少女十七号(3)

 今からすこし遡ったその夜、都から奴隷買いが来ていると言う少年があり、マアリのいた遊牧民の集落はざわめきに包まれた。それを聞いて誰も彼もが近くの丘に登り、少年のいう方角を見に行った。


 マアリも奴隷買いが何を意味するのか知らぬまま、大人達についてその遠くの丘を見た。その丘まではかなりの距離があったものの、草原の民である彼らにははっきりと二つの灯りを見つけることが出来た。縦に並んだ二つの松明である。その動き方から察するに、長い竿の先端と半ばに松明を括って灯を点しているようだった。大人達が話すのを聞くと、それが奴隷買いの合図らしかった。


 マアリが自分のテントに戻ると年老いた酋長が尋ねて来ていて、父親となにやら話し込んでいた。母親も同席していたが顔を伏せたままで、心ここにあらずといった様子だった。これは「奴隷買い」に関連して何かが起こっているのだ、と直感したが、その矛先が自分に向いていることを知った時には少なからず驚いた。


 聞けば奴隷買いは大陸中から美しい少女を引き取り、見返りとして高額の金子をばらまくのだという。その金額は集落中の牛を買える程とも、農村から健康な赤子を何十人も引き取れる程とも言われる。


 遊牧民の言葉で「奴隷」というのは家畜同然に扱われる使い捨ての半人間を指すのではない。「召使い」だとか「下働き」だとかと同義で、身分は低くともれっきとした職業なのである。だからマアリは自分が女奴隷としてフリナリカの都に売られると知った時も、決して絶望することはなかった。王国の都は言葉も通じるし、国中の富が集まるところで、水にも食べ物にも困ることはないと聞く。都会の裕福な家に仕える生活というものに淡い憧れさえ抱いたのだった。


 新しい仕事をこなせるかどうか不安だったし、両親と離ればなれになるなんて想像できなかった。けれど余所者として日頃肩身の狭い思いをしている両親の助けになればと思い切り、結局マアリはその話を快諾した。自分の容姿を褒められたことも、彼女の気を大きくしていた。


 酋長が帰ると、父親は娘のために長い祈りを捧げ、母親は自分の首飾りをほどいて硝子玉を半分抜き取り、革ひもに通してマアリの首に掛けた。その上で長々と別れを惜しむ時間は残されていなかった。酋長の使いの翁が間もなく馬を連れてマアリを呼びに来た。


 翁の引く馬の背に乗り、遠くの灯をたよりに起伏のある草原を進んだ。翁は何も話さなかった。随分とながい時間、月明かりの下で揺られていたように思う。そして何度目かの上り坂を上り切ると、唐突に眩しい光が目に飛び込んできた。


 大きな焚き火が焚かれ、その向こうに十張以上の大きなテントらしき影が並んでいる。焚き火を輪になって囲んでいるのは短槍を構えた軽装備の兵士かと思われたが、それだけではないようだった。近づくに連れ、兵士達の内側にもう一周、人の列があるのが見えて来た。人数は十人余りだろうか。彼女達は一様に娘と言っていい年頃の美しい少女であり、胸と腰回りを隠す麻の薄衣だけを身につけて焚き火に背を向けて立っていた。マアリの心にそのとき初めて、暗雲が立ちこめたのだった。


 マアリ達が焚き火に近づいて行くと、テントからマントに身を包んだ身分の高そうな男が現れ、二人の兵士に付き添われて駆け寄って来た。


「ご苦労である」

 まずは翁にそう言って男はじろりとマアリを一瞥し、傍らの兵士に頷いてみせた。兵士は短く返事をし、懐から革の袋を出して翁に渡した。

「お改め頂きたい」

 言われるままに翁は袋を覗き込み、

「確かに、確かに」

 と低頭してマアリを馬から下ろした。

「その金貨は国王陛下よりの正式なる報賞であるからして……」

 身分の高そうな男が簡単に契約の言葉を発し、翁は頷く。最後に翁がマアリの額に手をあて、短い祈りの言葉を神に捧げた。それが別れだった。


 マアリはまずテントの一つに案内され、焚き火の周りの少女達と同じ薄衣に着替えるよう命じられた。衣類というには頼りなさ過ぎるそれに着替えた彼女を焚き火のほうへ連れて行きながら、兵士が

「今夜はこれでお終いだろう」

 と声を張り上げた。その兵士に背を押され、マアリは少女達の輪に加わった。それを見届けてから、長と思われる初老の兵が少女達に向けて声を張り上げた。

「これから隊長殿が、貴様らの処遇を選別される。都へ送られるか、それとも……」

 と、そこで傍らの若い兵士が

「俺たちと仲良ぉく旅を続けるか」

 と茶々を入れ、兵士達の間から粘度の高い笑い声が漏れた。初老兵はそれを咳払い一つで黙らせて、後を続けた。

「都で女奴隷として仕える者は明朝にも北に出立してもらう。それ以外の者は、我ら商隊に同行し慰安の任につく事になる」


 耳慣れない言葉が多く、マアリはその意味を正しく理解することは出来なかった。が、自分たちに投げかけられる劣情を含んだ視線と焚き火に赤く照らされた男達の粗い息から、置かれた状況はおおむね想像がついた。恐れはあった。絶望もあった。しかしそれよりも、彼女の頭の中では小さな疑問が渦を巻いて轟音を立てていた。お父さんは、お母さんは、と思う。これを知りながら私を送り出したのだろうか。


 やがて兵士達に整列の号令がかかり、先程マアリの馬を出迎えたマントの男が歩み出てきた。男は手近な少女の顔を、胸元を、背を、腹を、足を注意深くねっとりと観察してお付きの兵に耳打ちし、帳面に何か書き付けさせた。次は隣の少女、その次はまたその隣の、と見分を進めて行く。マアリの順番は最後近くになるようだった。


 ……と、そのとき、兵士達の間からおおっと声が上がった。つられてマアリも声のする方を見ると、一人の少女が兵の一人に腕をひねり上げられて地面に這いつくばっていた。農民風の金髪の少女は、マアリには理解できない異国の言葉で何やら叫んでいる。脱走を図ったのだとすぐにわかった。


「こやつめ。逃げられると思ったか」

 集まった数人の兵士たちが代わる代わるその少女の顔を殴りだしたので、他の少女達は自分たちの扱いの軽さに戦慄した。マントの男に制止されて兵士達がようやく殴るのをやめたとき、少女は力なく頭を垂れて座り込んだまま動かなくなっていた。マントの男は少女達の輪に向き直ると、嘲りを含んだ目つきでぐるりと睨め付けた。

「まあ良い機会だ。貴様らがこれからどういうお役目に着くのか、よくわからせてやろう」

 そういうと彼は傍らの兵に目で合図をし、

「終わったら呼べ」

 とだけ言い残すとテントへと下がって行った。それを完全に見送ってしまうと、先程まで形式上でも礼儀を保っていた兵達の態度が一度に緩むのが分かった。

「俺が捕まえたんだ。初物は頂くぜ」

 少女の腕を掴んでいたひげ面の兵士がそう言ったのを皮切りに、少女の体に四方から手が伸びて胸と腰の薄衣を完全にはぎ取ってしまった。ひげ面の下着が地面に落ちていきり立ったものが姿を現すと、少女達の中から小さく悲鳴が聞こえた。

 件の金髪の少女は意識があるのかないのか、ぐったりと砂の地面にうつぶせに寝かされ、腰だけを持ち上げられてその秘部を焚き火の灯にさらけ出されていた。が、ひげ面の強ばりで一気に貫かれると獣のような声を出して暴れだし、それも別の兵士に頭や肩を踏みつけられてすぐにおとなしくなった。

 ひげ面は同僚たちの面白がるようなかけ声にあわせて、力任せに少女の尻に自分の腰を打ちつけていた。その濁声の間隙に少女のすすり泣きが聞こえてくる。果て際、ひげ面がひときわ大きな雄叫びを上げたのに驚いたか、マアリの隣に立っていた小柄な少女は腰を抜かしてへたり込んだ。マアリはその肩にそっと手を置いた。ひげ面が立ち上がったのでようやく少女への酷い仕打ちが終わったのかと思えば、そうではなかった。下半身を晒した兵達がまだ何人も、少女を囲んで息巻いていた。

 陵辱は四人、五人と休みなく行われた。少女はもう動かなかった。幼子に用を足させるような格好で抱え上げられたときなどは、その陰裂からしたたるように血の流れるのが見えた。破瓜のそれとは別に、傷を作ってしまったのだろう。その頃になると少女の目からは光も失せ、マアリは彼女が死んでしまったのではないかと心配になった。

 ……その凄惨な光景から、思いは違えど少女達も兵達も目を離せなくなっていた。だからだろう。彼らの背後で何が起きているか、誰もが気がつくのに遅れた。


 どさっと土塊が落ちるような音が聞こえて、マアリは背後を振り返った。その光景に思わず息をのむ。


 ——死体の山が築かれていた。


 先程まで三十人近い兵士が遠巻きに焚き火を囲んでいたはずだった。その彼らが今は、肉の塊となって転がっているのだった。

「ひっ」

 思わず引きつった悲鳴が口から飛び出た。少女達が口々に悲鳴を漏らし始める頃には、さすがに兵達も異変に気がつき怒号を上げはじめていた。

「敵襲だ! 応戦しろぉ!」

「敵だと、馬鹿な!!」

 マアリはそれを死神だと思った。

 真っ黒の長衣に身を包んだ何者かが目にも留まらぬ早さで視界に飛び込んで来、金髪の少女を陵辱していた連中の首を一度に切り落としたのだ。人間業ではない。神速で動いていたはずのその男はしかし、今では血を噴き出す肉塊の直中で、直立不動の姿勢で静かに目を閉じていた。その手にはふた振りの薄刃の短剣が握られている。それは到底人の首をはね飛ばせるような獲物には見えなかった。

 兵の残りは僅かだった。彼らは各々武器を抜き、連携して黒の男を囲んだ。長槍を持った二兵が挟み撃ちの格好で突きに行ったところを、黒ずくめの男は姿勢を低くして見事に交わし、左右の短剣を同時に投げはなって槍兵の喉を正確に貫いた……と同時に、彼は足下に転がっていた少女の胸を指で突き、その体を抱きかかえてマアリの方に投げはなった。不思議なことに、先程まで息絶えたかに見えていた金髪の少女は息を吹き返したように、足をもつれさせながらも自分の足で歩いてマアリの胸に倒れ込んで来た。

「こいつ、魔法使いか」

 兵達がじりじりと距離をとって構えを改めるのを尻目に、男は意外なほど優しい声で少女達に告げた。

「あちらへ逃げていろ。ここは戦場だ」

 言われて少女達が恐る恐る駆け出すのと、長剣の兵が男に切り掛かったのはほぼ同時だった。その一撃は男にとって問題にもならなかった。剣を振り下ろす暇さえ与えず、男は長剣兵の手首を掴んで足を払い、地面に叩き付けていた。

「ば、化け物め……」

 取り巻く兵士達の顔色が変わったのは、息も荒げず立っている黒ずくめの男の右手に、倒された兵の無惨に千切れた手首が握られていたからだった。

「お前も早く行け」

 男はきわめて冷静に、マアリを一瞥してそう言った。それまで金縛りにあったみたいに動けなかった彼女は、それでようやくはっとして、まだ動きの心許ない金髪の少女の手を引いて闇の中へ走り出したのだった。

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