(13)エリオットの受難

 ユリウス王子の学友選抜と、レンフィス伯爵邸の警護人員派遣を体よく断る手段の模擬試合の為、セレナは指定された日時にエリオットと侍女のネリアと共に馬車に乗り込んだ。警護として付いたルイと迎えに来たラーディスがそれに騎馬で続いて何事も無く王城に到着すると、馬車寄せで彼女達を待ち構えていた人物がいた。


「レンフィス伯爵家の、エリオット様ですね? 私はクライブ殿下の側付きの一人である、イザーク・ラディン・シルフィと申します。クライブ殿下のご指示で、エリオット様を選抜会場までご案内いたします」

 恭しく頭を下げてきた相手を見てからチラッと兄に視線を向けたエリオットは、ランディスが無言で頷いて本人であると伝えてきたことで、深々と頭を下げた。


「ありがとうございます。宜しくお願いします」

「お任せください。エリオット様の用事が済んだ後は王城内の控え室で、セレナ様達の用事がお済みになるのを待っていただきます。そちらの手配も整えてありますので、どうぞご心配なく」

 後半はセレナに向き直り、至れり尽くせりの申し出をしてきたイザークに対し、彼女は申し訳ない気持ちで一杯になった。


「ご配慮、ありがとうございます。あの……、クライブ殿下の側付きの方々には、今回は多大なご迷惑をおかけしたと伺っております」

 そう言って頭を下げた彼女だったが、彼は苦笑しながら断言した。


「いえ、セレナ様に頭を下げていただく理由はありません。殿下が思慮深く、私どもの目が行き届かなかっただけの事です」

「決してそのような事は無かったと思いますが」

「クライブ殿下の側付き全員、今後は一層気を引き締めて精進し、リオネス殿下にお仕えする誓いを立てております。寧ろ己の慢心を戒める、良い機会でした。本当にお気になさらず」

「……そう言っていただけると、気が楽ですわ」

 セレナが何とか笑顔を浮かべながら応じると、イザークが再度頭を下げる。


「それではセレナ様、失礼いたします」

「宜しくお願いします。エリオット、失礼の無いようにね?」

「はい。気を付けます」

 そこでエリオットは姉達と別れ、イザークに先導されて王宮を進んで行った。そして少し歩いたところで、イザークが斜め後ろを振り返りながら声をかけてくる。


「エリオット様はなかなか聡明な人物だと、クライブ殿下からお伺いしていますが」

 そこでエリオットは相手を見上げながら、かなり控え目ながらも自分の思うところを主張してみた。


「あの……、申し訳ありません。年上で身分も上の方から『様』付けで呼ばれたり、丁寧な口調で話されるのは少々……」

「落ち着きませんか?」

「率直に言えばそうです」

 その申し出にイザークは小さく笑ってから、口調を改めて話を続けた。


「分かった。それではエリオット君は、今日の選抜試験に受かる自信はあるかな?」

「選抜方法は伺っていますが、選抜基準が明確でありませんので、全く分かりません」

「へえ? そうきたか」

 益々おかしそうに笑ったイザークに、エリオットはその理由を付け加えた。


「今回求められるのは、ユリウス殿下の『ご学友』とのお話でした。素人考えで申し訳ありませんが、そうなると殿下が学習している内容より側付きの習得レベルが低過ぎるとお話にならず、かと言って高過ぎると必要ないでしょう。交流に関してもどの程度の寛容さをお持ちかどうか、それで相手の家格の幅が随分違ってくると思います」

「つまり、ユリウス殿下の能力とご器量を全く知りようがないので、自分が求めに応じた人材がどうか判断できないと言う事かな?」

「はい、そうです」

 冷静に頷いたエリオットを見て、イザークは感心したように頷く。


「君は今、十歳の筈だが。それでそこまで咄嗟に理路整然と言えるとは、なかなか凄いよ。さすがはクライブ殿下直々に、推薦されただけの事はある」

「ありがとうございます」

(本当はめんどくさいし、ちっとも嬉しくないけど)

 笑顔で礼を述べながら、エリオットは早くもうんざりしていた。するとここでイザークが、更に不愉快な事について言及してくる。


「君は候補者として急に名前が挙がったし、今日集まる者の中では最年少の筈だから、一言忠告しておきたいんだが……」

 多少言いにくそうに切り出されたエリオットは、その内容をすぐに察した。


「それは、グレナース伯爵令息の事でしょうか?」

「知っていたのか?」

「はい。この選抜試験の案内と一緒に届いた、クライブ殿下が他の受験者全員について書いてくださった私信の中に、一応警告らしき内容がありました」

 エリオットの反応に驚いたものの、すぐにイザークは苦笑を深めながら激励してくる。


「これは余計なお節介だった。クライブ殿下が何も考えておられない筈がなかったな。それではそれを踏まえて、頑張ってくれたまえ。くれぐれも推薦された殿下の顔を、潰さない程度にね」

「はい、頑張ります。案内していただき、ありがとうございました」

 一つのドアの前で足を止め、そこを開けながら室内に入るように促したイザークに、エリオットは一礼してから入室した。

 その部屋には十程の机と椅子が並べられており、エリオットと同様に集められた十代前半の少年達が、好き勝手に椅子に座ったり立ち話をしていた。しかしエリオットがそこに現れると室内が静まり返り、不躾とも言える視線が集まる。


(ああは言ったものの、正直視線が痛いな。さっさと済ませてさっさと帰りたい……)

 取り敢えず手近な空いている席に着き、ぼんやりと壁を眺めていると、いきなり至近距離から横柄な声をかけられた。


「おい、お前!」

(早速、絡みに来たか。短絡というか何と言うか……。会った事は無いけど、伝え聞く父親のグレナース伯爵の評判と、シンクロしてるなぁ……)

 まだ年少の為、他家の夜会や茶会に参加した事が無いエリオットでも悪評を漏れ聞いている親子の名前を思い浮かべつつ、目の前で仁王立ちしている少年を無言で眺めていると、反応が無い事に相手が癇癪を起こした。


「俺が話しかけているのに、何を黙っている! 無礼だろうが!?」

「……ああ、僕に話しかけていたんですか? 僕の名前も家名も『お前』などではありませんから、てっきり他の方とお話ししているのかと思っていました」

 一回り身体が大きい相手に臆する事無く淡々と言い返したエリオットに、室内にいた全員の視線が集まった。それと同時に、横柄な少年が益々いきり立つ。


「何だと!? お前の目の前に立っているのに、分からないのか? とんだ低脳だな。身体も貧相だし」

「ええ。僕は小柄なもので、無駄に身体が大きい人は、単なる壁に見えてしまうんです。それに上から何か騒音が聞こえるかな? 程度の認識でしたから」

「ふん! 伯爵家風情のくせに、姉がクライブ殿下に取り入ったおかげで、ユリウス殿下の選抜試験にねじ込んで貰ったくせに! 恥を知るなら自ら辞退するものを、姉と同様恥知らずとみえる!」

 そう言って嘲笑した相手を見て、エリオットはあっさりと方針を変えた。


(今後の事を考えて、穏便に済ませようと思ったけど……、やっぱり止めた。姉様と兄様には、後から謝ろう)

 そう決意したエリオットだったが彼が行動に移る前に、二人の少年が彼らに歩み寄りながら苦言を呈した。


「ジョシュア・ラシード・グレナース。幾ら何でも、先程の発言は言い過ぎだろう。発言を撤回した上で、彼と彼の姉上に対して謝罪しろ」

「そうだ。伯爵家風情と口にしたが、君自身も伯爵家の人間だろうが」

 どうやら義侠心に駆られた二人がエリオットの擁護に回ったが、その指摘をグレナース伯爵令息のジョシュアは鼻で笑った。


「はっ! 俺とこいつが、一緒なわけがあるか! 俺は伯爵家の人間でも、れっきとした王家の血を引いているんだぞ? ユリウス殿下とは、年も同じの従兄弟同士なんだ! 俺がご学友になるのに、決まっているだろうが!」

 目障りな相手を指差しながら宣言したジョシュアだったが、ここでエリオットが一見感心した風情で頷いた。


「そうですか。確かに王家の血を引いておられて、ユリウス殿下と年も同じ従兄弟の方がいらしたら、文句なしに殿下のご学友に選ばれますよね」

「はっ! やっと分かったか! 分かったのなら目障りだから、さっさと失せろ!」

「でもそれなら、どうしてこのような選抜試験が設けられたのでしょう? 必要無いではありませんか。意味が分かりません」

「それはっ!」

 不思議そうに首を傾げたエリオットの前でジョシュアが言葉を詰まらせたが、エリオットは全く容赦しなかった。


「その理由としては、二つほど考えられますね。まず一つ目は、あなたが王家の血を引いていない」

「何だと!? ふざけるな!」

「二つ目は、あなたをご学友にするには頭が悪過ぎて、お役目を果たせそうに無いと思われているか、悪影響しか及ぼさないのが分かりきっているので、他を当たろうと王家の皆様が判断したとかでしょうか?」

「何だと、貴様!? 無礼にも程があるぞ!!」

 バカにされているのが分かったジョシュアがエリオットに掴みかかろうとしたが、それを先程の年長者二人組が腕を掴んで止めた。そしてエリオットに苦笑を向ける。


「エリオット君、だったよね? 少なくとも一つ目の可能性は消えたよ。間違い無く、彼は王家の血を引いているから。父親である元王子殿下と、見た目も行動パターンもそっくりだしね」

「そうだね。頭の出来の方は知らなかったけど、見る限りそれも父親譲りみたいだな」

 二人がそう口にした途端、周囲からも思わずと言った感じの失笑が漏れた。それを耳にしたジョシュアが、怒りと羞恥で顔を赤くしながら二人の手を振り払う。


「ふざけるな!? どいつもこいつも、ぶっ飛ばしてやる!」

 そう叫んで拳を構えたジョシュアだったが、彼とエリオットの間に身体を滑り込ませた二人は、それなりに家格がある上腕にも覚えもあるらしく、一歩も引かない気構えを見せた。


「ほう? 侯爵家の人間に対して、貴様やる気か?」

「家名を使わずとも、お前を叩きのめす位はできるぞ。無駄に図体がでかい上に、態度もでかい奴だな」

「あ、あの……、お二人とも、できれば穏便にお願いします。僕は気にしていませんので」

 慌てて席を立ちながら目の前の二人に懇願したエリオットだったが、そこで複数人の男達がぞろぞろと入室して声を張り上げた。


「君達、何を騒いでいる! 選抜試験を始めるので、全員着席!」

「はい」

「分かりました」

「ちっ!」

 さすがにこれ以上事を荒立てるのは賢明では無いと判断したジョシュアは、舌打ちしながら手近な席に座った為、二人組も不満そうな顔のままその場から離れた。


「エリオット君、こちらに。席は自由だから」

「ありがとうございます」

 少年達も一瞬不満そうな表情になりながらも、すぐにそれを消し去ってさり気なくエリオットに声をかけ、彼をジョシュアから離れた空いている席を勧めた。それに礼を述べて素直に腰を下ろしてから、エリオットは小さく溜め息を吐く。


(全く……、最初からこんな馬鹿に絡まれるとは思ってなかったな。姉様は首尾良く護衛の件を、お断りできるかな?)

 先程入室して来た男達によって、目の前にペンやインク壺、問題用紙らしきものが配られるのをエリオットはぼんやりと眺めながら、セレナがまた面倒事に巻き込まれたりはしないかと、密かに心配していた。


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