一、獣爪の独楽と幽霊騒動
第2話 一、獣爪の独楽と幽霊騒動
――地獄の門が開き、大地は火に飲まれた。
豊穣の神レスタナは水と風を産み、火を消した。
レスタナは力を使い果たし倒れた。
レスタナの骸からヤマモモが芽吹き、その御業は失われた。
俺の愛する故郷、レスターナ王国に伝わる土着神話の一節だ。ヤマモモはレスターナの土地そのものを表している。だから国の象徴はヤマモモの実なんだ、と子供の頃に父から教わった。
父はこうも言っていた。“神秘はまだ失われていないはずだ”と。
干したヤマモモを齧りつつそんなことを思い出しながら、俺は黄土色の長い廊下を歩いていた。
岩石を掘り出して作られた廊下に、継ぎ目は一つも見当たらない。右の壁から左の壁までおよそ七歩分の幅。ほぼ同じ比率で上下左右の壁が構成されている。
地面には白い砂塵がくるぶしの高さまで積もっていて、何度も足を取られる。身体のバランスを崩すたびに、荷物袋が肩へと食い込んだ。
右の壁に穿たれた、手のひらほどの小さな明かり取りの窓を覗けば下方、穏やかな海が遥か彼方の水平線まで広がっている。
正面やや上方には昼下がりの太陽が自身を輝かせていて、思わず目を細めた。
廊下へ目を戻すと、明かり取りから西日が射して、宙の埃がきらきらと舞う。
淡く柔らかい光線に照らされた壁の彫刻が、古代の物語をなぞっていた。
神殿遺跡。
西レスターナ地域を東西に分ける、南北に連なる峰々のさらに西、平地林を抜けると海岸線へ突き当たる。
いくつもの岩の柱が屹立した海食崖の一部、奥まった入り江にある岩壁の中ほどをくりぬく形で建立された神殿は、この国の建国以前からそこにあるという。
地元の漁師は遺跡の存在に気付いていたが、辿りつく方法がなかった。
海上の小船から遺跡を見上げれば、登るには無茶な高さだと理解できた。
崖の上から縄を伝い降りても庇状に張り出した斜壁に阻まれ、手足が届きそうにない。
俺はその話を聞いて、補強した麻縄と鋼鉄の鉤爪を用意した。崖壁に鉤爪を打ち込み、縄で体勢を保持しながら崖を登ったのだ。日の出に登り始め、正午には神殿の入口に到着した。
我ながら良いアイデアだと思うが同僚には馬鹿にされた。同僚曰く、「思い付いてもやらないし、お前にしかできない」と。
静かだ。波の音は聞こえず、砂を踏む足音と息づかいだけが耳に届く。この広い世界に、もはや俺一人しか居ないのではないかという気になってくる。
やがて廊下の突き当たりが見えてきた。何かある。
人を象った、等身大の石像だ。廊下を進んできた俺と向き合う形でそこに立っている。
左手に彫刻の鳥像、右手に黒曜石の短杖を持ち、裾の長いローブを着ている。フードを被っていて顔は見えない。
ローブの皺まで彫りこまれた精緻に目を奪われた。
麻袋から古文書の写しを取り出して、古語の文章を確認する。
文献に書かれている通りなら、おそらく、これが探していたレスタナ神の像だ。
長い歴史の中でいつしか失われた神の偶像。レスタナ神の姿を描写した文献は一つも残っていないから、これは貴重な資料になる。
俺は本来の目的を後に回して、とりあえず像を調べる。
皮手袋をはめ直して像に歩み寄る。一歩ずつ慎重に。慎重に。
間近で見ても精巧な造りだ。手の甲に浮き出した血管まで彫刻されている。
ええと、少なくとも二千年以上前に作られた石像だ。もっと古いかもしれない。よく風化しなかったな。
フードの影に隠れた部分を確認すると、青年男性の凛々しい顔がそこにあった。眼球の造形に思わず息が止まる。虹彩までしっかりと表現されたその瞳は、人間の眼球をそのまま嵌めたように見えて、思わず身震いをした。
これは――宝石が嵌められているのか?
像が見ている方向は、俺が歩いてきた廊下の先だ。
通常、崇拝対象となる偶像は、顔を向けている方角に何らかの意味がある。
太陽を司る存在の像であれば夏至に太陽が昇る方角、水を司る存在なら一番近くにある海や河川、といった具合だ。
「レスタナは水と風を産み、火を消した」
水。つまり海。像から見て左側。
明かり取りから真っ直ぐ西日が射しているから、海は西だ。
風。昼間は海から陸に向かって風が吹く。凪を経て、夜間は逆向きの陸風に変わる。
火。この近辺に火を噴く山はないが連峰なら東にある。
像が向いている方角は北。
……おかしい。
レスタナの像なら東西のどちらかを向いていなければ不自然だ。そして、水を作ったでも風を吹かせたでもなく、産んだ。産むことができるなら、それは女神のはず。
地面に視線を外すと砂に埋もれた台座に何か書かれている。砂を払うと、古語の一文に目が止まった。
“使者の眼を覗いてはならない”
「くそっ、先に書いておいてくれ……」
顔を上げると像の眼が俺を見てまばたきをした。
ああ、まずい。
腕が、脚が、首が、身体が徐々に動かなくなっていく。
呪いを掛けられた。
咄嗟に眼を逸らし、力を振り絞って前方へ一歩踏み出す。
地面に顔を向けたまま像の右手から短杖を抜き取り、後方へ全力で走った。
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