#48 大切なもの


 マリス教の白。自警団の黒。


 それが目の前でくっきりと分かれる中、シンシアは不機嫌そうに言葉を発した。


「――リンディル、邪魔しないで貰えますか?」

「お前こそ邪魔しないで貰えるか? 私の道を開けてくれ」


 リンディルの後ろにいる、軍服に身を包んだ自警団の面々。

 初日に見た数とは比較にならないほど多く、一糸の乱れもなく整然としたその隊列が行進する。


「相変わらず自分勝手ですね。今回も、道理や正義はこちらにありますが」


 それを受けて、リンディルはさも当然というように言葉を返す。


「道理や正義なんて、弟一人で私はひっくり返るが」


 それを受けて、シンシアは無表情でその疑問を言葉にした。


「――あなたの弟は、もう死んだはずですが?」


 そのシンシアの言葉に、リンディルはにっこりと作り笑顔を浮かべた。


「"知ってるよ"」


 その言葉を発した刹那、トンとリンディルは地面をはねた。

 ある意味、空中でいい的になった彼女に、反射的にマリス教団員の攻撃が降り注ぐ。


 数多の光の矢が、リンディルに迫る。

 その的である彼女の元に、球のようにそれが集まった。


「――ふっ」


 が、それは瞬き一つで霧散した。

 傷一つなく、音もなく、それは空気に溶けるように跡形もなく消えた。


 シンシアが無表情で言葉を発する。


「――無駄です、彼女に"それ"は効きません」


 その言葉の意味や、目の前に起こったことに何が何だか分からず、俺がポカンとする中。

 まるで重力などを感じさせないその跳躍で、俺の前方へとリンディルは華麗に着地した。


「リ、リンディルさん」

「うむ。元気か、弟。お姉ちゃんは元気だ」


 その爽やかな気持ちの良い笑顔を浮かべる彼女は、傍から見たらいい姉だ。

 この光景に唯一の問題があるとすれば、この人が俺の姉でないことくらいだ。


「――さて、姉弟の水入らずの話もいいが、時間はないな」


 辺りを見渡しながら、残念そうに話すリンディル。

 そして、彼女はゆっくりと俺の先を見据えた。


「その背中にいる娘のが今回の"原因"か」


 そのリンディルの言葉に、俺は頷く。


「顔を見せてもらってもいいか?」


 その申し出に、俺は一瞬躊躇した。


『神に愛されなかった者は、誰にでも忌み嫌われる』


 俺とミヤ以外で、ナナのことを初めから忌み嫌わなかった奴なんていなかった。

 フィリーだって初めはそうだった。


 例に習うなら、彼女にナナを見せる、この行為は危険に思えた。

 だが。


 俺を助けてくれた彼女に、敵意なんて微塵も感じない。

 それに何より、ナナの震えがこの瞬間だけは嘘かと思うくらい消えていた。


「……名前は、ナナです」


 その俺の言葉を受けて、リンディルは俺の後ろへ歩を進めた。

 そしてナナを見ると、彼女は何かを思い出したかのように笑った。


「綺麗な顔してるな」


 武器を持たない左手でナナの頭をなでる、リンディル。

 ナナの鼓動が、穏やかな間隔を刻んだ。


 俺が不思議な気持ちで、それを目の当りにしていると。

 リンディルの口元が、小さく動いたのが見えた。


 ――これも、神様のいたずらか。


 それが何を意味していたのかは分からないが、その表情は少し寂しげに見えた。

 そんな一時を終えると、リンディルがもういいという視線をこちらへと送った。


 そこで俺は改めて、疑問を彼女に投げた。


「リンディルさん、なんで助けてくれたんですか?」

「弟が守りたいものを守るのは当然だろ」


 からからと笑う、その姿に彼女の本質がどこにあるのか分からなかった。


「――それに、私たちエルバッツ自警団の本来の目的は、エルバッツを守ることじゃないんだ」

「え?」

「"大切なものを自分たちで守る"、それが私たちの役目だ」


 リンディルにとっての大切なもの。

 その本当の意味を俺はまだ理解していないのかもしれない。


「それに何より、お前には私のようになってほしくない」


 彼女の生い立ちも、人生も、苦しみも。

 俺はあのおかしな言葉でしか彼女の一端を知らない。


 ただ一つ分かることは、彼女が弟を失ったということくらいだ。


 俺に言いたいことを終えると、リンディルの視線は真横を向く。


「いつかの少女と虎も、こいつをよろしくな」


 申し訳なさそうな表情でリンディルは笑う。

 最後にそっと、彼女は俺の耳元に迫ると。


『右手に向かって走れ』


 そう囁いた。



 * * *



 ――#50「運命のアナグラム」まで、後#1。

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