(12)更なる面倒事

「面倒な事になった」

 いつもより遅く帰って来たランディスが、食事もせずに家族が集まっていた談話室に足を向け、帰宅の挨拶も無しに切り出した台詞を聞いて、セレナは諦め切った表情で応じた。


「義兄様、今度は何なの? 悪いけど、もう大抵の事では驚かないわ」

 取り敢えず椅子を勧めながら尋ねると、溜め息を吐きながら座ったランディスが重々しく話を切り出す。


「厄介な話が二つある。一つはエリオット個人に、もう一つはこの家全体に関わる話だ」

 それを聞いたエリオットは、意外そうに目を見開いた。


「僕個人にですか?」

「ああ。クライブ殿下の同母弟の、ユリウス殿下の事は知っているよな?」

「ええ、名前だけなら。陛下の第四王子でいらっしゃいますよね?」

「そうだ。これまでは殿下には専任教師が付いていたが、今回、同年代のご学友を付ける事になったんだ」

「そうですか。王子様方には、全員ご学友が付くものなのですか?」

 エリオットが素朴な疑問を口にすると、ランディスは軽く首を振る。


「場合によりけりだな。ユリウス殿下の場合、次期王太子殿下がリオネス殿下と決まったし、いずれは臣下として施政を支える役目を果たす必要がある。それを見越して幅広い交友関係と視野を持たせる為に、同年代の人間を付ける事になったのだと思う」

「勿論、全員貴族ですよね?」

「それはそうだが、厳選するらしいな。お前がその候補になった。試験もあるから、恥をかかない程度に頑張れ」

「どうして僕が急にその試験を受ける事になったのか、理由を聞いても良いですか?」

 エリオットが根本的な疑問を呈してきた為、ランディスが更に嫌そうな顔になりながら告げた。


「聞くところによると、ここを訪問された時に直にお前と言葉を交わしたクライブ殿下が、その聡明さに感心されたそうだ。『年は下だが、ユリウスの良い刺激になるだろう』と推薦してくださったらしい」

「……迷惑です」

「俺に言っても仕方がない。因みに、試験は明後日だ。これが正式な参加要請書と、クライブ殿下から預かってきた私信だ」

「分かりました」

 ランディスがポケットから取り出した二通の封書を、エリオットはすっかり諦め切った表情で受け取った。すると今まで黙って息子達のやり取りを聞いていたフィーネが、不思議そうに口を挟んでくる。


「ランディス。それなら、もう一つの厄介事と言うのは何なの?」

「それが……。クライブ殿下はきちんとお断りしているんだが、リオネス殿下やその周囲が、『仮にも大公位にある方が、屋敷や家臣を持たないなど有り得ない。いずれは正式に配置するとしても、レンフィス伯爵邸でお暮らしの間は、せめて周囲に配置する護衛だけでも付けるべきではないか』と問題提起しておられるんだ」

 それを聞いたセレナは、途端に不愉快そうに眉根を寄せた。


「つまり、クライブ殿下がこの屋敷に来たら、一個小隊位の騎士が付いて来る可能性があるの?」

「一個中隊かもな」

「まあ……、人件費がかかってしまうわ」

 思わず現実的な懸念を口にした母親に向かって、ランディスが冷静に答える。


「その場合の費用は、全額王家持ちだ」

「あら、それなら良かったわ」

 安心しておっとりと微笑んだフィーネだったが、ここでセレナから怒りの声が上がった。


「お義母様、全然良くありません! そんなに騎士に屋敷の内外をうろうろされたら、落ち着きませんよ!」

「……それもそうね」

「第一、領地から必要な人員を呼び寄せて、今でもしっかり曲者を撃退しているのに」

 ブツブツと文句を口にする義妹を、ランディスが溜め息まじりに宥める。


「その事実を、この家と無関係な人間は、全く知らないしな。知ったら知ったで『そんな物騒な状態ですから、護衛が必要なのです!』と、余計に喚き立てかねないし」

「そもそも殿下との結婚話が持ち上がったから狙われているのに、理不尽だわ」

 もの凄く不本意そうにセレナが呟いたところで、エリオットが難しい顔になりながら尋ねた。


「そうなると、どうすれば良いと兄様は考えているのですか?」

「王宮に呼び寄せた者の中から何人か連れて行って、その実力を示してやれば、一番話が早いと思う」

「やっぱりそうですよね……。まあ別に、対外的に隠している訳ではないから構わないか」

 エリオットが自分自身を納得させるように呟くと、ここでセレナが確認を入れる。


「義兄様。ひょっとして、その段取りも付けてきたの?」

「ああ。ちょうど明後日に、リオネス殿下の時間が空いていてな。近衛騎士団の鍛練場に、来ていただく事になった。ユリウス殿下のご学友選抜試験と前後する時間帯だから、当日は馬車で一緒に来い」

「分かりました」

 そこで兄弟の間で話が纏まったところで、再びフィーネが問いを発した。


「ところでランディス、それには誰を出すつもりなの?」

「実力もそうだが……。それ以上のインパクト重視で師匠とネリアを出して、鍛練場で近衛騎士と対戦して貰おうと思っている」

「確かに、インパクトは十分でしょうね……」

 途端に微妙な顔つきになって押し黙った母の代わりに、エリオットが控え目に兄に異議を唱えた。


「兄様。近衛騎士の方々の精神の安定の為に、もっと普通に強く見える人間を出した方が良くはありませんか? 近衛騎士の方々との関係性をあまりこじらせない方が、兄様の為でもあると思いますが」

「いや、油断してくれた方が楽だし、さっさと終わるだろう」

「容赦ないですし、今更少々取り繕っても仕方がないという事ですか……」

 既にランディスが、近衛騎士団内で微妙な立場になっている事をうっすらと悟ったエリオットは、兄に同情の眼差しを送った。


「ところで義兄様。クライブ殿下は王太子であられましたし、将来の側近候補としてのご学友とかは、付けられてはいなかったのですか?」

「いや、しっかり四人付いていた。血統容姿共に問題が無く、文武両道に優れた人間が選ばれていたな」

「それではその方達は今回の騒動で、お役御免になったわけですか?」

 自分達の都合で彼等の出世の道を閉ざしてしまったら、申し訳なかったと思いながらセレナが尋ねると、その懸念をランディスが打ち消した。


「いや、リオネス殿下にはこれまで特にそういう側近とかはいなかったから、全員そのままリオネス殿下付きになった」

「そうだったのね。それならあまり影響は無かったみたいだから、良かったわ」

「今回の騒動で『側付きのお前達が、殿下とレンフィス伯爵令嬢の事を全く把握していなかったとは何事だ! 怠慢過ぎるぞ、恥を知れ!』と、某大臣から面と向かって罵倒されて、面目を潰したらしいが」

「…………」

 安堵したのも束の間、補足説明された内容を聞いたセレナの顔が引き攣った。それを聞いたエリオットが、真顔で兄に意見を求める。


「それなら姉様とクライブ殿下との結婚話が持ち上がって以降、この屋敷に物騒な人間を送り込んでいる候補者リストの中に、その四人も加えた方が良いですか?」

「さすがにそれは、考えなくてもよいだろう。俺も人となりを詳しくは知らないが、知る限りでは全員そういう事をするタイプではない」

「そうですか」

 そこでランディスが、唐突に話題を変えた。


「ところで、さっき渡した殿下からの私信の内容を確認して貰って良いか? また何か面倒な事が書いてあったらと思うと、心配で落ち着かない」

「そうですね。今確認します」

 素直に頷いたエリオットは壁際の棚からペーパーナイフを取り出して二通とも開封し、目を通しながら椅子に戻った。


「ええと……、殿下からの手紙は『勝手に推薦して申し訳ない』と言う謝罪と、『エリオット君なら大丈夫だから』と言う、些か無責任な激励と、おそらく一緒に試験を受ける事になるであろう人達の、基本情報が書かれています。レンフィス伯爵家は社交界での交友関係は広くありませんから、知己が少なくて肩身が狭い思いをしたり話題に困る事がないようにと、気を遣ってくださったようです」

 それで興味を持ったらしいセレナが、弟に手を差し出す。


「それをちょっと見せてくれる? どんな方が参加するのかしら?」

「はい、どうぞ」

 手紙を受け取ったセレナがそれに目を通し始めると、ランディスもその背後に回り込んで内容を確認し始める。


「あら……、この方のお姉様とこの方のお兄様なら、何かの催し物でお目にかかった事があるわ」

「この人物の兄は、確か近衛騎士団勤務だな。あと他にも、聞き覚えのある名前が……。官吏に同じ家名の人間が居た筈だが」

「兄様、姉様、思い出した事があれば、些細な事でも良いので教えてください。こちらからご挨拶しなければならない場合もあると思いますから」

 フィーネはそんな風に真剣な表情で議論を始めた子供達の邪魔をせず、ただ穏やかな表情で見守っていた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る