#36 小さなその手と始まりの記憶
鋭利な金属が、空気をさく。
一直線に矢が迫ってくる。
「……まあ、大丈夫だよな」
避けようと思えば避けられたかもしれないその軌道を、俺は右手を出して防いだ。
ちくりと、爪楊枝でつつかれたような感触を手が受け取る。
「――ん」
矢はバリっという小気味のよい音を立て、壊れる。
ボロボロと、矢だったものが破片となって地面に落ちていく。
「アキラ~大丈夫か?」
「ああ」
手を握ったり開いたりさせるが、特に問題はない。
俺の防御力からいっても、1ダメージあるかないかくらいかだろう。
俺へのダメージなら全く問題はない――むしろ問題なのはあの矢の軌道だ。
「しかし変なこともあるもんやな。風でも吹いたんか?」
「いや、あれは」
風といったような単純な原因ではない。
物理や科学では説明できない"何か"が働いたように、俺には見えた。
言うなれば、魔法や呪いの類。
そしてそれはこの状況から察するに。
「ナナの……」
と言いかけたところで、言葉は止まる。
俺の視界に映ったナナ。その様子がおかしかった。
顔面蒼白でブルブルと震え、目を潤ませるナナ。
そして、その瞳から一滴、雫が落ちた。
それが呼び水なったらしく、ダムの決壊のようにボロボロと涙が溢れていく。
嗚咽交じりの音が零れ、びしゃびしゃに濡れていく顔をナナは両手で覆った。
「アキラを傷つけたと思ったんやろ」
おーよしよし大丈夫やで、とミヤは声をかけながらナナをさする。
その様子を見ながら、俺は何とも言えない思いが湧いた。
もしかしたら前にもこのようなことがあったのかもしれない。
ナナの境遇を俺は知らないが、辛い道を歩んできたのは確かだろう。
ミヤがなだめても、中々泣き止まないナナ。
そんなナナに、俺はこう言葉をかけた。
「いい攻撃だったな。ドンピシャだ」
むっとした表情をミヤが浮かべるのが見えたが、俺は言葉を続ける。
「だけど、俺は何ともない」
そういって俺は右手を広げて見せた。
ナナは潤んだ瞳に、俺の右手が映る。
恐る恐るという表情で、ナナは顔を近づけた。
そして、何かを確かめるようにナナは手に触れた。
小さくて、冷たい手だった。
「だからナナは心配しなくてもいい。俺は強いから」
俺にとってはこんな攻撃は大したことはない。
もっとも、俺はナナからもっと強い痛みを貰ってるが。
ぺたぺたとナナは俺の手を、触り続ける。
俺の言葉の確証を求めるように、何度も、何度も触り続ける。
時折、俺の顔を覗きながら、ナナのその行動は何回も続いた。
それを繰り返すにつれ、ナナの嗚咽が、徐々におさまっていく。
「よしよし」
手持無沙汰の左手で、金色の頭をさする。
始めは震えていたその身体から、いつしか震えは消えた。
「……ほーん」
何やら納得いかなそうな人物が一人いるようだが、とりあえず一件落着といったところだろう。
とは言え、ここで終わらせるのは後味が悪い。
そう思った俺は、駄目元でナナへとこう言葉をかけた。
「ナナ、もう一回撃てるか?」
嫌ならやめさせよう。そんな思いも俺にはあったが。
その俺の言葉にナナは小さく、強く頷いてくれた。
* * *
矢が、明後日の方向へ飛んでいく。
そしてまた、それは俺へと戻ってくる。
乾いた音の後、それは俺の足元へと落ちていく。
幾重にも重なったそれは、小さな破片の山を築いた。
「……うん」
これは後から分かったことだが、変な方向に飛ぶのは単にナナの腕前らしい。
その証拠にナナが何度も矢を放つ度に、飛ぶ方向はほんのわずかだが目標に近づいていた。
もっとも、元々があれなので未だにスライムに当たる気配はないが。
「まあでも」
ピュンと。
十数回目になるだろうその矢は、やはり目標とは離れた方向を進む。
「本当の問題はこっちだよな」
練習すれば何とかなりそうな"行き"はまだいい。
問題は"帰り"だ。
矢がまた、ぐるりと捻じ曲がった。
それは一定の距離で急に旋回すると、ブーメランのように戻ってくる。
そしてまた、それは俺の元へと届く。
右手がバキッと木を割れると、小さな破片の山が少し大きくなった。
「う~ん」
この物理的にあり得ない事象はやはり、ナナの"例の力"のようだった。
不幸よんでくると言われるその力が、矢に働いているらしい。
だが、一つ。
釈然としないことがあった。
「……なんで俺にくるんだ」
その矢はもれなく、俺へと向かってきた。
今のところ、一切合切の例外なく100パーセント。
ミヤやトラッキーはおろか、ナナさえ無視し、俺だ。
「何故だ……」
俺が何かしたのだろうか。
心当たりはないが、ナナを助けたからとかそういう理由だろうか。
「う~ん」
結局のところよく分からないが、他の奴が標的になるよりはまだましとも思える。
事実、俺には何の害もないのだから。
視界に映る、一線の軌道。
数十発目であろう、その矢が飛んでいく。
その弓の終始を見届けた後、もう一度弓を引こうとしたナナを俺は制した。
「今はこれぐらいにしよう」
明らかに疲れていたナナへ、そう声をかける。
成果という成果出ていないが、小さなその体でよく頑張ったと思う。
ナナはそれを理解したらしく、少し納得がいかなそうな表情を浮かべるが、矢をしまった。
すると間髪を入れず、俺の右手を引き寄せた。
覗き込むように、そして何度も、俺の右手を両手で触るナナ。
「……」
冷たく小さかった手は、ほんのりと熱を帯び、少しばかり固さを孕んでいた。
その練習の余韻を感じさせる手でナナは一通り確認すると、満足したらしく俺の手を放す。
俺の手に小さな手の感触が残る中、トラッキーの上からその声があがった。
「アキラ~なんか見えるで~」
ミヤが示した指の先にある、深い緑をした景色。
どうやらナナの
アグステの森と呼ばれる、その森。
その緑深い場所が、鮮明に見えてくる。
このアグステの森でオレンジベリーという実を30個ほど採集すれば、とりあえず今日の目的は達成だ。
オレンジベリーは美味しいのだろうかというどうでもいいことを思考しながら、その森の方向へと歩を進めると。
「ん?」
その木に、その色に、その光景に、何か既視感を覚える。
近づくにつれ、強くなるその草と土の匂い。脳をくすぐった。
「アキラ……この森って」
俺たちが感じてたのは既視感ではなく――記憶だった。
俺とミヤが、見覚えのあるその森。
「ああ」
ほんの数日前の、だけれども埃被っていた記憶が、すっと蘇る。
「俺らがこの世界で"最初にきた場所"だな」
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