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 翌日の午後に通夜は行われた。参列者は少なく、それでも相田の同級生や三医師、アパートの家主が顔を出した。

 椿や佐伯は次の土日に決勝レースを控え、チームでの合宿練習がレース開催地の県で始まっているというのに顔を出した。なんとか時間を作ったから、と二人は言ったが網屋が礼を言いつつ叱りつけていた。己の本分を果たせと言う網屋に、二人は「本当は告別式にも出たい」と暴露し、さらに叱られていた。

 実はみさきと豪徳寺も翌日に資格試験を控え、本来ならば勉強に集中すべきであったにもかかわらず通夜に顔を出した。こちらも前者と同じく網屋からお小言を食らい、告別式に出られないことを嘆きつつ帰っていった。


 喪主である相田はただ通夜をこなすことに必死で、気が付けばもう終わっているという有様であった。



 葬儀場の親族専用の宿泊部屋で布団に転がってようやく、相田は己の疲労に気が付いた。体が鉛のように重い。布団に沈み込んでゆくようだ。しかし寝付くこともできず、暗闇の中で目を見開いて虚空を睨み付けた。


 死というものに対して、自分の感性は摩耗しきっているものだとばかり思っていた。去年、祖父が亡くなった時はここまで取り乱さなかったからだ。響介の死を経て鈍ったのだとばかり思い込んでいた。

 だが、実際は違った。祖父の時に衝撃が薄かったのは、彼が天寿を全うしたからである。父と母は違う。決して天寿などではない。

 自殺、と言われても合点がいかない。つい最近まで二人とも仕事をしていたはずだ。自分のオンラインストレージについ先日も仕事の写真データを突っ込んでいたくらいだから。


「……写真」


 口に出してみてから、その写真がどんなものか見ていなかったなと思い出す。手を伸ばして枕元に置いていたスマホを掴み、そのフォルダを引っ張り出す。


 母のいつもの癖だ、メモの代わりかというくらい写真を撮る。デジタルはいいね、いくら撮っても勿体無いと思わないから、なんて言っていたのはいつだったろうか。そのせいで母自身のストレージはおろか手持ちのUSBもSDカードも何もかもぱつぱつになるまで写真が溢れ、オンラインストレージは課金までしたのに容量が足りず、息子の容量に手を出す始末だ。


 保存された日付は四日前。本当にごく最近だ。どこか研究所らしき建物。無機物より有機物を撮る方が好きだという母であるから、建物の写真は比較的少ない。

 取材対象なのだろう、白衣を着た人達が沢山写っている。そういえば薬学の研究を行っているチームがどうのこうのと言っていたから、もしかしたらその人達なのだろうか。しかも全員東洋人。日本に帰ってきていたのかもしれない。あとで自宅に帰ったら、パソコンの方で写真のデータを確認すれば場所が分かるかもしれない。

 その中でも特に枚数が多いのは、にこやかに笑う中年男性だ。端に父の後ろ姿が見切れていたりするところを見ると、きっと父の取材対象であるのだろう。単独インタビューの様子といったところか。


「あれ……誰だっけ、この人」


 ぼんやりとこの男性に見覚えがある。有名人なのかと思ったが記憶にない。この癖毛の、ふわふわとした感じの人は誰だったっけ……と相田はぼんやりと記憶を辿り、ふと、思い出した。


「あれだ、病院だ。お父さんが熱出した時の」


 何ヶ月か前に両親が帰国した際、体調を崩した父を陣野病院で診てもらった時だ。病院の玄関先で正面衝突してしまった人は確か、この男性ではなかったろうか。


 暗闇の中で写真を見つめながら、次々に思い出す。結局あの日の夕飯は卵おじやだったな、とか、先輩がタッパーにみっちりとブリとネギのピリ辛炒めを詰めて持ってきてくれたから助かった、とか。


 この期に及んで、思い起こされるのはご飯のことばかり。笑って食卓を囲んだ記憶ばかり。

 相田が食事を大変好む最大の理由は、暖かい食卓の記憶があるからだ。たまに帰ってくる両親と、祖父と、目一杯テーブルが埋まるほど美味しいものを作って、色んな話を聞きながら取る食事が大好きだったからだ。

 両親が日本を離れているのは寂しかったが、母が覚えたという珍しい外国の料理と、父が買ってきた海外の特産品と、祖父が張り切ってとてつもない量を作ってしまう稲荷寿司と、それら全てを広げて食べながら聞く土産話があれば十分だった。

 父と母が海外で忙しく働いているということを相田はきちんと理解していたし、自分は日本で好きなことをやらせてもらっているから贅沢やわがままは言わない。だが、両親の帰国とその日の食事は彼にとって一大イベントであり、心の支えだったのだ。


 それはこれからも続いていくと思っていたのに。ずっと。当たり前のように。



 ……次に先生達に会ったら、この人のことを聞いてみよう。病院の人ではないかもしれないが、何か知っているかもしれない。そうしたら、この人から両親の話を聞くことができるかもしれない。何でもいい、些細な事でもいい、両親のことを聞きたい。何でもいいから。


 両親のことを知っているようで、まるで知らない。どんな想いを持って仕事をしていたのか。どんな内容だったのか。知っているのは家にいる時の両親、ただ、それだけ。


 スマホの電源を切ると、部屋は暗闇に包まれた。相田は目を閉じ、さらに掌で覆って外界を遮断する。今はただ眠ってしまいたい。外の世界も内の世界も断ち切って、夜の底へゆっくりと沈む感覚に飲み込まれていたい。


 相田が眠りにつくまでには、しばらくの時間がかかった。

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