26-2

「えっとね、東京からね、来ましたよ。お仕事をしに来ましたよ」

「もしかして、警備的なとこからかな」

「そうそう、警備的なとこから来ましたよ」


 警備警察、即ち公安。


「ここまで聞いといてなんだけどさ、俺に喋っちゃっていいのか?」

「今更ぁ〜? まあね、今回に関してはね、いいの」

「ああ……じゃあ、やっぱり、あの人のことか」

「うん」

「坂田、だな」


 ここ熊谷署に出向している男の名を聞き、塚越は薄く微笑んだ。先程の挨拶のときに見せたクールなフリとは比べ物にならないほどの、本物の残酷な笑みだった。


「なんつったらいいんだろ、時間切れ? うーん違うな、やりすぎ? 暴れすぎ? 好き勝手し放題しすぎ? まあ、その全部。泳がせておいてもこれ以上なんにもならないなら、もう駄目よってことなんだよなあ」

「え、それってさ、好き勝手してても利益があるなら放っといたってこと?」

「いや、それはない。限度超えちゃってるからあの人。ミイラ取りがミイラになっちゃってるから」

「あ、そういう……ねえ、そのお話聞きたい、聞きたーい」

「聞きたい? いいよぉー」


 世間話程度の軽さ。二人とも分かっていながら。


「最初はね、変な薬の流れを追ってたわけよ。海の向こうからわざわざ買い付けに来る人がいたもんだからね、気になっちゃうじゃない」

「ああー気になっちゃうね。通販で良くない? ってなっちゃうね」

「でしょおー? でさ、坂田にそこらへんの調べものをお願いしてたわけよ。優秀マンだったからさ、あの人」

「出た優秀マン。優れて秀でているマン。そういうのに限ってスッ転げるとどこまでも転げ落ちちゃう」

「ハイそれ。気が付いたらお薬取り締まるマンがお薬大好きマンだよ」


 へっへっへ、と二人同時に笑う。そこには僅かに侮蔑の色も混ざっている。ポテトチップスを口に放り込み十分に咀嚼して嚥下し、話は続く。


「今年の頭くらいまではね、俺らも全然気付いてなかったの。でもね、なんかこう、今年に入ってから動きに焦りが出始めたっていうか、雑になってきたっていうか」

「あ、そっか」

「ん?」

「今年のはじめっつうたら、坂田がここに来たくらいの頃だ」

「それそれ。普通は自分で公安です〜つって何かするとかありえないからね。ビックリよ、ビックリオブザイヤーよ」


 可能な限りその正体を隠して動くのが公安警察の常である。余程のことがない限り自ら名乗るなどということはない。それが、内部に対してでも、だ。


「あとさ、今年のええっと、夏前? くらいにこっちで薬の摘発あったでしょ。アメリカから人が来てさ」

「あったなー! あったあった」

「あれさあ、バイヤー全員消されちゃったの」

「マジでぇー? 坂田が全部持ってったのは覚えてるけども」

「それよ。坂田がモリッとやっちゃったみたい。雑。仕事が雑」

「ざっくりワークじゃん」

「ざっくりゆるふわワーキングだよね。今年度の『この焦りがすごい大賞』だよね」


 えへへへへぇ、と間の抜けた笑い、両者同時。




 その間の抜けた笑い声を、坂田は眉間に皺を寄せて聞いていた。場所は熊谷警察署内ではない。別個に確保している拠点だ。

 西倉のデスクの横に仕掛けたコンセントタップ型盗聴器からは、とてもクリアに二人の会話が聞こえてくる。侮蔑混じりの声色でさえはっきりと。


 あいつらは盗聴器に気付いていた。しかし、それを知っていながら利用している。聞かせているのだ、こちら側に。これは宣戦布告だ。いや、塚越がやってきたということそのものが最終通告であるのだ。

 思わず頭を掻きむしる。よりにもよって塚越だ。ここの土地勘がある、という理由だけではあるまい。あいつが来たということはもう手段を問わないということの証左である。おしまいだ。何の比喩でもない、ほんとうに、おしまいだ。


 今まで散々苦労してきた。面倒な仕事ばかり押し付けられてきた。それでも、こなしてきたのは誰か。自分自身だ。この坂田智英さかたともひでだ。それなのに、なんで。どうして。


 幼い頃からそうだ。親が面倒くさがることも代わりにこなした。皆の望む学校にだって入ったし、皆の望む進路にだって進んだ。公安からの引き抜きにだって応じたし、その後の仕事も全てこなした。こなしてみせた。

 それどころか、気を使ってまめに面倒だって見てやったじゃあないか。それなのに周囲ときたらどうだ。礼も言わない。感謝もしない。さもそれが当然だというような顔つきで次々と要求をエスカレートさせてゆく。

 クソどもが。どいつもこいつもクソばかりだ。あの市村も人に面倒ばかりかけやがって、熊谷駅と上熊谷駅を間違えるやつがあるか。あのとき後ろを着けていなかったらどうなっていたことか。上熊谷駅は秩父鉄道だぞ新幹線が来てるわけないじゃないか。そんなことも分からないのか。調べてから来い。

 こちらにキャンディを送るときも住所間違えて書きやがったから営業所止まりになって危なかった。いくら揮発しないように調整されているとはいえど限界はある。自分が気付かなかったらいつまでも営業所止まりになって成分が飛んでしまうではないか。あれ以来、恐ろしくて毎回この熊谷から筑波研究学園都市まで車で直参だ。馬鹿馬鹿しい。

 その上、先日のアレだ。バレたかと思ったから喋ってしまった、だぁ? ふざけるな。もうちょっとでいいから自覚を持て。緊張感を持て。キャンディを作る以外はてんで抜けている。そんなのでよくDPSに所属できたものだ。こちらが今までどれだけ気を使って対処してきたかあいつは分かっているのか? 雑な奴らのために証拠を隠滅し、根回しをし、極力ごまかしが効くようにタイミングを見計らったり調整したり。ただ殺せばいいという問題ではない。しかもあの市村は「可能な限り遺体を回収しろ」と言う。「できる限りの恐怖を与えてから殺せ」とも。要求が多い! 尻拭いもしないで何なんだそれは!


「……クソが!」


 坂田の口から呪詛の声が漏れ出た。無意識のうちに強く頭を掻きむしっていたことに、爪が食い込む痛みでようやく気付いた。


 ああ、ああ、面倒くさい。何もかもが面倒くさい。ふざけるな。ふざけるなふざけるなふざけるな!


 上着の内ポケットに手を突っ込む。中に入っていた小さな包み、緑色の飴玉を取り出し乱暴に口へと押し込んだ。眼鏡を外し、顔を両手で覆って、ゆっくりと飴を舐める。


 大丈夫だ。やれる。なんとかなる。なんとかする。今までだってそうだった。どうにかなる。うまくいく。だいじょうぶだ。だいじょうぶ。だいじょうぶ。いなくなればいいのだ。めざわりなやつらが、みんな。だいじょうぶ。うまくいく。だいじょうぶ。だいじょうぶ。

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