とする者と、ラグナシャスの唱える武力回帰に賛同する者とが明らかに異なる雰囲気を発し、派閥を作っていたのである。

 王を支持する者たちは、ラグナシャスの台頭は違法なものであるとして、分裂そのものに意味がなく、正統な王であるゼクサリウスをないがしろにするというのはいくら王弟殿下であっても目に余ると理を説いた。

 周辺国は軒並み武力による統治や闘争を避け、それぞれの国に足りぬ部分を補いあい、協調しようとしているのに、イルナシオンだけが剣を振りかざしていれば反感や非難を集めるのは必至である。騎士制度の見直しも含めて、大きく舵を切るべきだ、と。

 一方の王弟派は、ゼクサリウスの悪政を指摘した。新法の不平等や、勝利を目前にしての和平交渉など、民意を無視したそもそもの政治手腕の欠落を挙げ、いくら王であってもその政治は誰のためかと問いかけた。

 そもそもイルナシオンは騎士と王族が手を取って興した国であり、武力とは切っても切り離せぬもの。騎士の位置づけは長い年月の間に変わってしまった部分もあるが、節度ある武力によって国の平穏が保たれてきたことは無視できない。単に他国に追従するのではなく、国祖シオンのように誇り高い騎士の国であると表明しなければならない。保身のために伝統をなげうつなど、国祖シオンの誇りと名誉が傷つくばかりである。他国の方針は認めねばなるまいが、我が国までが諸手を挙げて尻尾を振る理由がない。我々は騎士シオンの子孫として、毅然とした選択をせねばならない。

 王派と王弟派。二派の対立は隠しようもないものとなっており、民は騎士の分裂を目のあたりにして動揺し、困惑していた。

 王の和平政策により、周辺国との通商条約が強化されれば、人や物品の行き来が盛んになり、経済は発展するだろう。これまで多額の税金がつぎ込まれてきた騎士制度も見直され、あわよくば税も軽減されるかもしれない。仮に騎士の総数が減り、失業者が出るとしても戦地の復興や国交のための街道、町村の整備などで雇用も創出される。

 しかし、騎士が減って国防は大丈夫なのか。治安は維持されるのか。王の新法は悪法という他はなく、それが二度三度と繰り返される不安は拭えない。昔から金騎士、銀騎士などは国外で活躍してきた騎士団であり、他国もイルナシオンの騎士に助けられてきたはず。騎士を切ってしまえば、国は何を柱にしていくつもりなのだろう。

 井戸端で、辻で、酒瓶片手に、さまざまな議論が交わされ、意見や疑問、不安や不満が遠雷のように響いた。

 王都に戻ってからもしばし療養生活を強いられたデュケイもまた、その動揺を身をもって知ることになった。宮中の警護に復帰して間もなく、見ず知らずの騎士から出会い頭に突然、罵られたのである。

「よくおまえだけ生きて戻ってきたな、恥さらしめ」

 市街で、巡回の騎士たちから露骨な非難の目を向けられることもあったし、下宿の扉に悪口雑言を書き散らした紙切れが貼られたり、匿名の差出人からの手紙が届くこともあった。彼ら王弟派の主張を総合すれば、守護対象たるシャルロッテを護れずに何が金剛騎士か、誇りある騎士ならば未熟を悔いて殉ぜよというもので、唖然とする他はなかった。シャルロッテの襲撃が王弟派の犯行ならば、噴飯ものの主張である。

 性質が悪いのは、デュケイと親しくしていた騎士仲間や行きつけの料理店などにも同様の手紙が届き、デュケイを庇う者までもが非難の対象となったことだった。ひとたび王弟派の民が「あの屑騎士に飯を出している店では食う気が起きない」と漏らせば、その悪意は燎原の火のごとく市中に広まった。店主は泣きながらデュケイに頭を下げて来店を控えてくれと言い、デュケイは店主を宥めつつ、承知したと言うしかなかった。

 金剛騎士団にはデュケイの罷免を求める文書が届き、過激なものに至っては死刑をと主張しているものもあった。騎士団は、シャルロッテの死は卑怯極まりない毒殺によるもので、自らも毒に冒された身体で襲撃者と果敢に戦った騎士デュケイには何の非もないと主張し、王自らもデュケイを庇ったが、そのことがさらに王弟派を煽り、学生時代からシャルロッテと親しかったこと、元金剛騎士アーソへの弟子入りなど、デュケイの出自にまつわることまでを暴き、早くに父を亡くした貧しい平民にしては過分な待遇である、何らかの抜け道を通ったのだとか、弱みを握って弟子にするよう脅迫したのだとか、シャルロッテの恋人だったのだとか、故人の尊厳も名誉も何もなく、様々に言い立ててはデュケイを罵るのだった。

 まったく事実無根の噂話や自分自身に関する誹謗中傷を聞き流すことは苦にならなかった。それこそ、学生の時から同じように妬み、そねみに満ちた陰口は叩かれていたのだから。だが、デュケイに関わる人たちが悪意の対象になるのは我慢ならなかった。どれだけ筋違いの悪意であっても、それが正義、正論であるとまかり通り、デュケイへの厚意や親切が踏みにじられるのは耐えられず、毎日届く匿名の憎悪に疲労を感じるようになっていた。

 食が細くなり、食べては吐いた。体調が優れぬ日が続き、いっそ逃げてしまおうかと思ったことも一度や二度ではないが、デュケイが騎士として生きることはシャルロッテの望みでもあったし、金剛騎士にと推薦してくれた王の信頼やアーソの教え、父の生きざま、デュケイを形作るすべての要素が、撤退を躊躇わせていた。デュケイが退けば、王弟派はますます勢いづくだろう。邪推や暴言、暴論、脅迫や中傷、直接関係のない者を憶測で傷つけることが容認され、言葉という手軽にして強力な武器が研ぎ澄まされ、誰かの生命を奪うだろう。

 シャルロッテならば、アーソならば、膝を折っただろうか。否、というのがデュケイの結論だった。

 そうこうしているうちに、王派の騎士たちが瑠璃騎士により検挙、処罰されるという事件が相次いだ。騎士たちがどれほど潔白を訴えても瑠璃騎士は取り合わず、連行された騎士が戻ってくることもなかった。

 そういった状況下でシャルロッテ襲撃事件の真相を探るのは、広大な砂漠から一粒の金を見つけるに等しかった。世論は事件の真相などより悪事を働いたとされる騎士らを弾劾することに忙しく、無言の憎悪に身が細る思いをしながら、デュケイはひっそりと息を潜めるようにして、日々を過ごしていた。

 デュケイほどではないにせよ、ルネもまた同様の非難と悪意にさらされているらしく、彼女の場合は幼少時の出来事や隻腕の女騎士であるということが槍玉に挙げられ、耳を塞ぎたくなるような卑猥な言葉とともにデュケイの元にまで届くのだった。

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