(2)

 どういうつもりだよ、とデュケイはシャルロッテに詰め寄った。ルネの手をひいた銀髪の美少女は、デュケイと同じ高さで瞬く。

「どうって。私はディークをすごく買ってるの」

「それは嬉しいよ、でも……」

 昼食会に金剛騎士が現れたことで、シャルロッテの意図はデュケイにも伝わった。彼女の厚意は、涙が出るほど嬉しい。けれどそれを素直に享受することは、彼女の身分や家柄を利用することに他ならない。

「でも、こんなのは違うだろ。そりゃあ、俺だって推薦状は欲しいよ。金剛騎士に目をかけられたいよ。だからってこんなふうにシャルロが仲介してくれたって、金剛騎士にとっては俺が媚びてるようにしか見えないじゃないか」

 権力を利用して騎士位を買うような真似は、デュケイ自身がいちばん嫌っていた。そしてシャルロッテも、縦割りの身分制度の堅苦しさと不合理を厭い、奔放に振舞っているのではなかったか。

 騎士団の底辺で汗と涙と屈辱にまみれてなお、不屈の闘志を燃やし続ける騎士見習いたちは皆、喉から手が出るほど高位の騎士の推薦状を欲している。デュケイとて同じだ。

 血を吐くような叫びにも、シャルロッテは動じなかった。

「そうやって媚を売ることに何も感じないやつは平然と媚びて、お金をばらまいて推薦状を買う。騎士の位を買う。だからディークみたいな、才能のある平民階級の人がどんどん埋もれていくんでしょ。騎士の位がお金で買えるからこそ、騎士の実力や栄誉や誇りが失われてるっていうのに」

 栄えあるイルナシオン騎士団。

 戦乱の時代、繰り返される戦にも疲弊せず、戦意を失わず、果敢に戦った小国の騎士団は、ついに南の国を攻め落とす。騎士たちは占領下の街を焼かず、情けを持って民に接した。彼らが守るべき御旗はその後すぐ他国からの攻勢によって失われたが、南の国の王女は敵である騎士の振舞いに感激し、彼の妻となって国を継いだ。小国の騎士団長の名をシオン、王女の名をイルナナージュといい、双方の名を合わせて新たな国名としたのである。

 イルナシオンの騎士と言えば古来より、優れた騎士の代名詞だった。質実剛健にして不撓不屈、人の倫を知り、主君に絶対の忠誠を誓う勇敢な者たち。戦場においては雷のごとく獅子のごとく駆け、敵陣を切り崩してゆく。

 だが平和の時代において、イルナシオンの騎士の名は形骸化した。国祖シオンが望んだ法治国家は抗えぬ鎖とも言うべき身分制度を生み、騎士となるべく大志と希望を抱き学校に通う子どもたちは、立ちはだかる貧富の差と身分の差という現実を直視し、次々と去って行った。

「それに、アーソさまは媚で推薦状を書くような方じゃない。あの方こそ、騎士の中の騎士だわ……ねえ、ルネ?」

 茫洋とした目つきで、話を聞いていたのかすら定かではないルネはしかし、シャルロッテに話を向けられるや、しっかりとした様子で頷いた。

「ルネは、アーソさまに推薦状をもらうんでしょう? 稽古はしっかりしているの?」

 ルネは首を傾げる。

「推薦状って……ルネも騎士になりたいのか!」

「そう。いま初等部にいるから、騎士になるっていうより、まずは見習いの試験だけどね。十三歳の誕生月に進級試験があって、それに合格すればわたしたちみたいな騎士見習いになれる。見習いになったら、次の十年間で先輩騎士の推薦状をもらって、昇格試験を受けなくちゃならない。合格すれば晴れて正騎士になれるわけだけど、ルネはいま十だったっけ……まあ、推薦状の話は早いよね」

 途中からルネに話したシャルロッテは、話すことはもうないというように先に立って緑あふれる庭を進む。

 デュケイは混乱して、髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。ルネが物言わぬまま、こちらを見上げている。鳩を逃がしてやったあの朝のことが思い出されるようで、感情のまったく読めぬルネを扱いかね、デュケイもまたルネを見下ろした。

 騎士になるために学校に通っているというが、ルネは華奢で、とても向いているとは思えなかった。おまけに貴族で、金剛騎士の姪とくれば、校内での立場がどれほど繊細なものか、想像に難くない。

 イルナシオンに存在する唯一の学校、それは騎士を育成するための機関だ。門戸こそ広く開かれているが、授業料や教科書代は決して安いものではない。それでも平民階級の子どもたちは騎士になることを夢見て、またその親も子どものより良い暮らしを望んで、学費を捻出するのだった。

「学校に通っていても、騎士になれないやつだっている。騎士位を得たって、それも金と権力にまみれた、薄っぺらなものでしかない。アーソさまみたいなひとは、もうほとんどいないんだ。……それでもきみは、騎士になりたいの」

 ルネは黙って頷いた。高空の青みには、汲み取ることのできない複雑に絡まった何かが込められていて、彼女はそれゆえに剣を手にしたのだろうとデュケイは思った。

「……俺には剣しかないから」

 デュケイにとって、剣は手段だった。木切れを振り回していた幼い日、騎士だった父に筋がいいぞと褒められたその一言だけが、いまのデュケイを支えている。

 父の背中は大きくすっきりと伸びて、格好よかった。いつか父のような騎士になるのだと幼い憧れを抱き、誇り高きイルナシオンの騎士として恥ずかしくないよう、常に自らを戒めて生きてきたが、父はデュケイが十になる年に東の国境に派遣され、そのまま帰らなかった。

「次帰ったときには、訓練用の剣を買ってやろう」

 父が家を出るときに交わした約束は果たされることなく、デュケイの胸でしこりとなって残っている。

 かといって、父の生きざままでが色褪せたわけではない。父はいまでも、いつでも、デュケイの憧れであり、目標だった。

 父のように。その一念だけで、デュケイは騎士見習いとなって、学校に通う傍らで騎士団の下働きをしている。

「きみにとっては、剣は目的なんだね」

 ルネは語意を考えるようにしばらく沈黙したのち、頷いた。

 羨ましいよ。嘆息したデュケイの手に、ルネの小さな手が絡まる。

「……ルネ?」

 その手は温かく、柔らかかった――握り潰してしまえそうなほどに。

 あの日手の中で羽を散らした、白い鳩のように。

 もがいて、足掻いて、ままならぬ拘束に怒り、身を震わせて。

 ああ、たぶん、ルネも同じなんだ。デュケイは思った、否、感じた。

 だから鳩を逃がしたデュケイを見て、笑ったのだ。眩しそうに、ふわり、と。

「わたしは」

 ルネは小さな声で、しかしはっきりと、言った。

「力が欲しい。だから、騎士になりたい」




 一向にやって来ないデュケイとルネに痺れを切らしたか、探しに戻ってきたシャルロッテとともに、広すぎる庭を歩いた。

 物言わぬルネを交えた共通の話題が思いつかず、立派な庭を空々しく褒めるか、昼食について感想を述べるかしかなく、疲れたデュケイは黙ることを選んだ。シャルロッテとは沈黙を気にするような間柄ではない。話したいときに話し、黙りたいときに黙る。相手の話には耳を傾ける。ごく自然にそうできるのが、シャルロッテなのだった。

 シャルロッテがどうしてデュケイに興味を持ったのかはわからない。もともと外向的ではなく、じっと物思いに耽っているような子どもだったデュケイは、快活なシャルロッテと同じ人間であることが信じられなかったが、「シャルロッテ・パルマ・ラ・イルナシオンの厳命により」普通の友達に接するようにした結果、ようやく貴族ではなく彼女個人として考えられるようになったのだ。それも、シャルロッテが極めて特殊な一例であり、多くの貴族は依然としてデュケイのような平民とは口をききたがらないということがわかった裏返しだった。

 シャルロッテ・パルマ・ラ・イルナシオン。

 国名を姓に抱く彼女は、国祖シオンの血を引いている。国王の姪、というのが彼女の立場だ。王の直系に次ぐ最高の貴族位を持ち、級友や騎士団の先輩たちが「ディアラ・シャルロッテ」と呼んではひれ伏さんばかりの憧憬とともに彼女を見つめていることを、デュケイは知っている。手紙や贈り物の仲介をさせられたことも、百ではきかないだろう。

 シャルロッテは足を止め、おもむろに振り返った。デュケイとルネも、立ち止まる。

「ディーク、戻ったらアーソさまにお手合わせ願いなさい。私が言ってあげるから、あなたはそれに乗っかるだけでいい。それで実力が認められたら、アーソさまがきっと推薦状を書いてくださるわ。……そうよね、ルネ?」

 ルネは無感動にこくりと頷いたが、デュケイはそれどころではない。国一番の騎士と手合せ? しかもたらふく昼食を食べた後で? 冗談じゃない!

「躊躇ってる場合じゃないわ、ディーク。あのね、アーソさまだってそれくらい承知してるわよ。アーソさまに取り次げって毎日、騎士見習いたちがルネのところに押しかけて来るんですって。私たちももうすぐ十八だし、うかうかしてられないでしょ」

「いや、だからって……」

 シャルロッテの呼び出しとあらば、金剛騎士とて応じないわけにはいかない。そこで見ず知らずのデュケイと手合せを強要され、しかもそれは推薦状目当てであることが透けて見えている。

 金剛騎士に対してあまりに礼を失した振舞いであるばかりか、デュケイのわずかばかりの自尊心までも踏みにじるやり方ではないか。

 もちろんデュケイとて、己の実力だけでは名のある騎士の推薦状など得られるはずがないと、頭では理解していた。それでも、模擬試合を見られていたとか、偶然行き会うとか、砂漠で氷を拾うがごとき希望を捨てることはできず、そんな夢を見ているうちに、時間ばかりが過ぎていった。

 正騎士昇格試験は十五歳から受験が認められているが、少年にせよ少女にせよ、十五歳といえばまだ成長の過程にある。身体能力を発揮しきれずに不合格とみなされることが多く、十八歳から二十歳の間に受験する者が多い。

「ねえ、ディーク。昔は推薦状の制度はすごく良かったと思うの。より高名な、高位の騎士に推薦状を書いてもらおうって、みんなが努力したんだと思う。でもいまは、推薦状が金品で簡単に手に入る。どんなに性根が腐っていても、臆病でも、何の考えも持たなくてもね。そんなやつらだけがのさばって、才能あるディークは埋もれちゃう。このままじゃ騎士になれない。つまり」

 気を持たせるように、シャルロッテは一度言葉を切った。

「騎士になるためにこの機会を利用するか、それとも、こういうのが嫌なら次の機会を待てばいいわ。別に、強制はしないよ、ディーク。好きにすればいい」

 手段なのか、それとも目的なのか。

 ルネに感じた憧憬を、手にすることができるのか。

 それとも、金剛騎士の輝きに目が眩んで、すべてを失うのか。

 デュケイはつないだままだったルネの手をやんわりと解き、一歩を踏み出す。

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