―2―
「ついに私にたどり着いたんですね。それは褒めてあげます。ですが、肝心なところでヘマをしましたね」
理解できないことを喋り続けていた。僕はもちろん、香澄も不思議そうだ。
「見られたからにはただですましません」
女の子は床に置かれたバッグに近づくと、ごそごそやり出した。
僕と香澄は仰天した。制服姿の少女が取り出したものは、削岩機だったのだ。山にトンネルを掘るときや、ビルの解体工事で使うあれだ。
少女は紐を引っ張ってエンジンを駆動させる。腹に響く音が続き、合金の棒が激しく前後した。
「待った待った待った! なにそれ!?」
「打撃式削岩機です。知らないんですか」
やかましいエンジン音の中でも、少女の声は不思議と聞こえた。
「これであなたたちを粉々にしようと思います」
「やめてくれ!」
「嫌です」
ゆっくりと近寄ってくる。削岩機を操作する動きが手慣れていた。
「勝手に入ったのは謝るし、ここから出てくから! 見逃して!」
「断ります。私を見られたので」
「君、なんなんだよ」
「シリアルキラーです」
もったいつけておらず、むしろ淡々とした口調だったが、僕は目を丸くしてしまった。隣の部屋の住人は本当に殺人鬼だったのだ。
室内にろくな荷物がなかったのもこれで納得できる。香澄の推測したとおり、証拠を残さないためだ。居場所を変える直前だったんだろう。僕たちはよりにもよって、シリアルキラーの懐に飛び込んでしまったのだ。
「君のことは黙っているから、逃がしてくれ」
「獲物がやってきたのに、わざわざ手放す殺人鬼がいますか?」
「僕には親兄弟も友達もいるんだ」
「私にだっています」
サイコパスじみた返答にはもはや絶望しか感じない。
ビットと呼ばれる尖った棒は激しく振動していて、いかにも痛そうだ。こんなのを軽々扱うなんて、どういう高校生なんだろうか。
ふと、彼女は不思議そうな顔になった。
「……どうして男女二人組なんです?」
「え……?」
「あなたたち付き合ってるんですか?」
僕と香澄は思わず顔を見合わせた。
「違うけど……」
「カップルじゃないなら、カップルになってもらいます」
意外な言葉につい聞き返した。
「なんで……?」
「だってただの男女二人に穴を開けるより、カップルの方が箔がつくでしょう」
どういう発想だそれは。
当人は真剣らしい。なぜなら削岩機の先端を、僕に向けたからだ。
「今からでも隣の人と付き合うって言って下さい」
「言ったからってどうなるものでも……」
「実際に付き合うんです」
削岩機を振りかざした少女に逆らえる人間はそうはいない。僕は従った。
「付き合うよ!」
「誰と」
「か、香澄と」
「真剣さが足りません」
少女の声が低くなった。
「好きなんですか嫌いなんですか」
「好き……かな」
「かな?」
ういいいん。僕は叫んだ。
「香澄のことが好きだよ!」
「結婚したいくらい好きですか」
「結婚したいくらい好きだよ!」
事実だった。
好きか嫌いかでいえば、間違いなく好きだ。ちょっと性格がおかしいけど、そういうところも含めて愛している。香澄を理解できるのは僕しかいないとも思っている。だいたい本気で迷惑だったら問答無用でうちから叩き出していた。
同時に削岩機が止まった。
「……これで大丈夫です」
少女が言う。彼女は僕たちをバラバラにする代わりに、削岩機を床に置いた。
「気持ちが分かってよかったですね」
この台詞は僕にではない。隣の女性、香澄に向かってそんなことを言っていた。
香澄は気恥ずかしそうにうつむいていたが、照れたように口を開く。
「あ、ありがとう……」
「いえ」
僕はぽかんとした。
「香澄……知ってたの?」
「私から説明します」
少女が口を挟んだ。
「私の父は時間の流れを管理しています。ある日、結婚するはずだったあなたたちの意識にズレが見つかりました。このままだと離ればなれになって二度と交わりません。ですから私が派遣されました。まず香澄さんに会って気持ちを確認し、少々荒っぽい手段で元に戻したわけです」
「未来の人間だったの!?」
「はい。あのパソコンで父と連絡を取り合っていました」
つまり、この部屋が素っ気なかった理由はシリアルキラーだからではなく、ここに住んでいなかったからなのだ。ときおり聞こえた声は独り言ではなく、通信のためだ。
「将来結婚してもらわないと、時間管理技術のパラダイムシフトが発生しませんので」
「君、なにものなの?」
「察しが悪いですね」
そう言われて、ようやく僕は気がついた。
「僕の子孫か!」
まじまじと彼女を見つめてしまった。言われてみれば、どこかに香澄みたいな雰囲気がある。僕自身の印象があるかと言えば、そっちは分からない。
「あまり見ないでください」
「なんでシリアルキラーとか言って脅したんだよ……」
「祖母がそういう話、大好きでよく聞かせてくれるんです」
ということは、僕と香澄の孫なんだ。
彼女は用はすんだとばかりに削岩機とノートパソコンをバッグにしまい、肩にかけた。
「私は帰ります。次に会えるのは、五十年後くらいでしょうか」
「削岩機で脅すような孫にはお年玉あげないぞ……」
「それくらいのペナルティーは甘んじて受けます」
「やっぱ結婚やめたってことになると……」
少女は無言で削岩機のスイッチを入れる真似をする。僕は余計なことはいっさい口にしないと決心した。
「ではおばあさま、もうおじいさまを手放さないでください」
「あたし、おばあさん扱いされる年じゃないよ」
「知ったことではありません」
少女は来たときと同じく、制服を着たまま去って行った。
あとにはなにもない部屋と、僕たちだけが残された。僕はゆっくりと香澄の方を向く。
「……香澄は知ってて、この部屋入ったの?」
僕の質問に、香澄は珍しく狼狽していた。
「そうしろって頼まれたの。半信半疑だったけど、あの娘も結構必死だったし、ああいう可愛い孫なら欲しいかなって」
「僕たち死にかけたよ?」
「危険はないって言われたから! 騙したのは悪かったって思ってるよ。本当にごめん。でもあれくらいじゃないと付き合えないって思ってたし、二人っきりだったの楽しかったし、殴られてもDVって訴えないから。だから、だからあたしと……」
僕はなにも答えない。ただ彼女を抱きしめた。
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