――2――

 すでに午前零時すぎ。シャワーを浴びた私は、倒れ込むようにベッドに横になった。


「初見先輩……。LINEメールも既読にならないし、まだ警察に拘束されてるのかな」


 事故の後、警察による実況見分が行なわれた。私は先輩とは別々に話を訊かれた後で、迎えに来た母親とともに家に帰り、長いお説教の末に解放されたばかりだった。


 警察には、少年が自ら車にぶつかってきたこと、接触の際車はほぼ停止していたことを訴えたものの、担当警官は先輩の過失だと言わんばかりにこう告げた。


「加害者はみんな同じような主張をするんだよね。警察に証拠を突きつけられるまでは」


 すべてはあの華奢な少年のせいだ。そういえば、あの後彼はどうなったのだろう?


 事故直後、少年は仰向けに倒れたまま動かなかった。気掛かりだった左手首はちゃんとついていた。意識はあるらしく、私を見て呻くようにこう言った。


「は、な――や……さん」


 はなやさん? 周囲に花屋なんてなかった。頭を強く打ったのかもしれないと思った私は、すぐに救急車を呼び、少年は病院に運ばれていったのだ。


 静まりかえった部屋の中で、私はグレーのスマホを手にとった。事故後にポシェットの上に載っていた、持ち主不明のあのスマホだ。


 少年が車と接触した瞬間、私は彼の左手首から先だけが、サイドウィンドウを突き抜けたように見えた。目の錯覚だと思ったけれど、もしやあのとき少年が落としたのでは?


 でも、どうやって? 何かのマジック? 彼は何者で、何で先輩の車に飛び込んだの?


 このスマホの中に、その答えがある気がした。そしてそれは、先輩の無実を証明する鍵になるのではないか。そう考えて、私は警察にスマホの存在を話さなかったのだ。


 私はグレーのスマホに向けて両手を合わせ、ここにはいない持ち主に向けて謝った。


「ごめんなさい。ちょっとだけ覗かせてもらいます」


 スマホを起動させて、適当な四桁のパスコードを入力してみる。もちろんロックが解除されるはずもなく、繰り返すうちに画面が固まってしまった。


「やっぱり駄目だよね。せめてあの子の生年月日でもわかればいいんだけど……」


 いきなり壁にぶつかり、ため息が漏れる。誰かの助けを求めて連絡帳を彷徨っているうちに、ある名前に目がとまった。そうだ、彼女ならば――。


 私はその人物の連絡先をプッシュした。呼び出し音はたったの一回。


『久し振りだね、織江おりえ真夜さん。5月に偶然電車で会って以来かな。で、何の相談?』


「あ、川瀬かわせさん、久し振り……って、どうして相談だってわかったの?」


『これまで君から私に話しかけるときは、たいがい相談事だったじゃないか』


 鋭い指摘をする彼女の名は川瀬瑠衣。私の小・中学校の同級生で、周囲から一目置かれる天才少女だった。それでいて偉ぶるでもなく、誰にでも平等に接する奇特な人物で、中学時代16件だった私の連絡先の中で、彼女の名前は神々しく輝いていた。


 川瀬さんは今、名門女子大学付属の一貫校に通っている。相手をフルネームで呼ぶ癖があって、5月に突然電車で話しかけられたときも少し恥ずかしかったのを思い出した。


「相談事ばかりでごめんなさい。それもこんな時間に……」


『謝る必要はないよ。起きてたし、友人の相談に乗るのも嫌というわけじゃないから』


 友人という言葉をうれしく思いつつ、私は川瀬さんに今日の出来事を話した。


 ただし少年の左手首の件は省き、スマホも彼の傍らで拾ったことにした。


『つまり先輩の無実を証明するために、そのスマホから情報を得たいと? 拾ったスマホを警察に届けない行為が、遺失物横領罪もしくは窃盗罪で罪に問われるとしても?』


「う……、うん」


『わかった。じゃあそのスマホを起動して、8、7、8、3、って入力してみて』


 言われるままにパスコードを入れる。すると画面に、アイコンたちが現れた。


「あっ。ホーム画面になった。どうしてわかったの?」


『少年の言った《花屋さん》って、7《な》8《や》3《さん》の語呂合わせじゃないかと思っただけ』


 さらりと告げる川瀬さん。さすがは天才。おかげで第一関門を突破するとともに、少年がグレーのスマホの持ち主だと確信できた。


『しかし何でまた君にパスコードを……。救急車を呼んでもらうにしては――』


 川瀬さんは何やらブツブツ呟いた後で、さらなる指示でスマホから情報を引き出した。


 君島きみしま優一ゆういち――それがあの華奢な少年の名前らしかった。他にも電話番号やメールアドレスがわかる。連絡先はたったの13件。以前の私より少ない。メールの履歴もほとんど空で、どんな経歴の少年なのか少し心配になった。


『とりあえず名前がわかっただけでも前進だね。こちらでもちょっと調べてみるよ』


 川瀬さんはそう告げて電話を切った。

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