第7話 手遅れになる前に
「煙だ」
廊下の窓へ一瞥をくれたラディアスが、瞳を瞬かせた。
「煙?」
ゼイツは聞き返す。フェマーの姿が完全に消えた後の、唐突な一言だった。ゼイツはラディアスの眼差しを追うよう振り返る。
陰を帯びた一面白の世界で、やせ細った木々がたたずんでいた。その向こうには奥の棟の一部が見え隠れしている。ゼイツは瞳をすがめた。
「煙なんて一体どこに?」
「しっかり見ろ。木の向こう側にも靄がかかっている。あれは不自然だ」
そう説明するラディアスの声は硬かった。ゼイツは眉根を寄せて、もう一度向こう側の奥の棟を凝視する。折れ曲がった廊下の先に当たる部分だ。
確かに、言われてみると向こう側の窓の辺りが煙っているようだった。風の悲鳴は聞こえないし地吹雪にしては違和感がある。
「ラディアス、あれって」
「ウルナたちの部屋がある方だ」
冷静に分析を続けるラディアスへと、ゼイツは弾かれたように双眸を向けた。顔を強ばらせたラディアスは、硝子越しに煙をねめつけている。
胸ぐらを掴まれた心地で、ゼイツは息を詰めた。何故あんなところで煙が上がるのだろう? この季節では、外で何かを焼いているわけもない。妙だ。するとラディアスはぐっと拳を握り、ゼイツに背を向けた。
「おいラディアスっ」
「火事だ。冬場にはたまにこういうことがある。が、奥の棟では初めてだな。対応班へ報告しなければ――」
「ちょ、ちょっと待てよ! 火事って、まさかウルナたちの部屋なのか? 今、あそこにはクロミオが寝ているはずなんだが」
歩き出そうとするラディアスの後ろ姿に向かって、ゼイツは声を張り上げる。火事というからには火の元がある。それは大概、人間のいるところだ。冬であれば建物の中である可能性が高い。
慌てたゼイツの言に、ラディアスは顔を強ばらせたまま振り返った。静寂が痛い。ゼイツは自身の中で、何かさざ波のようなものが広がっていくのを感じた。動悸がする。
今、部屋の中にいるのはクロミオだけだった。ウルナとルネテーラが聖堂にいるというのは、先ほどラディアスから聞いたばかりだ。
「クロミオが」
囁く程度の声で、ラディアスは繰り返す。ゼイツは胸に手を当てた。強く鳴り響く鼓動が、彼の焦りを強調する。体中が重苦しい。背中を冷たい汗が伝っていく。今すぐ走り出すべきだと思うのに、足が動かなかった。
「……わかった。俺は対応班に報告し、クロミオのいる部屋へと向かう。ゼイツはこの先の扉から庭へ出ろ。左へ進めば、そのうち聖堂の裏手側に出るはずだ。どうにかウルナたちと合流して避難してくれ」
動揺するゼイツよりも、ラディアスの方が判断は早かった。ラディアスは蒼い顔でそう告げると、回廊の先を迷いなく指さす。ゼイツはその方を見やった。長い指が示す遙か向こうに、変哲のない白い扉がある。
一つ息を吐き、ゼイツは頷いて走り出した。深く考えたくはなかった。手遅れだったらなどと、不安を覚えたくもない。とにかく動くしかないのだ。
最初の一歩さえ踏み出してしまえば、歯車が噛み合ったように意識せずとも体が動いた。殺風景な白い廊下に彼の足音が響く。振り返らずとも、ラディアスが動き出すのもわかった。
ゼイツは駆けながら瞳をすがめた。喉の奥に重たい何かが詰まったままのようで、息が苦しい。つい眉間に皺が寄る。
何事もなければいいと、誰にでもいいから祈りたい気分だった。何故こんな時に限って火事など起きるのか。彼は前方の扉を睨みつけた。ラディアスの発言によると冬ではそう珍しいものでもなさそうだが。
白い戸まで辿り着くと、ゼイツはそれを乱暴に開いた。その先は小さな部屋だった。他のものと大差ない、愛想に欠けた寂しい場所だ。
しかしその向こう側にも、今見たのと同じような扉がある。ゼイツは迷わず小走りでその戸へ向かった。外からの明かりも頼りなく室内は薄暗いが、躊躇うことなく取っ手を握る。
「うわっ」
扉を押し開けると、その向こうには銀世界が広がっていた。思い切り空気を吸い込むと、喉に何かが張り付くような感覚がする。
雪はちらついていないが、足跡のついていない雪面が彼を出迎えていた。普段は使われることのない道らしい。これは歩きにくそうだ。
分厚い上着を羽織っていないため、冷たい風がいっそう身に凍みる。しかし戻るわけにもいかず、意を決してゼイツは外へ飛び出した。ふわふわとした雪に足が包まれる。重たげな雲のためまともな明かりもないが、何故だか周囲はほのかに明るかった。わずかな光が雪で反射しているせいなのか?
「ラディアスは左って言ってたよな」
茂みによって区切られた庭を、ゼイツはラディアスの言葉に従い走り始めた。柔らかい雪に足を取られるせいで、なかなか速度は上がらない。それでも懸命にゼイツは駆けた。
聖堂まで火は広がっているのだろうか? そう考えるとぞっとする。あの紫の花弁もろとも燃えている様を想像するだけで、目眩がしそうだった。
「間に合え」
雪の中を走る訓練もしておけばよかったと、過去の自分に悪態を吐きたくなる。しかし今さらだ。とにかく最善を尽くすしかない。距離感のない白い世界を、ゼイツはひたすら進んだ。
どうもこの庭は真っ直ぐではないらしく、時折前方に立ちはだかる茂みに邪魔をされる。雪化粧されているためなおさら惑わされやすい。それでも分かれ道はないため、迷うことはなかった。
空を仰ぐと、教会からかすかに煙が立ち上っているのが見える。日はほぼ沈んでおり雲も厚いためにわかりにくいが、目を凝らせばかろうじて判別がついた。
ゼイツは歯噛みした。どれだけ燃えているのだろうか? 火の手がクロミオのいる場所ではないことを願うばかりだ。眠っているクロミオが火事に気がついていなかったらと考えると、戦慄が走る。
ひたすら白ばかりの世界に別の色を見つけたのは、しばらく走ってからのことだった。前方に黒い何かが見えた。雪に覆われた茂みの一部としては、位置も大きさも不自然だ。
ゼイツは瞳を細めつつさらに急ぐ。何度か転びそうになったが、それでもどうにか堪えた。もう少し距離が近づくと、黒い何かが人であることがわかった。あれはおそらくウルナだ。黒い髪、見覚えのある生成り色のスカートが風に煽られている。
「ウルナ!」
ゼイツは大きく名を呼んだ。それでもこの距離ではまだ届かないのか、ウルナが反応する様子はない。息を吸い込むと、彼はもう一度名前を叫んだ。今度は通じた。彼女がはっきりとこちらを振り返る様子が、彼の緑の瞳に映る。
よく見ると、ウルナの向こう側にはルネテーラがたたずんでいた。ウルナがいつも羽織っている茶色の布を頭から被っているせいで、そうと気づかなかった。
二人は無事に聖堂を脱出したらしい。そのまま道なりに逃げてきたのだろうか? ゼイツは安堵の息をこぼしながら、徐々に速度を緩めて二人のもとへ駆け寄る。震えるルネテーラの肩をウルナは抱きしめていた。
「ゼイツ」
「よかった、二人とも無事だったんだな」
ゼイツは二人の前で立ち止まり、怪我がなさそうなことを確認した。ウルナは顔を強ばらせたまま首を縦に振る。
できたら二人に上着でも被らせてやりたかったが、生憎ゼイツはそのような物を身につけていなかった。こんな時に限ってだ。ウルナはルネテーラを抱きしめる手に力を込めると、ゼイツを見上げてくる。
「火事、みたいね。ひどいのかしら」
「わからない。聖堂の方に火は?」
「いえ、火はまだそこまでは。様子がおかしいから廊下の先を見に行ったら、煙が広がっていたから。それで外に出たのよ」
ウルナは頭を振る。聖堂までまだ被害が及んでいないことに、ゼイツは胸を撫で下ろした。ラディアスが対応班とやらを呼んでくれば、聖堂のあの花は守られるだろう。
そうなると残る問題はクロミオの方だ。その事実をどうウルナに伝えるべきか? すぐには口にできず、躊躇したゼイツは眉をひそめる。
「ゼイツの方は?」
「俺は廊下で煙が立ち上るのを見かけただけだ」
「そうなの、よかった。じゃあ一体どこで燃えているのかしら……」
少し手を緩めて、ウルナは小首を傾げる。ゼイツの鼓動が跳ねた。自室が燃えている可能性について、彼女は考えていないらしい。
尋ねられる前に伝えなければと思うのだが、喉から声が出てこなかった。ルネテーラがさらわれた時のようにウルナは取り乱すのではないか? そんな予感もあった。しかも今回は火事だ。ウルナは昔、同じ理由で両親を亡くしている。
「火事が起きそうな施設も、奥の棟にはないし」
「――はっきりとはしないんだが。煙がひどい場所は、ウルナたちの部屋の方らしい」
「え?」
決意を固めて、ゼイツは慎重に切り出した。右の瞳を瞬かせたウルナはおずおずと教会へ視線を向ける。ルネテーラが息を呑んだ気配が、ゼイツにも伝わって来た。ゼイツの懸念をルネテーラも悟ったのか。
その一方で、ウルナが何も言わないのが空恐ろしい。ゼイツは握った拳に力を込めて、ウルナの横顔を見つめた。
「部屋には、クロミオがいたはずなんだ」
ゼイツはさらに付け加えた。ウルナが硬直したのが、ありありと見て取れた。時間まで止まってしまったかのようだった。それ以上言葉を継ぐことができず、ゼイツは唇を引き結ぶ。沈黙が肌に痛い。じわじわと痺れのような不快感が足先から這い上がってくる。
すると忽然とウルナは振り返り、ルネテーラの肩から手を離した。青ざめた顔で詰め寄ってくるウルナの手を、ゼイツは咄嗟に握る。
「ウルナ」
「今、何て? クロ、ミオが?」
「部屋で寝ていたはずなんだ。今ラディアスが対応班を連れて、そちらへ向かっている」
「本、当に?」
顔を歪めて歯を食いしばり、ウルナは体を震わせる。泣き出すのを堪えているというよりも、崩れ落ちる直前のようだった。ウルナはゼイツの手を振り払い、わななきながら俯く。緩く束ねられた黒髪がゼイツの前で揺れた。
「そんな、だって、あんまりよ、だって」
ウルナは激しく首を振った。いや、ゼイツがそう認識した次の瞬間には、踵を返して走り出していた。翻る生成り色のスカート、黒髪の輪郭が、薄暗い中でもゼイツの目に焼き付く。
咄嗟に手を伸ばそうとしても体が反応しなかった。何か悪い夢でも見ている気分で、全てが自分の思い通りにならない。固まったゼイツの視界の隅で、眼を見開いたルネテーラが声を上げた。
「ウルナ!」
ルネテーラの甲高い叫び声のおかげでゼイツは我に返った。まずい。喫驚しているルネテーラの手を握り、ゼイツはウルナを追いかけ始める。
華奢な背中が遠い。幻のごとく心許ない。こうしてウルナを追うのは一体何度目だろうか? そんなどうでもいい疑問が、ゼイツの脳裏に浮かんだ。
足の怪我は落ち着いているはずだが、この雪の中ではなかなか追いつけない。ルネテーラの手を引いているせいもあるだろう。だが今度は一本道だ。振り切られる心配はなかった。
「ウルナ、ちょっと待てって!」
声を張り上げると、冷たい空気が喉の奥に凍みる。咳き込みたくなる。何度か体勢を崩しかけたが、それでもゼイツは駆け続けた。走り慣れていないだろうルネテーラも、必死に後をついてきている。
走りにくいのはウルナも同じなのか、徐々にその背が近づいてきた。この雪では長いスカートも邪魔なのかもしれない。ゼイツは思い切ってルネテーラの手を離すと、その勢いを利用してそのまま跳躍した。そして左手を伸ばし、ウルナの手首を握る。
小さな悲鳴が上がった。しかし細い体を引き戻そうとしたゼイツ自身の体勢も危うかった。半身だけ振り返ったウルナもろとも、ゼイツは雪の上へと倒れ込む。
舞い上がった雪が、はらはらと頭上へ落ちてくる。冷たい。ゼイツは顔をしかめながら上体を起こし、雪まみれになったウルナを引き寄せた。寒さのためか、それとも恐れのためか、か細い体はまだ震えている。
すると背後から、ルネテーラが駆け寄ってくる気配があった。彼は呼吸を整え、もう一度ウルナに呼びかける。
「ウルナ」
「邪魔を、しないで、お願いだから」
「あのなあ」
「お願いだからっ!」
ウルナが頭をもたげる。間近で見るその右の瞳には、鮮烈な色があった。憎しみとも怒りとも嘆きとも取れない、あらゆる感情を押し込めたような強い光が、奥に潜んでいる。とてつもなく深い黒だ。
それでもゼイツは手を離さずに、あいている右手で華奢なウルナの肩を掴んだ。
「いいから落ち着け、ウルナ」
「落ち着けるわけがないでしょう!? 今度こそ私は、クロミオを、家族を失ってしまう!」
「おいウルナっ」
「私からクロミオを取らないで! お願い、ウィスタリア様!」
ウルナは空を見上げた。それは祈りではなく、慟哭だった。胸を突く切なる願いだった。これ以上黙って聞いていられず、ゼイツは無理やり彼女の頭を抱き寄せる。緩くうねる黒髪から雪が落ちた。
不思議なことに、ウルナは抵抗もせず身を震わせながらもたれかかってきた。すると後ろからそっと、布が掛けられる感触があった。ゼイツが肩越しに振り返ると、不安な面持ちでルネテーラがたたずんでいる。
「ルネテーラ姫……」
「女神様はいつでも見守っています。でも見守っているだけ。その時が来るまで、ずっと。わたくしたちはそれを知りながら祈るのです」
「どういうことなんだ? ルネテーラ姫、『その時』ってのはいつなんだ?」
「わかりません。誰も知らないのです。けれども女神がこの国を見守っていてくれることだけはわかっています。わたくしたちには、信じることしかできないのです」
ルネテーラは悲しげに微笑んだ。ますますゼイツには何もかもがわからなくなった。女神の存在を確信し、祈りながらも、叶えられることがないのを知っているように見える。それでも縋っているように見える。ゼイツには全く理解できない心境だ。
「俺には、わからない」
「女神様はこの世界のために存在しています。ニーミナの民のために存在しているのではないんです。そこが大きな違いです。ただわたくしたちは世界の一部でもあります。女神様はある意味ではわたくしたちのために存在しています。でも、わたくしたちのためだけに存在しているわけではないのです」
説明されればされるほど、ゼイツの頭の中は混乱していく。理解したと思っても再び突き放される。しかし一つだけはっきりしたことがあった。女神が動き出す基準というものを、誰も知らないということだ。
「つまり、俺たちは俺たちで動くしかないんだな」
今さらなことを、当たり前のことを、ゼイツは結論づけた。わかりきっていた事実だ。手放したくないのならば、腕を伸ばすしかない。どうしても助けたいと思うなら、自分たちで何とかするしかない。
大体、祈るだけで待っている方が落ち着かなかった。ただし、意味もなく無謀なことをしても周りを心配させるだけだ。
ゼイツはウルナの手を引きながら立ち上がった。よろめいた細い肩を支え、教会を睨みつける。まだ間に合うと信じたい。クロミオも年の割にはしっかりしているからと、ゼイツは胸中で自らに言い聞かせる。
「わかった、クロミオを一緒に探そう。だからウルナ、一人で行動しないでくれ」
ゼイツはウルナとルネテーラを順に見た。ウルナは瞳を伏せたまま力無く頷き、ルネテーラは静かに目配せをしてくる。
ゼイツは肩に掛けられた茶色い布を、ウルナの頭に被せた。そして歩き出す。ウルナは逆らわずにとぼとぼとついてきた。ルネテーラは慌てた様子で小走りすると、ゼイツの横へ並んでくる。
「ルネテーラ姫。このまま進むとクロミオの部屋の方に辿り着くのか?」
「はい。この道は聖堂の裏手へと続きます。もっと先に行くと部屋の方に出ます」
念のため確認するゼイツの問いかけに、ルネテーラは即座に答える。この庭の構造について彼は把握しきれていないが、彼女がそう言うのならば確かだろう。
三人は静かに前へと進んだ。彼らの靴が奏でる不協和音が寒々とした空気に吸い込まれる。いや、深い雪にと言うべきか。異様な静けさが恐怖を煽るようで、ゼイツは奥歯を噛んだ。自然と歩調が速まる。
「でもおかしいわ。これだけ煙が出るような火事、奥の棟では起きないはずなのに」
不思議そうなルネテーラの呟きに、ゼイツも相槌を打った。何せ、奥の棟にある部屋には燃えそうな物が少ない。確かに火を焚いて暖を取ることはあるが、燃え移る先が少ないのだ。それなのにこれだけ一気に広がるというのには違和感があった。
けれども、起こってしまったことは事実だ。ゼイツは柔らかい雪を踏みしめていく。ウルナが無言なのが気にかかるが、おそらく心を落ち着けようとしているのだろう。
ゼイツはちらりと彼女の横顔へ一瞥をくれ、また前方を見据えた。すると向こう側に、何か赤いものがちらついた。暗くてわかりづらいが、明らかに周囲からは浮いている。
「……ん?」
ゼイツは瞬きを繰り返す。見間違えかと思ったがそうではない。白と、後はせいぜい深緑しかない中、赤茶色の何かが浮かんでいた。いや、それが髪の毛であることに気がつき、ゼイツは瞠目する。
「フェマー!」
あれは白いマントを着込んだフェマーだ。ゼイツの叫び声に事態を把握したのか、ウルナとルネテーラがその場で固まる。いや、ウルナはすぐに動き出し、ルネテーラを背に庇った。
ゼイツは立ち止まった二人から数歩前方で足を止め、遠くに見えるフェマーを睨みつける。ルネテーラとフェマーはほぼ初対面だっただろうか? ウルナは何度か顔を合わせたことがあったようだが。
どうしたものかとゼイツが悩んでいると、フェマーもこちらに気づいたらしく、すぐに駆け寄ってきた。覚束ない足取りで近づいてくるフェマーを、ゼイツは観察する。
いつも余裕を滲ませている顔に、今ばかりは焦りが見て取れた。火事に気づき外へと飛び出したのだろうか?
「ゼイツ殿!」
いまだ慣れない呼び方をされて、ゼイツは額に皺を寄せた。それでもかまわず走り寄ってきたフェマーは、ゼイツの前で大きく息を吐く。ウルナとルネテーラは口を閉ざしたままだった。ゼイツは軽く咳払いをし、一度周囲を見回す。
「フェマー……さんは一人で?」
「火事ですよね? 外への出方がわからなくて、しばらく廊下を走り回ってしまいましたよ」
「どこから出たんですか?」
「クロミオ君たちの部屋です」
少しでも手がかりはないかとゼイツが当たり障りのない問いを投げかけると、想像していた以上のものが引き出せた。呼吸を整えつつ答えたフェマーは、赤茶色の髪を耳へとかける。
思わずゼイツは一歩詰め寄った。尋ねる前にクロミオの名を出され、ついうわずった声になる。
「クロミオに会ったのか!?」
「いいえ、クロミオ君には会っていません。部屋では見かけませんでした。煙がひどかったので絶対とは言えませんが、おそらくいなかったでしょう」
「それじゃあ――」
「たぶん飛び出したんじゃないかと思って、私もそのまま外へ出たんですよ。ですが見あたらなくて」
フェマーは辺りへ視線を彷徨わせた。どうやらクロミオは部屋に取り残されたのではないらしいとわかり、ゼイツは安堵する。
火に焼かれてしまったという最悪の事態は免れた。いや、それでも姿がない以上、油断はできない。ゼイツの背後で、ウルナとルネテーラが肩を抱き合う気配があった。
「その様子ですと、クロミオ君とはまだ合流していないんですね?」
「ああ、こちらにはいなかった」
「それじゃあ逆方向でしょうか。勘に任せたのが失敗でしたね」
フェマーは肩をすくめる。その言い様にそこはかとなく苛立ちを覚え、ゼイツは顔を歪めた。
だがここで言い争っても仕方がない。無駄なことに費やしている時間はない。フェマーの言葉が本当なら、コートも何もない状況で外を探し回らなければならなかった。ゼイツは呻く。
「くっそ。いや……このまま進めばいいってわかっただけましか。クロミオ、変なところに飛び出してなきゃいいんだが」
クロミオが一番この庭を知り尽くしていると言っても過言ではない。教会の外へ抜け出しているくらいだ。道なりに進んで見つけられるという保証もなかった。
本当ならウルナたちをどこか暖かいところへ避難させてやりたいのだが、そのための出入り口もゼイツはろくに知らない。奥の棟くらいしか利用していなかったため、外から他の棟に入る方法について一度も尋ねたことがなかった。もっとも、避難しているように言っても、ウルナは聞かないだろうということは予想できるが。
「そうですね。早くクロミオ君を見つけないと。手遅れになる前に」
フェマーもクロミオのことを案じているらしい。一挙一動に落ち着きがない。彼が本当に心配しているのか、それとも振りなのか、ゼイツには判断ができなかった。信じがたいことだが、フェマーの双眸には確かな焦燥感がある。
「そうだな。行こう」
定かでないことは保留にしておくしかない。とにもかくにも今できることをしなければと、ゼイツは再び歩き出した。不意に吹き荒んだ風が、彼らの間を擦り抜けていく。舞い上がった雪を被り、茂みが一斉にざわめいた。
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