25-6
午前十二時十二分。公園中央。
水を補給していた目澤と、調子よく喋っていた男は、ほぼ同時に振り向いた。同じ方向を見つめ、闇の中へと目を凝らす。しばらく様子をうかがっていたが、ふと目をそらした。
「あー、と、どこまで喋ったっけ」
「ストリートファイトを毎週実施している、というところまで」
「そうだそうだ、ありがと。で、今日、おまわりさんを名乗る人達がやってきて、アンタを倒せって言ってきたんだわ」
ただでさえ鋭い目付きが、ますます険しくなる。そんな目澤を見ても相手は全く動じない。
「ほんと、突然。見かけない顔がいるなーって思ってたらさ、唐突に『この男と戦って倒してくれ、倒したら金をやる』だよ? ビビるよなそんなの。怪しすぎる」
「だが、このザマだ」
「ハハ、それね。結局俺達さ、乗っちゃったのよ。その話に。主に俺が原因」
目澤は声を発することなく、相手の目を見つめた。笑顔のままの相手を。
「俺ねえ、前からアンタのこと知ってた。知ってたっつうか、見たことがあった。何月だったかなえーと、去年……まではいかないかな? 冬の時期にさ、ここの近くで女の子助けてたでしょ」
目付きが更に険しさを増す。やはり相手は動じない。
「ちょっと遠くからさ、見てたの。俺。駅に行く途中で。手ぇ出す暇なんてなかった。アンタ、あんまりにも速すぎて」
皮肉だとか自嘲だとか、そんな気配は無かった。まるで憧れのスポーツ選手を前にした少年のようであった。輝く瞳を向け、声には熱。
「戦うことへのためらいのなさ。決断の早さ。容赦のなさ。全部が最高だった。俺の求めているものだった。毎週やってるアレなんかとは比べ物にならない、手加減なしの殺意だ。まあ、ガチで殺そうってわけじゃないのは分かったけど……でも、状況が許すなら殺してたろ? 俺はさ、そういうのがしたかったんだ。ルールや倫理や法律なんかに縛られない、手加減一切なしのぶつかり合い。憧れて憧れて、それでも駄目で、駄目だって分かってたから色んなものを諦めたり退いたりした、俺の夢、理想そのもの」
ある意味で、狂っている。純粋な目で語るようなものではない。無垢な憧れを抱くようなものではない。だが彼はそうなのだ。そうであるのだ。喜びで顔をほんのりと上気させ、心の底からの笑顔を見せて。
「運命なのかなって思った。金とか、相手の怪しさとか、そんなのどうでもいい。アンタと戦える、それだけで良かった。だから俺さ、すぐに承諾しちゃって……他の連中は俺につられたんだと思う。金目当ての奴もいたかもしれないけど、そこら辺は分かんねえや。それに、結果としては予想通りになっちゃったし」
ちらりと背後のベンチに目をやる。彼の仲間なのだろう、体に上着を掛けてやっているあたり仲の良さがうかがえた。
「ま、しょうがないよね。アンタなら殺さないだろうって思ってたし、大丈夫でしょ。それよりも心配なのは全部終わった後だよ。俺らまとめて始末されちゃうかも」
「……警察関係者、とやらにか」
「それ。こんなことを依頼してくる警察関係者なんて存在してたまるかよ」
ははは、と彼は笑い飛ばした。肩をすくめて。心底おかしいと言ったふうに。
「そこまで喋ってしまってもいいのか?」
ごく素朴な疑問。目澤の問いに、彼は笑顔のまま答える。
「ダメだろうね……でも」
先程見やった方へと視線を向ける。暗い暗い、片隅。
「居なくなった。残りもこのまま居なくなるかもしれない。分かんないけど」
彼は分からないと言ったが、目澤には心当たりがある。網屋が動いてくれているとしたら合点がいくのだ。半ば願望混じりの楽観的予測でしかないのだが。
少しの沈黙があって、ぱしん、と己の太腿を叩く乾いた音。
「そこら辺はどうでもいいや。俺はただ、アンタと戦いたい。そんだけ」
「こちらとしてはもう帰りたいのだが」
「そりゃそうだろうね! でも、そこはなんとか俺に付き合ってよ。アンタが俺とやってくれるまで、アンタのあと着いてっちゃうからね」
「着いてこられるのは困るな」
「でしょ? だったらここでケリをつけた方がいいよ、お得だよ」
ごく軽く提案してくるが、その内容は至極物騒だ。だが、やらねばなるまい。目澤は諦めにも似た感情を悟った。
足元に鞄を置く。コートを脱ぎ、軽く畳んで鞄の上に乗せる。少し考えてから上着も脱いだ。ネクタイを外したのは、それを掴んでくることが予測できたからだ。体は暖かくなっているので、シャツだけで丁度よい。
その様子を満面の笑みで見つめていた彼は、少しだけ膝を曲げて重心を下げ、それから、こう言った。
「あーそうだ、俺だけそっちの名前知ってるってのもアレだよな。
軽やかに名乗り、だが握手などというものはない。目澤は黙って、構えた。
「あと、これも言っとかなきゃいけなかったんだ」
無言のまま言葉を促す。武居と名乗った男は、それを受けて喋る。
「殺しちゃったらゴメンね。手加減とかする気ないから、もしかしたら、もしかするかもしれない。そうならないように気を付ける……のは、厳しいと思うから」
「手加減など、ハナからする気はないのだろう」
「へへ、バレてら」
相手の言葉、その声が終わるよりも前に目澤が動いた。
互いの距離は二メートル強、そこそこに離れている。だがその距離を一瞬で詰めた。ただでさえ結構な高身長である目澤だ、当然足も長い。その分、一歩が大きい。更に、速い。恐ろしく低い位置から側転の要領で飛んでくる、強烈な蹴り。速度と勢いと体重の全てを乗せたものだったが、足の裏にヒットした感触は伝わってこなかった。
「うぅわ、こわ!」
寸前で回避されていたのだ。靴のかかとにほんのわずか、武居のウインドブレーカーが掠めていった。
「この距離を?」
喋っているな、という認識はある。だがそれよりも、目澤の頭の中は次の動きを実行することで満たされている。ためらわない。間髪を入れない。体を起こしながら身を翻し、突きを放つ。振り返る瞬間はごく短く、動きはコンパクトに。
悩む、などという過程を踏んでいる暇はない。そうならないように鍛錬を積み、そうならないように体に覚え込ませるのだ。息を吸って吐くことを悩んだりしないように、次の攻撃を。次の手段を。
だがこれもまた回避された。これ以上の追撃はむしろ危険だと判断し、一度距離を置く。
「ひゃ、速いね……! その上重い。距離もエグい。めちゃくちゃ怖い」
言葉とは裏腹。喜びに武居の目が爛々と輝いている。勿論、戦意は全く衰えていない。
厄介だな、と目澤は腹の中で呟く。相手が何も分からぬうちにケリをつけてしまうのが自分の基本的なやり方だ。そのための速度であり、威力であり、彼我距離の詰め方であるのだ。それができなかったらどうする? 次の方法に変化させなければならない。こちらの速度に対応してくるという前提で話を進めなければならない。
嫌な相手だ、と、口にしそうになって止めた。
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