09-3

「さて、本命の方いこうか」


 二杯目の酒を飲み干すと、荒川は持ってきた木箱を網屋の前に差し出す。箱はノートが入りそうな程度の大きさだ。厚みはそこそこと言ったところか。

 黒に金色が混ざった組紐を解いて、蓋を開ける。中には、奇妙な形の刃物が黒革の鞘に収められた状態で入っていた。


 鞘の長さは十数センチ程であろうか。幅は広く、五センチはありそうだ。

 奇妙な印象を与えるのは、柄の部分が原因であった。幅広の刃の根本は細く、そこから続くはずの柄は刃に対して真っ直ぐではない。例えるなら丁字路。しかし、刃に対して直角でもないのだ。少し斜めの角度で十センチ程の僅かに湾曲した柄が付いており、左右に展開する長さも均一ではない。


 柄は、日本刀のように柄糸が巻き付けられていた。黒い漆を塗ったエイ革の柄に、黒い柄糸。菱形に開く隙間から見える、小さな金属製の装飾。

 よく見なければ分からないそのパーツ「目貫」は、狼を模した物であった。尾は下を向き、体は痩せているが、何かを見上げている顔は穏やかだ。

 網屋は柄の裏、反対側を返して見た。対になる「裏目貫」は同じ狼ではなく、流れる雲の間から覗く満月であった。


「月下飢狼ってんだ」


 さすがに三杯目は一気に呷ることはせず、少しづつ口をつける荒川。名を告げる表情は真顔だ。


「その目貫さね。随分昔に、佐嶋が俺ん所に持ってきたんだ」


 鈍く輝く満月。月を見上げる狼の、赤銅で彩られた瞳。


「手前の刀に使うのかって聞いたら、『自分はもう、見つめる先があるからいい』だってよ。他の奴に使わせたいっつうから、お前さんのに入れた」


 黒い狼の赤い瞳は、月を見て何を思うのか。たった一つの答えなど無いのだろう。

 それよりも、月を見つけた事自体が、狼にとっての全てなのかもしれない。


「ま、抜いてみろ」

「失礼します」


 手の力に対し少しの抵抗があって、その後するりと抜ける刃。刀身も黒一色に染め上げられており、砥いである刃の部分と、中央より少しずれた位置に掘られた溝のみが僅かに金属の色を見せる。


「229のグリップと同じ角度になってるはずだ。確認してくれ」


 網屋は柄を掌の内に握り込んだ。人差し指と中指の間から刀身が飛び出している状態だ。握り込んだ際に邪魔にならぬよう、刀身の根本が細く作られていたのである。

 柄の長さも、丁度掌に収まるサイズだ。


「変わった形っすね」


 尋ねる相田の目は興味でキラキラと輝いている。メカニカルなものであるとか、ツール的なものであるとか、そんなものに興味を示すのはいくつになっても「男子」という生き物の性なのか。


「プッシュダガーってやつだ。聞いたことあるか?」

「無いですね」

「だよなぁ。日常生活に登場する道具じゃないもんなぁ」


 机の上に置いた、ダガーと言うには随分と和風な拵えの刃物。興味はあるが、触るのはやめておく相田。


「いざって時のために、単品で使える道具も必要って訳よ。備えあれば嬉しいなって言うだろ」

「突っ込みませんよ、先輩」

「うっそマジで。ここは突っ込むところだろ常識的に」


 今度は左手で握る。爪、と言うより牙のように相田には見える。


「こうやって握って、突いて使う」

「突く以外も出来るぞ。何のためにその切っ先にしたと思ってやがる」


 とびきりの笑顔を見せる荒川。


「突いたり斬ったり何でもござれだ。あとは使う奴の力量だな!」

「プレッシャー掛けないで下さいよ」

「佐嶋の弟子ならできるだろ。アイツは上手だぞ、斬るの」


 よく考えると随分物騒なことを口走っているのだが、荒川という人物の人となりがそうさせるのか、あまり深刻な内容には聞こえない。


 部屋の隅で黙って正座していた守河が、一歩前に出て告げる。


「鞘はホルスターに装着できます。今、やっておきましょうか」

「お願いします」


 網屋が上着を脱ぐと、下に着けていたショルダーホルスターが露わになる。左右に銃を装備できるタイプだ。

 ホルスターも外すと、守河が説明しながら鞘を付けた。銃よりも少し下の位置に鞘は収まり、元からこの形状であったかのような錯覚をもたらした。


 元通りにホルスターを装着し、上着を着る。右手を左脇に入れ、抜き出す刃。服に引っかかることもなく、一瞬で抜刀体勢に至る。


「おお、いいですねえ。挙動が数倍やりやすくなりました」

「だろぉ。俺、いい仕事してるだろぉ。鞘もいいだろ。全部、そいつの角度に合わせて調整してあるからな」


 何杯目になるか分からない酒を注ごうとした時、障子がまた開いて今度は北沢が入って来た。手にした漆塗りの盆に、網屋の銃が載っている。


「お待たせしました」


 客人に出す茶の如く、差し出す二挺の銃。


「スプリングとスライドの交換で済みました。よくメンテしてもらってるようで」

「やった、北沢さんに褒められた」

「でも、最低でも年に一回は持ってきてもらいたいなあ」

「に、日本国内にいる間はそうします」

「そうして下さい」


 体を小さくして頭を下げながら、抜いてあった弾倉を入れる。食事をする時に箸を持つように、当たり前の所作としての動き。

 銃をホルスターに収めてしまうと、ここに来た時と何も変わらない状態になった。


 渡された伝票を眺めて、網屋は内ポケットから封筒を取り出すと現金を数え始めた。ご結構な額が吹っ飛んでいるのは仕方のない事なのだろう。

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