12-4

『貴方の名前は?』

『神の仔』

『それは貴方の名前じゃない。本当の名前があるでしょう? 貴方の名前は?』

『……神の仔』


 録画された映像は、白衣を着た男と、虚ろな目をした青年を映し出している。


『貴方は、何人家族でしたか』

『沢山』

『何人?』

『沢山、沢山。皆、神の仔なのです』

『お父さんやお母さんは?』

『私の父は神。私の母は神。私は神から産まれた』


 青年は優しげに微笑む。幸せそうな表情だ。その幸せを、何人たりとも邪魔することはできない。


『貴方には妹さんがいたでしょう』

『沢山いる。神の仔全てが私の兄弟。私の姉妹』


 その映像を、研究生達が眺める。彼らに表情はほとんど無い。あえて名付けるならば、学者の表情だ。


『妹さんと、遊んだ思い出とか』

『私に思い出など無い。私に必要なのは未来だ』


 ここで突然、映像は途切れる。あまりに短すぎると誰もが思った。それが、教授の意図によるものだと分かっているから尚更だ。

 教授はモニターを切り、研究生達の顔を一人ひとり眺め回す。


「さて、挑戦者はいるかね?」


 あまりにも判断材料が少なすぎた。微動だにしない研究生達の中、しかしそれでも、ためらいなく手を上げた人間が一人だけいる。


「……他には?」


 返答はない。教授は再びモニターのスイッチを入れて満足げに微笑んだ。出遅れた時点で、他の研究生達は負けたのだ。


「シオノ、君以外誰もいないから、君に頼もう」


 鎮鬼は黙って席を立ち、隣の部屋へ向かう。そこには先程の青年が座って待っていた。

 教室のモニターはその青年と、小さな机と、もう一つの椅子が映るようになっている。ドアを開ける音がモニターから聞こえてきて、画面の中に鎮鬼が登場する。


「こんにちは、初めまして」


 鎮鬼は青年に笑顔で話し掛けた。青年の反応は鈍い。それでも鎮鬼は笑顔を崩さない。椅子に座って青年と対面すると、机に両肘をついて身を乗り出した。


「貴方の名前は?」


 研究生達は息を飲んだ。同じ台詞をそのまま持ってくるなんて、余程の馬鹿か、それとも自信があるかのどちらかである。前の人間と同じ轍は踏まないと公言しているようなものなのだ。逆を言えば、「前の奴は自分より馬鹿だ」。


「……神の仔」


 返答はやはり、全く同じものだ。

 鎮鬼はもう一度笑った。楽しそうに。


「神への冒涜者が、神の仔を名乗ってはいけない」


 青年の体が僅かに強張った。鎮鬼はそれを見逃さない。もう、獲物は罠に足を踏み入れている。


「貴方には妹さんがいましたね」

「私の兄弟は沢山いる。神の仔全てが、私の兄弟なのです」

「妹さんを悪魔にしたのは貴方でしょう?」


 揺るがなかった視線が、ずれる。相手と正面から目を合わせられない「何か」が彼の中に生じたのだ。


 鎮鬼の持ち味は「速度」だ。誰よりも早く崩壊点を見つけ出し、誰よりも早く実行する。その崩壊点を見つけるために、彼は材料を選ばない。今回のように挙手という形で実行者を募ったという時点で、彼はこの講義が「判断速度を問われている」と気付いていた。

 その事実を、研究生の何人かは悟ったらしい。自分もできたはずなのに、と悔しさが顔に滲み出ている。


「貴方がどこに行っても、名前を変えても、妹さんにしたことは消えない。変わらない。それでも逃げ続けるつもりですか? 逃げるという行為自体が、自ら妹さんに束縛されようとしている……」

「違う」


 初めて、青年から反応する。教義にはない言葉が口から漏れたのだ。


「何が、違うのですか?」

「……違う」

「貴方は、どうして入信したのですか? 何のために修行を重ねてきたのですか?」

「それは、神の仔……」

「神の仔にならなければならない理由は?」

「それは……」

「神の仔として認められる必要性は、どこから発生したのですか? 貴方はどのように考えたのですか? その考えが浮かんだのは何故? 何が切っ掛け? いつ頃から考えていたのですか? 貴方はそれらを明確に覚えていますか?」


 青年は黙り込んだ。呼吸をするのも忘れるほどに。いや、鎮鬼が黙らせたと言った方が正しい。

 だが、鎮鬼はここで言葉を切り相手の顔を覗き込む。今度はゆっくりと、言葉を紡いだ。


「妹さん、今頃、どうしているのでしょうね」


 青年の表情が大きく歪む。無表情のまま鎮鬼はしばらくそれを見つめて、待つ。

 壁は全て崩した。青年の「言葉」が流れ出してくるまで、あと数秒。右手がそわそわと動いて、シャツの裾を掴む。

 少しだけ視線を逸らして背を丸め、僅かに隙を与えてやる。


「……許される、訳がない」

「そうですね。このまま逃げ続けていれば、何も変化は起こらない」


 このまま突き崩してやりたい衝動に駆られるが、きちんと再構築の余地を残さねばならない。これはデモンストレーションだからだ。


「少しでも、妹さんに何かしてやろうと思いましたか? 謝るとか、償うとか」


 口調のテンポをさらに落とす。言葉は柔らかく、表情も相手が受け入れやすいように。

 青年は下を向いて、首を横に振る。


「妹さんに、何かしてやりたいと、思っていますか?」

「……分からない」

「何が?」

「俺はあいつに関わっちゃいけない。何をしてしまうか分からない」

「だから逃げた?」


 誘導されるままに青年は頷く。だがこのケースの場合、望むままの答えを出しているだけでは解体はできない。


「言い訳にしては上出来」


 短い言葉を叩きつける。青年は逃げ場を失い、硬直した。


「なじられるのが怖い?」


 瞳は恐怖に竦んでいる。恐怖は勿論、自分の過去に対するものであるのだが、その他にも要因はある。何も知らないはずの初対面の人間が全てを暴くからだ。その恐怖が水面下に潜み、掻き乱す。


「誰かに、悪魔と呼ばれたことがあるでしょう」


 さらに身を乗り出して、体勢を低くする。顔を下に向けてうつむいている青年に、声が届くように。


「妹さんに? それとも、別の人?」


 乾いた唇が、開く。しかし声は出てこない。まだ、否定している。

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