薬の効果という性質について

 「百円玉」という性質を考えてみる。百円硬貨とは、日本国政府発行の貨幣であり、その表面には「日本国」と「百円」そして桜が、裏面には「100」と製造年がデザインされている。側面には103個のギザギザが存在し、その材質は白銅と呼ばれる銅とニッケルの化合物だ。


 今ここにニセの偽造100円玉があったとしよう。その外見、材質は本物の100円玉と全く同じである。しかし、本物と偽物の間には決定的な違いがあるように思われる。この違いは何だろう。つまり、本物の100円玉から偽造100円玉を引くと何が残るだろうか。


 その一つの答えが、本物の100円玉に宿っている「歴史性」であろう。偽造100円玉には適切な歴史性が欠如している。この文脈でいう適切な歴史性とは造幣局で製造されたという事実や、それを権威づける出来事の数々である。


 このように100円玉という性質は大きく、内在的な性質と外在的な性質に分けられる。形状や材質は100円玉に潜在的に宿っている内在的な性質である。しかし、100円玉足らしめている適切な歴史性というのは100円玉そのものには潜在的に存在しない。それはあくまでも外部の出来事によって付与された外在的な性質といえよう。


 実は性質に関する議論において、この内在的、外在的の区別はかなり重要である。ある薬物が「毒」という性質をもっているか、あるいは「薬」という性質をもっているか、僕たちのナイーブな直観によれば、毒性や薬性は薬物の側に潜在的に存在すると考えがちである。つまり、毒性や薬性という性質は内在的性質と捉えている傾向がある。


 しかし、マウスにとっては毒でも人にとっては有益な作用をもたらす薬である可能性はありうる。(例えばボツリヌス毒素[ボトックス®])毒性、薬性という性質はあくまでも薬物とマウス、薬物と人との間の関係的性質であり、これは薬物そのものに潜在的に備わっている性質ではなく、明らかな外在的性質である。


 「この薬は良く効く」という場合、基本的には「~にとって効果があった」という主観的なものということができるだろう。これは薬を飲んだ人間側に存在する効果と言える。にもかかわらず、僕たちは「この薬には効果がある」という言葉にも違和感を抱かない。あたかも薬の側に効果があるように語ることはむしろ日常的には多いはずだ。それが故に、外在的性質と内在的性質を混同してしまう。


 薬の効果について考えてみれば、その物質としての化学構造式が一定の条件下で決まった種類の特徴を発現することは間違いない。これは薬理作用ともいえるが、こうした性質は薬そのものに潜在的に宿っている内在的性質であろう。化学構造式によって薬理作用が発現する傾向性が備わっているともいえ、因果基盤となるものである。


 他方、”ある人には効いた薬がある人には効かない”という性質は、「人によって~」という仕方で記述される関係的性質である。こうした外在的性質には常に人の認識という「関係項」の存在が不可欠である。


 どちらの性質を重視するかによって薬剤効果の価値観形成を大きく左右する。だからこそこの2つの性質は区別し、立場によって関心の向け方を柔軟に変えていかねばなるまい。とかく薬の研究開発という文脈においては内在的性質を重視した方が良いかもしれない。しかし、臨床における意思決定においてはやはり関係的性質を軽視すべきではないだろう。実際に言語化される薬の性質は人の認識を介した外在的性質であるからだ。

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