「──自分だけ言わないって、ずるいよな」


 夕方になって、僕とメガネは恵比寿屋を出た。

 自転車置き場になってるビルの脇。籠の中にそれぞれの荷物を突っ込む。

 僕はメガネの肩を後ろからガッと引き寄せて、ここまで考えたことを打ち明けてみる。


「やっぱりさ、ヤクザの愛人とかなのかな」

「……愛人」

「そうだよ。夜はキャバ嬢なんかでさ。なら昼は休みでもおかしくない」


 関係ないけど至近距離で見るメガネは、女の子みたいに睫毛が長くて僕をむかつかせた。


「……キャバジョウって?」

「さあ。とりあえず父さんを盗った母さんの敵らしい」


 詳しいところは僕も知らない。


「……違うと思う」

「じゃあ何」


 メガネはふっつり黙り込んでしまう。なんだよ、やっぱりわからないんじゃないか。


「もういいよ。帰るわ」


 僕は言って、自分の自転車にまたがる。

 お互い学区が違うから、この店の前でもう別々の反対方向へ走ることになる。


「じゃあね」


 背中同士、声だけが重なった。

 向こうがこれからどんな家に帰るのか、僕は知らない。スイミングをさぼっていることは、今日知った。

 ヤマダさんちに赤ちゃんが産まれたとかさ。なんだか初めて聞くことばっかりだった。




 家に帰って、テレビに向かってゲームを始めたところで、母さんも仕事から帰ってきた。ちょうどいいタイミングだった。


「ただいま。何か変わったことはあった?」

「ううん、べつに」

「変なとこに寄り道してないわよね。ゲームセンターとか」

「ないない」

「乱暴な男の子と遊ぶのもなしよ。もう五年生なんだから」


 僕は画面のモンスターを倒しながら頷く。僕は神に誓ってゲームセンターには行ってない。遊んだのはヒゲジイとメガネとセレブさんだ。どれにも違反していない。

 母さんは座ることなくエプロンを着けて、夕飯の準備に台所に立つ。


「来週ね、調停で半休取るから。今日みたいに寄り道しないでお留守番しててね」

「わかってる」

「宿題は? もうやった?」

「まだ」

「じゃあ暇してる今のうちにやっちゃいなさい。終わったらご飯できてるから」


 僕がゲームをやっているのに、どうして『暇』に見えるのか理解できないよ。

 文句を言えば倍で返ってくるのがわかりきっていたから、僕は涙をのんでゲームを中断。腰を上げてリビングを出た。


 自分の部屋のドアを開けると、タンスの上に置いたペンギンの貯金箱と目が合った。

 もう何年も前──僕が『サクラ』の称号を貰うようになったきっかけであり、証だ。

 これは恵比寿屋でも、レア中のレア魚を釣り上げた時に貰った景品だ。

 ピンク色で三つ尾の、桜和金だった。だからサクラ。


 父さんに連れられて行った恵比寿屋で、僕はその幻の和金を釣り上げた。薄紅色の金魚は、あの頃の僕の手のひらに乗るぐらい小さくて、綺麗だった。

 一緒に釣ったはずの父さんは、気がついたら家に帰らなくなった。母さんは仕事を休んで平日の裁判所に通う。その父さんと離婚するために。


 貯金しない貯金箱なんて捨ちゃいないさいと母さんは言う。でもそうしたら僕は『サクラ』じゃなくなってしまう。

 だから僕は、もう一回あの魚を釣る必要があるんだよ。どうしても。




 そんな感じに、一週間がまた過ぎて。僕は自転車を漕いで恵比寿屋に行った。


(──なにこれ)


 商店街の途中に、見慣れない黒の乗用車が停まっていた。

 車の横では背広姿で強面のおっさんと、柄の悪そうなアロハを着たおっさん、ドクロのTシャツを着たスキンヘッドの兄ちゃんっていう面子が、固まって話している。


「いたか?」「絶対にこのへんなんだが」「逃がすなよ」なんて会話が漏れてきて、僕は真面目に震えそうになった。


 二階のドアを開けて、いつもの面子の顔を見た時はほっとしたよ。

 メガネがこっちを見たから僕は手を上げて、ついでにセレブさんに言った。


「ねえねえセレブさん。表に停まってる車見た?」

「──は、車?」

「ヤクザみたいな連中が周りにたまってて、誰か探してるみたいなんだよ。もしかしてセレブさんのことだったりして」


 僕としては、一級のジョークのつもりだったんだ。

 なのにセレブさんの化粧増し増しの顔から、血の気が引いた。真っ赤な唇まで引きつてしまう。


 え、え、え?


「まずい……」

「──いたぞ! 奥だ!」


 ふいに僕の後ろで、ドアが開いた。

 そのまま踏み込んできたのは、まさしくあのヤクザ三人組だった。嘘ぉ!


「お願い。まだ大丈夫なはずよ。見逃して」

「聞けない相談ですなあ。まあここで会ったが百年目。年貢の納め時ということで」


 アロハのおっさんが、にやにや笑いながらセレブさんを追い詰める。

 ドクロTシャツの人と、背広の強面の人が両脇から、嫌がるセレブさんの腕を無理矢理つかんだ。拉致か連行って感じだった。


 ちょ、これやばいんじゃないの?


「仕方ないよ、サクラ。悪いのはセレブさんの方だ」


 横でぼそっと、メガネが言った。僕はこの時ほど、メガネが病んでいると思ったことはない。


「……月刊ジャンボ編集部の人、ですよね」


 メガネの言葉に、アロハのおっさんも、拉致中のセレブさんも両方止まった。

 ジャンボ編集部って、あの漫画雑誌のジャンボ? アクションものからラブコメまでなんでも載ってる。僕も時々読んでるけど。

 セレブさんが、忌々しそうにメガネを見る。アロハのおっさんが、一拍遅れて笑った。


「……そう。正確には私が編集長。そこの坊主が担当編集。背広が営業」

「こちら、看板作家の牧島あぽろ先生です」


 ドクロTシャルの人が、セレブさんを捕まえたまま、うやうやしく紹介する。

 ジャンボの漫画家さんが……セレブさんなの。


「だから、子供は知らない方がいいって言ったのよ。夢が壊れるから」

「締め切りに間に合えば、優良作家として胸が張れると思いますよ先生」

「落としたことはないでしょう! ここでしかアイデアがまとまらないんだから放っておいて!」


 漫画家……確かに、昼間うろついててもおかしくないかもしれないけど……。


 セレブさんはキーキー叫び、最後は泣き落としもしながら出版社の人たちを追い出した。追い出された三人は、ビルを出ても「ネームの締め切りは今夜中ですよ!」と叫んでいた。

 なんていうか、本気で人騒がせな人だな。


「……いやはや、人は見かけによらない、ですな。わしは裏表のない年金世代ですが」


 最後はヒゲジイが、なんかいい感じにまとめたつもりでギンブナを釣り上げる。サイズは七センチ。それは別にいいんだけどさ。


「メガネはなんで知ってたの?」


 前から知ってて、ずっと黙ってたんだよね。セレブさんのこと。


「……コミックス。著者近影」

「あ」

「サングラス描き足したら同じ顔だった」


 それ以前に読者だったのか、メガネ。


「サインとか言いだしたら、絶対嫌だと思ったから、言わなかった」


 それを聞いたセレブさんは、ふっと小さく笑った。なんか嬉しそうだった。


「今度描いてあげようか。好きなキャラでもなんでも」

「いいよ。いらない」

「遠慮しないの」


 それでもメガネは断り続ける。わかっていてセレブさんは持ちかけてるんだと思った。メガネがいい奴だから。

 僕もなんだか嬉しかったんだ。恵比寿屋にあった、なんとなくの暗黙の了解。ここにいればみんな対等。どんな人間が、何を背負ってようが関係ないんだって。それがちゃんと守られたような気がしたから。


「──見つけたわよ」


 でも、そんな僕の肩に、後ろから手が置かれた。

振り返れば──メガネ以上に病んで目をつり上げた、母さんが立っていた。


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