#47 〇〇は忘れた頃にやってくる


 最も厄介な存在が、また現れた。

 シンシアがこちらを見ながら微笑む――そんな光景を見て、俺の心が穏やかなはずはない。


「――そこ」


 だが、俺の先を行くそいつはまるでお構いなしといった具合に進む。

 イノシシのように猪突猛進する、トラッキー。


「どいてーな!」


 前方に現れたシンシアなど意に介さず、突っ込んでいくミヤ。

 その一直線な歩みは止まることをしらない。


「トラッキー、ホーリーフレイムやで!」


 勢いよく突き進むその威勢と共に、道を切り開くための攻撃の声が響く。

 先ほども発したその攻撃に、マリス教の面々が身構える。


 ――だが。


 轟轟と立ち上る、炎は。

 眩しい光は放つ、それは。


 ――視界には、映らない。


 次に響くのは、まるでガスを発したような小さな破裂音。


 ボスッ。

 気の抜けたような、その音が辺りに響いた。


「……え、トラッキー、ホーリーフレイムやで」


 目を覆いたくなるような光の炎が、その場に広がることはない。

 ミヤの声の余韻のみを残し、視界に映るのは攻撃前と何も変わらぬ光景。


「……トラッキー?」


 ミヤの不安そうな声を発した瞬間、その身体が揺れる。

 トラッキーはその場にぐたりと倒れこむと、ミヤもまた滑る様に地面へと落ちた。


「ミヤ!」

「……う、うちは大丈夫やで。でも、トラッキーが」


 地面に落ちたミヤは、直ぐに立ち上がる。

 トラッキーは、力が抜けたかのように、だらりとその場で伸びていた。


「対魔障壁魔法です。モンスターはさぞ辛いでしょうね」


 一人だけ事の顛末の理由を知っていた、シンシアは冷静にその事実を告げた。

 そのモンスターを完全に封じたことを確認した彼女は、ゆっくりと視線をこちらへと向けた。


「――さて、先ほどの選択の続きにまいりましょうか。お連れの方」


 その視線は、既にミヤやトラッキーなど眼中にないらしく、真っ直ぐに俺を見据えていた。

 最悪なことに、随分と好かれてしまったらしい。


「逃げる、という選択肢は与えませんでしたのに」


 鼓膜に絡みつく様にシンシアの言葉が届く。

 纏わりつくような視線も相まって、身体に悪寒が走る。


 ――まずい。

 俺はその状況に、歩みを止めるほかなかった。


 流石にミヤとトラッキーも背負うことなどできるはずもなく、俺は強制的に立ち往生を強いられる。

 そんな俺の状況を見て、シンシアはさも計画通りといったように言葉を発する。


「そもそも逃げるなんて、無駄です。このエルバッツにいる限り、私たちの"目"はどこにでもあります」


 恐らくシンシアは、確信している。


「このエルバッツの三大勢力の中で最も気高く、最も数多の戦力を持つこのマリス教に」


 これが俺らに対する、王手だということを。


「あなたたちが逃げ切れるはずありません。逃げるなんて悪手もいいところです」


 例え、俺がどれだけ強くても。

 彼女は数の暴力で押し切れると踏んだらしい。


「――あなたがどんなに強い力を持っていても、それを使おうとしないなら、宝の持ち腐れです。力を使おうとしない意志無き弱者に、私たちが負けるはずがないでしょう?」


 最後まで彼女は大司教として、笑う。

 マリス教の教えを守る気高きその姿は、上に立つものの威厳と決意を感じさせる。


 後方には、追い付いてきた無数のマリス教団員。

 前方には、気高き大司教がいる。


「さて、終わりにしましょうか?」


 状況は、前にもまして最悪だ。

 間違いなく、絶体絶命。


 ――だけど、そのおかげで。

 俺は吹っ切れた。


 視界には、そいつがいたから。

 この世界で、今、俺が一番護りたいもの。


 その少女が、いた。


 そんな、護るべきものが増えた。

 それだけで、俺にとっては意思を固めるのは充分だった。


 俺はそいつの元へ駆け、その場所へ辿り着く。

 衰弱したトラッキーに、視線を落とすミヤに俺は言葉をかけた。


「――ミヤ、お前は絶対に死なせない」


 例え、この場の敵を皆殺しにしても、こいつらは守る。

 それが、俺の力の使い道だ。


「……アキラ?」


 最初は不思議そうな顔をしていたミヤだが、

 その数秒後、何となく俺の心中を察したらしい。


「……ふふふん」


 なのに。

 ミヤは笑った。


 まるで俺の言葉がくだらない冗談かというように。


「アキラ、怖い顔せんでや。せっかくの面白い顔が台無しやで」


 いつも通りの雰囲気で、いつも通りの口調のミヤ。

 普段通りの姿で、ミヤは笑う。


「それに大丈夫や……うちらにバッドエンドは似合わへん」


 あっけらかんと言う、その姿に呆気を食らう俺。

 だが、ミヤの眼には、何かを確信した光があるのが見えた。


「――××やで」


 意味の分からない言葉が、脳に響く。


 ――え?


 ミヤのその言葉を聞いた瞬間、

 トンカチで頭を叩かれたような衝撃が走る。


 そして、それに連続するように、響くのは衝撃音。

 土煙。それが前方にいるマリス教の右手から上がった。


「何事、ですか?」


 せっかくの詰めを邪魔されたにもかかわらず、その事象だけではシンシアはいつもの微笑みを崩さなかった。

 だが、その方向を一瞥した瞬間、その表情はすぐに真顔へと変化する。


 初めて見たシンシアの表情にも驚きだったが、

 それ以上に驚きだったのは、次の光景。


「――三大勢力三大勢力って誇りを持っているんなら、別のそれを動かすような真似は止めてもらえるか?」


 白い視界に混じるのは、真っ黒なそれ。

 不釣り合いほど漆黒に染まった軍服の集団が出現する。


 その光景を見たシンシアは、

 冷たい視線をそれへと向けた。


「……失敗者さんの"自己満足集団"が何の用ですか?」


 それは初めてシンシアが見せた、強い嫌悪感。

 その集団に敵意を隠すことを彼女はしなかった。


 白の視界に侵食する、漆黒の集団。

 その中で、一際存在感を放つ、蒼の髪色の女性がそれに答える。


「いや、街で暴れまわっている"狂った教団"がいると、ある少女から報告を受けてな」


 黒よりも濃いその蒼色の髪に、ぴしゃりとした雰囲気を纏うその女性。

 サファイヤのように瑠璃色な瞳も相まって、その女性の輝きはさもその場に映えた。


「街を守るのが、自警団の役目。自警団団長として、動かない訳にはいかないだろう?」


 青い薔薇のように、凛として。

 堂々とした佇まいのその女性は、艶やかに笑う。


 俺はこの女性を知っている。


「それに何より」


 この女性の名は、リンディル。

 エルバッツ自警団団長リンディル。


 そして、この人は。


「――弟を守るのが、姉の役目。可愛い弟を助けるために、動かない訳にはいかないだろう?」


 とっても残念な人だということを。

 俺は知っている。

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