少女十七号(4)
息も絶え絶えに丘を一つ越えたところまで走ると、大きな岩の影に逃げた少女達が固まって休んでいた。ある者は座り込み、ある者は砂の地面に倒れ込んだまま、荒い息で胸を上下させている。はじめは影絵のように見えていたその様子だが、目が闇に慣れると月明かりでひとりひとりの顔が判別できるようになる。そのタイミングは皆ほぼ同じだったようで、安堵したような困惑したような顔を見合わせていた。
マアリは、気を失ったため途中から背負って来た金髪の少女をおろして岩に寄りかからせると、その隣に自分も腰を下ろした。
さっきの男は?
私たちはこれからどうなる?
あまりにも色々な出来事が一度に起きて、頭の中が散らかり放題になっていた。背中の辺りが気持ち悪くて手で拭うと、隣の少女の股ぐらから流れ出たのだろう、鮮血と男達の体液が手のひらを汚した。
しばらくして、黒ずくめの男がゆったりとした足取りでやって来て、担いできた少女達の服や持ち物を無造作に投げ放った時、彼女達はすぐには動けなかった。その男が死神なのか、それとも救世主なのか、判断がつかなかったのだ。男はそれを見透かしたように口を開いた。
「お前らはもう自由だ。逃げたければ逃げるがいい。この辺りには盗賊も暴漢も人さらいもいるだろうが、そこまでは知らん。掴まって犯されるなり売られるなり勝手にしろ。それが嫌なら、もう一つの選択肢がある。私の妻になることだ。私はお前たちのような美しい少女には優しいぞ……ああ、そこの」
と言って男は金髪の少女に指差した。
「決してあんなふうにはしない。俺の方がずっと優しい」
マアリは眉をひそめた。男の言う「妻になれ」という言葉が、正しい意味での結婚を意味しているようにはとても思えない。そんなの性奴隷として仕える先が変わるだけではないか。やはりこの男は自分たちを助けてくれたのではなく、略奪しただけだったのか。
「だが、お前たちが自らの人生を私に捧げるというのなら、死ぬまで不自由はさせない。いやそれでは不足だろう……私は妻には俺の一部を与えるつもりだ。それはお前たちを特別な存在にするだろう」
そう言って男は背を向けた。
「ついて来たい者は来い。嫌な者は残るがいい」
丘の上に去って行く背中に、幾人かの少女が追い縋って行った。それを見てまた一人、二人、と腰を上げる者がいる。マアリは服を拾って駆け出して行く少女達の姿が見えなくなるまで、彼女達の背中をぼんやりと見ていた。
……マアリは自室のベッドの上で目を覚ました。傍らでは今日会ったばかりのバナが心配げにマアリを覗き込んでいた。起き上がろうとすると、臍の下の皮膚がじりじりと痛んだ。見る気も起こらなかったが、十七、と刻印されているのだろう。
「っつ……」
「しばらくは、ちょっと辛いね」
バナは濡れた手ぬぐいで額の汗を拭ってくれた。
「あの、ありがとう」
「ううん。それじゃあ十七号さん、初めてづくしでかわいそうだけど、今夜はこのままお仕事に出ないとね。私、目を覚ましたら呼んでこいって、言われているから。ごめんね、行こうか」
「あ……はい」
そうだった、とマアリは思った。
『初仕事前に歓迎の儀式があるのでな』
あの老夫もそう言っていたっけ。
マアリは黒尽くめの男が去ったあと、自力で集落へ帰る選択をした。しかし結果を見ればそれは誤りだった。都へ帰る別の商隊に捕らえられ、結局は番号で呼ばれる性奴隷に身を落とすことになった。
あのとき、もし……と思いかけて、もうやめようと思い直した。今更どうなるものでもないのだ。それに、希望の見えない状況とはいえ、バナという優しい仲間が出来たではないか。
マアリは儀式の前と同じようにバナについて細い廊下をぐねぐねと進んだ。そうして長い階段を上り切って鉄のドアを開けると、星空が目に飛び込んで来た。四方を高い石塀に囲まれ、四角く切り取られた偽物じみた空。
「これから牛車でお客のところに参りますので」
そう言ったのは町民風の服装をしたまだ声変わりもしていない少年だった。少年は細長く黒い布切れをマアリに手渡すと、
「目隠しです、決まりですので」
と言って巻くように仕草で示した。
牛車に乗って都の裏通りを進んでいると、真夜中だというのに、どこからか酒を飲んで騒ぐ声が聞こえた。楽器を鳴らす者がいて、歌を歌いだす者がいて、ぐずった赤ん坊が泣きわめき、女達が嬌声を上げる。都というのは一体どういう所なのだろう、と思う。遊牧生活ではこんな夜中にあんな大騒ぎなど、と一度は思い、否、と合点が行く。
「あの」
と牛を引く少年に声をかけた。
「なんですか」
「今夜はお祭りなの?」
「いえ……」
少年は困惑したように言いよどみ、
「どうしてですか」
と聞き返した。
「だって、こんなに賑やかだから」
「いえ、今日などはまだ静かなほうですが」
「うそ」
言いながらマアリは、慣れ親しんだ集落での祭りの夜を思い出していた。焚き火の炎。太鼓のリズム。笛の旋律。子供達の騒ぐ声。贅沢な肉の料理やチーズの塊。酒に酔った男達の猥雑な踊り。そんな祭りの最高潮ももちろん好きだったが、朝まで大騒ぎしたあとの静かな夜明けも、マアリは大好きだった。草原のうねった地平線から、黄金色の太陽が昇って来て空の端を、雲の淵を、真っ赤に染めて行く。薄青の世界が生き返るようにグラデーションに染まり、牧草の緑が、テントの色とりどりの模様が、本来の色を取り戻していく。それは新しい命の誕生を思わせた。けれど目を閉じれば、昨夜の喧噪がまだ耳の奥でがやがやとざわめき始めるのだ。
焚き火の炎。太鼓のリズム。笛の旋律。子供達の騒ぐ声……。
<少女十七号 了>
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