26-11

 痛みに苦痛の声が思わず漏れる。撃たれた西倉も松下も。倒れ、銃創を手で抑えるのも同じだった。違う点は、松下の銃創は貫通しており西倉は銃弾が残留しているという部分だ。

 西倉の名を呼ぶ声がする。立花だ。必死に駆け寄り、血で汚れるのも構わず膝をついた。コンクリートの上に広がる、赤い赤い血液。


「西倉さんっ……西倉さん!」

「避、難は? どうなった?」

「完了しました!」

「……よし、なら、よし」

「今、救急車を」

「その前に、これ、縛って、くれ」


 自分のネクタイを解き、立花に渡す。彼女は慌てて西倉の太腿をきつくそれで縛り、手のひらについた血を拭いもせず無線を掴む。

 痛みが爆発する。僅かに身じろぎするだけでうめき声が出る。故に西倉は、足を引きずりながら物陰へと去ってゆく坂田の部下を止めることができなかった。


 ああ、こんなに痛いのか。こんなにも辛いのか。俺が撃ったあいつも、痛かったのだろうか。その直後に仲間から殺されて、どれほどの気持ちだったのだろうか。


 余計なことを考えようとする頭を無理矢理に切り替えて、西倉は立花の服を掴んだ。


「えっ、西倉さ……」

「いるだろう、ここに、誰かが! 俺達とあいつら以外の、何者かが!」


 立花の顔が更に青くなるのが見て取れた。


「誰だ! お前は見たんだろ? 車で逃げなかった奴がいるはずだ!」

「分かりません、今ここにいるのか分からないんです、でも」

「でも?」

「さっき、ここに……あの子が」


 立花の顔が歪む。泣き出しそうな。


「網屋希くんが」



 止めどなく流れる血で痕を作りながら、松下はコンクリートの柱の影にまで到達した。キャンディの効能なのか、痛みはそれほどきつくはない。耐えられる、ならばまだやれることがあるはずだ。腕が使えるなら銃が撃てる。口が動くなら情報伝達ができる。一度立て直してから


「よお、お疲れさん」


 声につられて顔を上げた。顔を上げてようやく、自分がどれだけ地を這うように移動していたのか気付いた。ああ、こいつが持っているのは道畑のやつだ。そんな情報が妙に鮮明に頭をよぎっていった。


 当然、銃口を向けている網屋には松下の考えていることなど分からない。分かる必要もない。声をかけたのは相手の動きを少し止めたかったからであって、その言葉通りの感情が存在するわけでもない。彼ただ、淡々と己の仕事をこなしているだけなのだ。

 視線が交錯したのは一瞬。直後に発砲。二回、基本に忠実に。



 こういうことは普通にできるのに、いざあの人達の顔を見てしまうと網屋は足が竦む。

 覚えている余裕はなかったのだと思っていたが、実際ははっきりと記憶していた。いや、思い出すことができた。

 何をどう話して良いのか分からず、何を問われても細切れの言葉をこぼすしかできなかったのに、それでもずっと側にいて話を聞いてくれたあのおまわりさん達。握ってくれた手の大きさや暖かさ、あの人のこぼした涙、葬儀にまで付き合ってくれたあの人、みんな、みんな、こんなにもはっきりと!

 高校一年のガキの頃に戻ってしまったような錯覚。だがしかし、それがどうしたというのだ。今更思い出しても何もできない。それどころか、今の自分を知られたくない。貴方達が守ろうとした人間が、貴方達が捕らえようとした犯人を、一体どんな目に合わせたか。惨殺したのだ、家族にされたこと以上に。この手で。


 思考が混迷していることを自覚する。感情がぐちゃぐちゃだ。これでは……援護など、できない。網屋の冷静な部分もそうでない部分も、それら全てが無理だと言っていた。手伝うべきなのだ。そして、隙を見て対象を始末するべきなのだ。

 それなのに。



 塚越と坂田、この二人が真っ先に行ったのは、互いの拳銃を叩き落とす行為であった。

 コンクリートの床に落ち、回り、滑って離れてゆく二丁の拳銃。だがそちらにかまっている時間はない。坂田の手が塚越の喉笛に伸び、塚越の手が坂田の上着へと伸びた。

 塚越が僅かに頭を右へとそらし、かつ、坂田の上着を両手で掴む方が速い。間髪入れず投げ飛ばし、床に叩きつける。が、受け身を取ることに専念した坂田の復帰は速い。

 受け身から一回転して手を伸ばす、己の銃へと。塚越もそれにすぐ気付き、駆ける。追いつくか。追いつかれるか。精一杯伸ばした坂田の指は銃に微かに触れ、塚越の靴の爪先が銃を蹴り飛ばす方が速い。再びだ。


 塚越は速い。後出しで動いても速い。相手の行動とその意図の判断、そして己の行動の判断、この過程がとにかく速いのだ。それ故に奴は始末係に抜擢されやすい。だが。


「殺すことはできないだろう、塚越ィ!」


 言葉に出して相手に聞かせ揺さぶれ。今は亡き高帆が言っていた。聴覚から認識させ、こちら側が押し付けたい現実を捩じ込め。

 こんな事も言っていた。「怠るな」とも。見透かしたような目で。分かっている、そんなこと。


「殺しはしない」


 帰ってきた言葉はこれだけだった。地べたに這いつくばっている坂田に、上から降ってきたそれはまるで氷のようだった。

 慌てて体を仰向けにする。視界に飛び込む、塚越が手にした刃物。振り下ろされるのと同じタイミングで咄嗟に両足を上げ、足首のあたりで交差させることによって、ナイフを振り下ろす襲撃を食い止めた。そのまま塚越の手首を固定する。


 誰かフォローを……いない。誰もいない。もう残っているのは自分だけ。使い捨ての駒はもう全て消えた。


 やむなく、両足を横に振って塚越を放り投げた。手首を壊されるのを避けるには、流れに逆らわず投げ飛ばされるしかない。素直に転がる塚越。

 奴を組み伏せるのは本目的ではない。それどころか、組み付こうものなら相手の思う壺だ。坂田の目論見は、塚越を少しでも銃から遠ざけることであった。すぐさま反対側へと手を伸ばす。そちらに落ちているのは塚越の拳銃だ。


 伸ばし、掴み、成功し、立ち上がる時間すら惜しい、うつ伏せから仰向けに体勢を変え、最低限の角度で首を持ち上げ、両手で保持したそいつの引き金を。


 銃声。


 坂田ではなかった。トリガープルよりも僅か速く、手にしたはずの銃は弾き飛ばされていた。手首に残る痺れ。

 青褪めたまま視線の先を変える。正面の塚越ではなく、右横。


 己と同じようにコンクリートの床に低く座り込んで、しかし上半身は起こし、その手には銃。見た目のがさつさとは裏腹にこれ以上無いほどの美しさで拳銃を構える西倉と、背を支える立花。

 この二人と。目が合った。


 衝撃と怒りとで頭が真っ白になるよりも遥かに速く、塚越が飛び掛かってくる。うつ伏せに転がされ、容赦なく利き腕の肩関節を外された時、坂田が感じたのはキャンディの効果を持ってしても無視できぬ痛みと、静かな絶望であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る