(7)ちょっとした思い付き
領地に向けて出発する朝。部屋を出て食堂に向かって歩き出したクレアは、後ろから駆け寄ってきたセレナが、朝の挨拶もそこそこに話を切り出してきて面食らった。
「クレアさん。おはようございます! 私、昨晩考えてみたのですが」
「え? 何をですか?」
「ほら、昨日エリオットに言われた、二人で熱愛夫婦の演技をするという“あれ”の事です」
「ああ、“あれ”ですね。それがどうかしましたか?」
追い付いた彼女と並んで歩き出しながらクレアが尋ねると、セレナは真面目な表情で話を進めた。
「これまで見本になりそうな夫婦やカップルに遭遇した事が無くて、具体的にどうすれば良いか分からなくて。そもそも我が家は社交に疎くて、今まで男の人とそういったお付き合いをした事もありませんし」
「そうですか。それなら私に合わせてくれれば、何とかなるかと思いますが」
「頼りにしています。その他に、仲の良い女の子同士の付き合いを参考にしてみようと思っています」
「女の子同士?」
意味が分からず首を傾げたクレアに、セレナが苦笑いしながら説明を加えた。
「はい。貴族間ですとさすがにマナー違反の行為はできませんが、これまでに領地で庶民の女の子達の様子を観察していると、彼女達は本当に仲が良さそうな、遠慮の無い振る舞いをしていました。それを思い出したので、その延長上でやってみようと思いまして」
それを聞いたクレアは、さほど悩まずに同意した。
「それは面白そうですし、セレナがやり易そうならそうしてみましょうか」
「はい。“クライブ殿下”がクレアさんで良かったです。相手が女性だと分かっているから、幾らくっついても抱き付いても平気ですし」
満面の笑みでそんな事を言われたクレアは、思わず笑いを誘われながら、彼女に向かって左肘を軽く曲げながら付き出す。
「やる気満々ですね。それならまず手始めに、食堂まで腕を組んで行きましょうか。今日はお誂え向きに、朝から男装をしていますし」
「ええ、クライブ。そうしましょう」
その腕にセレナは自分の右腕を絡め、二人は笑顔で食堂に入って行った。その後、家族全員で朝食を済ませてから、出発に向けて使用人達が忙しく荷馬車に荷物を積み込む間、レンフィス伯爵家の面々は思い思いの場所で過ごしていた。そんな中クレアは、じきに到着予定のかつての側近達を出迎える為、応接室で時間を潰していた。
「クライブ様。同行されるパトリック様とコニー様が、ご到着になりました」
侍女の一人がやって来て待ち人の来訪を告げた為、クレアはそれに笑顔で頷き、彼女に指示を出した。
「ありがとう。二人をこちらに通してください」
「畏まりました」
恭しく一礼して彼女が出ていってから、クレアはゆっくりとソファーから立ち上がり、小さく呟く。
「さて……、これからが正念場ですね。怪しまれないように、きちんとそれらしく振舞わないと」
そこで深呼吸して息を整えたクレアは、メイドに先導された二人を落ち着き払って迎え入れた。
「クライブ様はこちらでお待ちです。それではお二方の荷物を、こちらで荷馬車に積み込んでおきますので」
「お願いします」
「やあ、パトリック、コニー。久しぶりですね。今回は私事にあなた達を巻き込んでしまって、申し訳無いと思っています」
案内してきたメイドが下がると同時に、まずクレアが軽く謝罪の言葉を口にすると、コニーが勢い込んでそれに反論しようとした。
「いえ、クライブ殿下、それは」
「コニー、私はもう殿下ではありませんが?」
「申し訳ありません、バルド大公」
やんわりと、しかし有無を言わせぬ口調で指摘したクレアに、コニーは苦笑しながら現在の“クライブ”の肩書きに言い直す。するとパトリックが、少々申し訳なさそうに弁解してきた。
「新婚早々のお二人の領地行きに随行するなど、お邪魔虫と言われても弁解できません。ご夫人共々、あまり気を悪くしないでいただけたら幸いです」
「そこまで気にしなくとも良いですよ? 私も久しぶりにあなた達と接する機会を持てて嬉しいですし、セレナの自慢も好きなだけできますから」
「それはまた……」
「自慢話にも、好きなだけお付き合いしますよ」
これまでご学友兼側近として、“クライブ”の人となりを熟知していた二人は、あからさまに嫌な顔はされないだろうと予測していたものの、堂々と惚気るなどと口にするとは思っていなかった為、揃って意外そうな顔になった。そこで唐突に、セレナが室内に飛び込んでくる。
「クライブ! 万事抜かりなく、準備が整ったそうよ! 本当に二人で一緒に旅ができるなんて、夢みたい! 領地は辺鄙で目新しい物なんか無いけど、結構良い所なの! あなたに早く見せてあげたいわ!」
「ええ、あなたを育んだ所ならば、この国の中でも一、二を争うほど魅力的な所に違いないでしょうね。私も楽しみです」
「それにね? 向こうに着いたら」
「セレナ。あなたがこの旅をとても楽しみにしていたのは分かりますが、まず私の友人達に挨拶をして貰えませんか?」
「え? ……あ!」
自分達の横を駆け足で通り過ぎ、クレアに抱き付きながら楽しげに語りかけるセレナを、パトリックとコニーは呆気に取られながら眺めていた。しかし苦笑まじりにクレアが指摘した事で、セレナは背後を振り返り、慌てて彼らに一礼する。
「申し訳ございません。パトリック様、コニー様。真っ先にご挨拶しなければならないところ、大変失礼いたしました。結婚式ではご列席いただき、誠にありがとうございました」
「多少無作法なところを見せてしまいましたが、彼女はいつもは慎ましやかな女性なので、誤解しないでくれると嬉しいです。ただ時々、私以外の人間が目に入らなくなってしまうだけなので。かく言う私も、時々セレナ以外の人間が目に入らなくなってしまう時がありますが」
「いえ、決して無作法などとは……」
「仲が宜しくて、結構ではないかと……」
微笑みながら平然と述べられた言葉に、男二人は笑顔を微妙に引き攣らせながら曖昧に頷いたが、セレナは多少恥ずかしさを誤魔化すように言い返した。
「いやだわクライブ。お互い、そこまで酷くは無いでしょう?」
「いいえ、この屋敷内の皆が言っていますよ? この前は『未婚の使用人の中には、時々目のやり場に困ったりいたたまれなくなっている者がおりますので、自重していただけたら嬉しいです』と言われましたし」
「まあ! 一体誰? そんな事を言ったのは?」
「さあ……、誰だったかな?」
「クライブったら! まさか面白がっていないでしょうね?」
「面白がってはいないが、周りの皆に、幸せのお裾分けはしようと思っているよ?」
「もう! そんな事だから、皆が面白おかしく話す事になるのよ」
どう見ても他人が目に入らない状態での痴話喧嘩にしか思えず、そんな二人の会話にとても割り込めないパトリックとコニーは困惑気味に顔を見合わせていたが、ここでエリオットとフィーネが、出発の準備が滞り無く済んだ事を知らせにやって来た。
「クライブ義兄上、姉様。出発の準備が整ったそうです」
「お二方ともご苦労様です。クライブ様、セレナ。あなた達に同行する者全員、正面玄関に集まっていますからね」
「そうですか。それではセレナ、パトリック、コニー、行きましょうか」
「はい。それではお義母様、エリオット、行ってきます」
「行ってらっしゃい。気を付けてね」
「屋敷の事は心配しないで、楽しんできてください」
そこでクレアとセレナは屋敷に残る者達に挨拶をしながら、正面玄関前に待機させてあった馬車に乗り込み、パトリックとコニーも預けてあった愛馬に騎乗し、一路レンフィス伯爵領を目指した。
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