第129話 旅立ちの朝

 次の日の早朝、三人はエル・デルタの港から離れた小さな港に行った。ハシケが一艘いっそう接岸せつがんしていた。ニコラスとパウロ、そしてイゴールが見送りに来ていた。


 ヨハネはまずパウロの左肩に右手を置いて言った。

「パウロ。お前は頭の回転が速くて仕事を覚えるのも早い。きっといい御者ぎょしゃになるだろう。馬の世話と馬車の造りも憶えろ。お前ならすぐできるだろう。そして仲間を作れ」

「仲間ですか?」

「ああ、一人で出来る事には限りがある。同じ釜の飯を食う仲間を作っておけ。きっとお前のよりどころになる」

 パウロは今にも泣きだしそうな顔でヨハネの目を見た。


 ヨハネは次にニコラスの手を取って言った。

「おやじさん。あなたの助けがなかったら私は死んでいたかもしれない。本当に感謝している。おやじさんには不思議な人徳があると思う。廻船かいせんの仕事をきっと成功させてくれ。そうすれば奥さんもきっと帰って来る。人もついて来るだろう」

「買いかぶり過ぎだよう」

 ニコラスはほくろの毛を風になびかせながら何度もうなずいた。


 その横を走り抜けながら、ペテロは満面の笑みでヨハネに話し掛けた。肩にはいつもの背嚢はいのうが掛かっていた。

「また船に乗れる。船はいいぞ」

 そう言うと、慣れた様子でハシケに飛び乗った。

 

 メグはヨハネの服を着て男装をしていた。髪を短く切りそろえ、小さな袋を肩にかけていた。

「どうかしら。短い髪も似合うでしょ」

 そう言うとクスクスと笑った。

「わたしは、あなたの姉、という事にしておくわ。口裏を合わせてね」

「なんで『姉』なんだ。私のほうが年上だよ」

「たった一年でしょ。背も大して変わらないし。いいじゃない」

 ヨハネが反論しようとするとそのままハシケに飛び乗った。いつもの革靴がコツリ、と音を立てた。ヨハネもその後を追って飛び乗った。


 イゴールはパウロに脇を抱えられて立っていたが、ハシケの上の三人に大きな声で最後の言葉をかけた。

「沖に、ガレオン船を二回ふたまわりほど小さくした船が停泊しています。それに乗りなさい。そのままラ・クエスタまで行くはずです。事成ことなれば、私の館へ戻りなさい。みなの旅路が無事でありますように」


「行くぞ」

 ヨハネはペテロに声をかけた。二人はかいを全身の力で漕ぎ始めた。ハシケはきしみ音を上げて、沖に進み始めた。


 その様子をイゴールは、いつまでも見つめ続けていた。初夏の朝日がイゴールの曲がった背中を照らし、早朝の海風が彼の白髪の混じった髪をなぶり続けた。



 彼は、ハシケが沖に遠のく姿を見つめながら、涙を一筋流した。



(続く)

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