冷夏

 だらだらと続いた長雨は、本格的な夏を迎える頃になっても尾を引き、気温が上がりきらなかった。

 このままでは冷夏になる。

 日照りも怖いが冷夏も怖い。寒い夏は秋の実りをもたらさない。

 朝廷から僧侶や陰陽師たちに、加持祈祷の勅が下された。

 貴子は宮廷を押さえるのに忙しかった。浮足立つ貴族に睨みをきかせ、湧き出るあやかしを祓う。

 中でも難物は帝その人で、すぐに源氏を呼び戻そうとするのを、なだめるだけで大仕事だ。

 まだ早い。まだ、懸念が残ったままだ。

 承香殿女御安子は相変わらず我が子行律親王の立坊を画策している。行律親王を娘婿として我が家に迎えている貴子の弟惟時が、肩入れしている様子なのも面倒だ。

 慎重に、よほど慎重に事を扱わんければならない。

 惟時の、父によく似た顔を思い浮かべる。

 惟時は腹違いの弟だが、父の現在の正室温子の子でもない。貴子の母と同じく温子も女子しか産まなかったので、通い所の女が亡くなった時にその子である二人の男子を本邸に引き取ったのだ。

 兄の惟時が貴子よりも十歳下。弟の惟高が十五歳下。今では惟時が大納言、惟高が参議となって廟堂を支えていた。


 「本邸に引き取る事にした、お前の弟達だ。気にかけてやってくれ。」

 貴子が弟たちに引き合わされたのは二十五の時だ。上の弟の惟時はすでに十五歳。本邸に引き取られた披露も兼ねて、大々的に元服を行おうとしていた。

 貴子はすでに二人の子を産んでおり、前年に出仕した更衣珠子が、帝の寵愛を受けるようになった頃の話だ。

 初めて弟たちに引き合わされたとき、貴子は吹き出してしまった。二人はどちらも父によく似て、三人並ぶと同じ顔が並んでいるように見えるのが面白かったからだ。

 兄弟の母親は熊野の禰宜の娘だとかで、血筋も悪くない。

 正室の温子は三の君雪姫の後にも二人の子を産んだが、今年生まれた五の君も女児であった事もあり、母親を亡くした二人を引き取る事にしたらしい。

 温子はまだ子供を産める年頃だが、一家の次代を担う嫡男は、そろそろ世に出せる年頃である方が望ましい。大姫である貴子より十歳下という惟時はこれから仕込むという意味でもちょうどいい年頃であるのだった。

 幸い嫡母となった温子や、温子腹の妹たちとの顔合わせもまずまずの感触だったらしい。

 加冠の役を内大臣豊成卿に依頼するのはまずまず無難な選択であると言えよう。惟成の年上の従兄である豊成卿は、前内大臣長時卿の急死を受けて内大臣の位についた人物で、地味な人柄ながら手堅い手腕の持ち主だった。

 添臥は立てず、婚姻に関してはまた後日の事とする。本邸に入ったばかりの惟時は、妻のもとに通うより、まずは本邸に馴染んでもらわねばならない事情もある。権門の嫡男となった惟時に多くの縁談がおこるのは間違いのないことで、急ぐ必要のない話ではあった。

 元服した惟時は即日叙爵し、内蔵寮に入る事になった。来るべき秋の除目の折に前任者の昇格に伴って蔵人頭に就任するためだ。権門の男子としてはまずは順調な滑り出しであった。

 

 そういえば、豊成卿が発病したのは惟時が蔵人頭に就任した少し後だった。

 若い女王を六条の本邸に迎え、もうけた姫君に望みをかけていた様子だったが、まだその姫君の髪も伸び切らない内に薨ずることになった。

 ざあざあと雨が降る。

 雨は夏を冷やしてしまう。

 真夏だというのに単重ねでは肌寒いほどで、貴子は単に袿を重ねた姿で頬杖をついて庭を眺める。

 さて、どうしたものか。

 加持も祈祷もたいした効果を上げてはいない。何年かに一度はこういう年回りがあるものだが、それにしてもなぜ今年に、こういう気候が当たるのか。

 だって京に源氏がいない。

 それだけで、ただの気候が何かに見放された証のように受け取られてしまうのだ。

 手元には文が二通置かれている。一通は斎宮晶子内親王、もう一通は斎院照子内親王からの文だ。どちらにもこの天候は神の怒りによるようなものとは考えにくい旨が記されていた。

 そうだ。源氏の不在は京を嘆かせるが、天候に障るようなものではない。ただ、それを人々に納得させるのが難しい。

 源氏は須磨でそれなりに暮らしているらしい。

 須磨は風光明媚な土地だ。

 海辺は明るく風も抜けるが、この冷夏ではありがたみは薄いだろう。それでも地元の魚介を食膳にのせ、美しい景色に筆を取る様子は式神や謀が伝えてきている。

 相変わらず京を落ちたことを嘆き、不満がちにしてはいるらしい。

 どうしてわからないのだろう。

 帝の弟であり臣下であり東宮の後ろ盾でもあるという立場で、帝の寵姫に通じるということは、謀叛の兆しありととられても仕方ないことだ。殿上の札を削るどころか、讃岐辺りに配流になっても本来ならば文句は言えない。実際、貴子は最初淡路への配流を考えていたのだが、帝の反対で単に殿上の札を削るにとどめた。

 愛される事だけを知っているということが源氏の思い上がりを生むのだとすれば、源氏のこういうところを直すのはおそらく不可能に近いのだろう。それだけに京に源氏を戻しても、懲りて身を慎むことは期待しづらい。貴子としては、いっそう源氏を呼び戻すことに慎重にならずにはいられないのだった。

 今のところ父と弟の惟時が貴子を支持してくれているが、惟時には惟時で娘婿の行律親王に肩入れしている面倒さがある。いずれ東宮の交代を言い出すようなら、貴子と対立することになり兼ねない。

 しかも、最近父の惟成が病がちになりつつあった。

 考えてみれば貴子ももう五十を超えている。惟成はすでに七十代だ。年齢の事を思うといつ何があってもおかしくない。

 しかも今回の結子の密通騒ぎが、惟成にはひどくこたえたようだった。

 実は一度、惟成は源氏を正式に結子の婿にしようとしたことがある。源氏が正室にしていた清成卿の息女を亡くした時の話だ。

 正室として扱ってくれるなら、結子を後宮入れるのを諦めて源氏と添わせようとしたのは、惟成の親心だった。

 源氏は断った。

 その事実をもって結子は源氏と手を切り、尚侍として出仕したのだ。

 その結子が再び源氏と通じていたという事実は、惟成を打ちのめした。

 惟成は見鬼ではない。

 だから「呼ばわれれば応えずにはいられない。」と泣く結子の気持ちはわからない。

 ただ、捨てられてなお、倫を外れた誘いに乗り自らを貶める娘の惨めな姿に、娘の臥床で居直る源氏の憎々しさに、憤る事しかできない。

 その憤りを利用したのが貴子だ。

 貴子がそうしようとすれば表沙汰にすることなく事を収めることが出来たろう。貴子はそうはしなかった。源氏を京から出すのに利用した。源氏のもう一つの密通を隠すために。

 父惟成のことを思うと罪悪感が貴子の胸を咬む。

 惟成は憤り、悲しんでいる。

 その憤りは正しく、悲しみは当然のものだ。

 惟成は結子を出家させようとまで思い詰めていたが、帝のお許しが下りず果たせなかった。そのお許しの出なかった事実を結子への帝の愛情故と信じて、惟成は男泣きに泣いたという。

 貴子には言えない。

 帝は結子に執着するのは、源氏と関係したが故だ。結子はおそらく勘付いているのだろうけれど、やはり口に出すことはできないだろう。衝撃に弱っている惟成に、追い打ちをかけるような事実など告げられるはずもない。

 惟成に何かあれば惟時に代が移り、一気に行律親王支持に傾く可能性もある。子としての心配だけでなく、貴子にとって惟成の健康は冷夏と並ぶ気がかりだった。

 結局加持祈祷のかいもなく、気温は上がりきらずに秋を迎え、その年の実りは幾分乏しいものとなった。

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