(23)“クライブ殿下”の事情

「姉様、考えてみてください。王妃様がクレアさんの事を、本当に単なる死んだ息子の身代わりに過ぎないと考えていたのなら、ユリウス殿下が生まれた時点で、どうにでも理由を付けてクレアさんを殺しています。後々面倒な事になるのは、分かりきっていますし」

「ちょっと、エリオット! 幾ら何でも、そんな言い方は!」

 遠慮の無さ過ぎるその発言に、セレナはエリオットとクレアに視線を向けながら狼狽したが、クレアは冷静に彼の意見を肯定した。


「ええ、王妃様は、とてもお優しい方です。私が十分に判断力を持ち合わせたと判断された頃、全ての事情を打ち明けた上で、『必ず本来の女性としての人生を送らせてあげますし、それまでできる限りの教育を与える事を約束します』と仰って、通常の学問に加えて後で自分自身で生活が営めるように、裁縫と掃除の仕方を指導して貰いました」

「は? 裁縫と掃除?」

 いきなり言われた予想外の言葉に、セレナが面食らっていると、ゼナが笑顔で会話に加わる。


「実は私が着ている服は、クレア様が縫ってくださった物なのです。実用的な物を作る練習にするからと、他にも随分いただきました」

「本当ですか? ちょっと失礼します」

「はい、どうぞご覧になってください」

 驚きながら立ち上がり、ゼナの所まで移動したフィーネは、その衣類を間近で観察して感嘆の声を上げた。


「まあ……。縫い目が綺麗に揃っているし、ひきつれも無いわ。ゼナさんの体型にもぴったりだし、さり気なく入れてある刺繍も素敵です。随分、練習なさったのですね」

「教師役になってくれた、裁縫が得意な侍女が『色々なパターンを、数をこなして覚えていただきます』と言って、叩き込んでくれましたから。あと、窓拭きや床掃除も苦ではありません」

「仮にも“王子様”に、何をさせているのよ……」

 笑顔で説明を加えたクレアだったが、セレナはその事実を聞いて肩を落とした。するとクレアが、自分の喉元を押さえながら、静かに語り出す。


「それに……、私がこの傷を付ける事になったのは、王妃様のおかげなのです」

「どういう事ですか?」

 まるで怪我をさせられた事を感謝しているような物言いに、ラーディスが思わず眉間に皺を寄せながら無意識に睨み付けたが、クレアは特に臆する事無くそれに答えた。


「私が十三になった時、さすがに今後男性と偽るのが苦しくなるだろうと、王妃様が母国の父王に密かに連絡を取ったのです。それまでの真相を明らかにした上で、グランバル王国に私を留学させるので、そこで急死した事にして、私を一般人として生活する基盤を作って欲しいと」

「確かにその頃であれば、両国の関係は比較的良好でしたから、見聞を広げる目的での留学は可能だったかもしれませんね。国内で王子が死亡したら確実に複数の医師が診断する筈ですから、誤魔化す事は不可能ですし。あれ? でも“クライブ殿下”は、留学していませんよね?」

 納得しかけたエリオットが首を傾げると、クレアは溜め息を吐いて話を続けた。


「真相を知ったグランバル国王が激怒して、私の教育係という名目で武官を派遣しました。『そんな我が国の弱みなどさっさと処分して、男女の区別が付かない程度に切り刻むか焼き殺してしまえ』と密かに命じた上での事です」

「はい!?」

「グランバル国王は、正気ですか!?」

 度肝を抜かれたエリオットの代わりに、セレナが非難の声を上げると、ゼナが涙ぐみながら当時の事情を説明する。


「その武官は王家の縁戚に当たる方で、王妃様とも顔馴染みの方でした。クレア様をご覧になったその方は『実は国王から、こういう密命を受けている』と打ち明けられ、王妃様はその方に涙ながらに頭を下げて、クレア様の助命を嘆願されたのです」

「その方はかなり迷っておいででしたが、結局、もう暫く男女差を誤魔化しやすくする為に、私の喉を斬りつけて傷跡が残ったという偽装をし、その不手際の責任を取る形で本国にお戻りになりました。本当に良い腕でしたよ? 血は出ましたが、綺麗に浅く一直線に斬って貰って、跡も残りませんでした」

「……問題は、そこではありませんよね?」

 明るい表情で褒め称えるクレアを見て、ラーディスは呆れかえった表情になった。


「すみません、話が逸れました。それでグランバル王国では、クライブ王太子が近い将来廃される予定なのが分かった為、当初ユリウスを次の王太子に推そうとしましたが、本人の気質が国王たる器では無く、彼と年齢が釣り合う姫もグランバル王室に存在しておりません。それでリオネスを次期王太子と認める代わりに、グランバル王室の姫を彼の正妃に据える事で、王妃様との間でなんとか話がついたのです」

「それで後はどうやって、円満に“クライブ殿下”に表舞台からご退場いただくかという、唯一にして最大の問題が残ったのですね」

 エリオットが疲れたように溜め息を吐くと、クレアも沈鬱な面持ちになって話を続けた。


「その通りです。特に反対意見が出る筈も無く、十五歳の時に正式に立太子されてからは、私の周囲に配置される人間が格段に増えた上、公務で人前に出る機会も増えて……。下手な場所で、急死できませんし……」

「そうですよね……。常に周囲に誰かいる状況でしょうし、偽の死体を見られたら一巻の終わりですし。今まで聞いた王妃様のご気性だと、無関係の身元不詳の死体を用意して入れ替えるような事も、お認めにはなられないでしょうし」

「まさに、八方塞がりだな」

 思わずラーディスが口を挟んだが、ここでクレアが些か自棄気味に笑いながら告げた。


「ええ。最近ではもういっその事、“クライブ王太子殿下”は人妻との道ならぬ恋にのめり込んだ上、覚悟の出奔でもしようかと、半ば本気で考えていましたから」

 それを聞いたセレナ達は、本気で頭を抱えた。


「本当にそんな事をしたら、王室の面目は丸潰れでしたよ」

「そうね。セレナとの事は確かに身分違いではあるけれど、傍目には純愛ゆえの行動だと納得して貰っているもの」

「不倫相手と王太子探索の人員が国内くまなく派遣されて、とんでもない騒ぎになるのは確実だな」

「それにクレアさんのその目立つ髪と瞳の組み合わせだと、その人員に発見されて、“クライブ王太子殿下”と酷似した顔立ちの事も併せて、不審に思われないとも限りません」

「いや、だって本人だものな」

 大真面目にレンフィス伯爵家の面々が意見を口にしていると、クレアが心から安堵した口調で述べる。


「そんな切羽詰まった状況でしたので、多少揉める事が前提でも、比較的円満に“クライブ王太子殿下”を王族籍から抜けさせる方法を伝授してくれたレンフィス伯爵には、心から感謝しています」

「本当に、即断即決でしたものね……。父からの手紙をご覧になった直後に、筋書きを組み立ててのあの即興演技。実に、お見事でしたわ」

 微妙に皮肉を含んだセレナの台詞に、クレアは満面の笑みで応じた。


「伊達に物心ついてからずっと、男性を演じてはいませんから」

「そうですわね……。年季の入り方が、違いますわね」

「セレナの演技力も、素人にしてはなかなかの物でしたよ?」

「……ありがとうございます」

(駄目だわ。皮肉が全く通じない)

 がっくりと肩を落としたセレナだったが、ここである事を思い出したエリオットがクレアに問いかけた。

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