25-9

 午前一時三十三分。公園付近、店舗駐車場。


 運転席で待ち続けていた相田は、夜の暗がりの中でこちらに向かって歩いてくる影ふたつを見つけた。すぐさまドアのロックを解除する。月明かりに照らされた彼らが、網屋と目澤であることはすぐに分かったからだ。

 車両の真横にまで来てようやく、目澤が随分と酷い状態になっていることを知る。きちんとセットしている髪は崩れ放題崩れ、白いシャツは砂と土と血で汚れている。車に乗る前に、上着やらコートやらをばたばたと振って砂を落としていた。シャツやらズボンやらもはたいていたので、相当暴れまわり地面を転がったのだろう。


「はいお待たせー」


 網屋はいつものように助手席へ、目澤は倒れるように後部座席へ。なるべく早めに出た方がいいのかな、とキーを回そうとしたが、網屋が無言でそれを制した。


「すまん、ちょっとだけ待ってもらえるか」


 上着のポケットではなく、ズボンのポケットからスマートフォンを取り出す網屋。彼自身のものではない。着信を知らせる振動がいつまでも続いており、それを険しい顔で眺めてから網屋は通話に出た。

 しばらく無言のまま通話先の声を聞く。相田や目澤からは当然聞こえない。ただ、網屋の顔が険しいままであるのはとてもよく分かった。

 随分と間があり、それからひどくゆっくりと、網屋が喋りだす。


「公園横の事務所、自転車置き場の裏。あと、公園内の休憩所。早めに回収しろ」


 一方的に通話を切ってしまう。そして車から出ると、スマートフォンを公園へと放り投げてしまった。


「はい今度こそお待たせさん。出してくれ」

「はいよ」


 国道十七号方面ではなく、反対方向に舵を切る。目澤宅に向かうべきだと判断したからだ。

 後部座席でひっくり返ったままの目澤が、絞り出すように声を発した。


「今、何時だい?」

「一時半を過ぎてますね」

「一時かぁ……」


 悲痛なうめき。相田も網屋も、土曜日の夜は目澤にとってどんな日であるのか知っているのでその悲痛さは分かるし、知っているからこそどう慰めればいいのか分からない。


「急ぎます」


 相田は短く告げて、無理のない範囲内で速度を上げる。

 少しの間の静寂があって、ぽつんと、目澤がこぼした。


「みさき君に……全部、話そうと思うんだ」


 網屋が少しだけ身を強張らせたのが分かる。


「隠し通せることではないからな。もしかしたら、君達二人のことも話す可能性がある。大丈夫だろうか、嫌なら勿論話さないが」

「いや、全然問題ないですよ」

「俺も先輩に同じく、です」

「そうか、すまない」


 力なく笑う目澤。邪魔な前髪を手で乱暴に掻き上げて、しかし戻り切らず、はらはらとこぼれ落ちる。


「早く、終わらせてしまわないといけないな」


 若者二人が返事をするよりも前に、車は目澤のマンション前に到着してしまった。

 急げ急げと煽られ、目澤は荷物を大慌てで抱えてドアから飛び出す。


「今日は色々とありがとう、すまない」

「いいからいいから!」

「早く早く!」


 大股に走ってゆく背中はすぐに見えなくなった。きっとすぐに部屋へと辿り着くだろう。

 目澤を見送って、黒い車は今度はゆっくりと走り出す。石原の辺りから住処へと抜ける裏道は狭く、あまり飛ばすことはできない。途中には椿の家、すなわちグリズリーコーヒーもあるがこの時間は開いているはずもない。


 窓のすぐ横を住宅の植え込みが掠めるほどの狭い道を走りながら、相田は呟いた。


「なんか、大変だったんスね、目澤先生」

「まあな。予想はしてたんだけどな」

「そっかあ……」


 すぐに少しだけ広い道へ出る。人っ子一人、車の一台もいない道を左折。少し進めば国道へ出る。


「目澤先生、全部話すって言ってたな」

「言ってましたね」

「大丈夫、だよな」

「みさきちゃんなら大丈夫っしょ。そう思います」

「そっか」

「そっすよ」

「うん」





 午前二時二十二分。目澤宅。


 大慌てでシャワーを浴びて汚れを落とし、見える箇所の擦り傷や痣を一応確認した。確認してもどうしようもないのだが、できるだけの処置は自力でする。

 寝間着に着替えてようやく、目澤は一息つくことができた。


 帰宅した際、みさきは食卓に突っ伏して眠っていた。出来る限りそっと抱え、静かにベッドへと運んだが、下ろす際に目を覚ましてしまった。「ただいま」と告げると安心したのか、再び目を閉じたのでそのまま布団をかけて寝室を出た。その後急いで風呂に突入し現在に至る。


 空腹ではあるが、疲労がそれを上回った。とにかく横になりたい。みさきを起こさぬようにそろりそろりとベッドに潜り込む。

 横になると更に疲労感が増した。色々考えなければならないことがあるのは分かっている、だが今はただ眠りたい。


「おやすみ」


 小さい声で告げた。一方的な言葉だ。だけど今はただ、彼女の隣で眠りたかった。まぶたを閉じる。暖かい暗闇が、目澤を包む。





 午前六時三十分。日が昇る時刻。


 こうして、長い長い土曜日の夜は終わった。そうして、次の朝がやってくる。

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