第104話 腐敗と絶景
初夏の海は明るく光り輝いていた。その合間に緑色の小さな島が数えきれない程浮かんでいた。マール・デル・ノルテの暗く激しい海しか知らないヨハネにとってこの体験は新鮮だった。海は凪ぎ、鏡のように青い空を映した。その様子は見る者に、青い草が広がる野原を連想させた。
彼らの船は沖に停泊しているガレオン船の側を通った。まるで海にそそり立つ建物のようだ、とヨハネは思った。赤黒く焼けたその船の後部はアギラ商会のように三層構造になっており、それぞれの階に窓が付いていた。その周りにはヨハネたちの廻船よりも大きな船が幾つも取り憑き、人や物を積み下ろししていた。人々は大きな網を使って廻船からガレオン船に昇らされていた。彼らがどこに連れて行かれるのか、ヨハネは想像がついた。彼は顔をそむけた。
「取りあえず、一番近い島に行ってみよう。あんま遠くに行っても帰りが大変だしよう。このへんの島はたいてい同じだからなあ」
ニコラスはそういうと、隆々たる胸板を日光に晒しながら、舟を漕ぎ続けた。
彼らの船は一つの美しい島に近づいた。白い砂浜に向かって船が進むとやがて細長い船着き場が見えてきた。ニコラスはそこに飛び移ると鞆綱を杭に結びつけた。三人は木製の廊下のような船着き場を歩くと、この島の集落へ向かって歩いた。ヨハネはその美しさに圧倒された。振り向くと凪いだ海が
が、ヨハネの心は暗転した。
しばらく歩くと得も言われぬ悪臭がヨハネの鼻を突いた。ヨハネは不快感と食欲を同時に感じた。その臭いは砂浜の上に広げられたござの上の干し魚から発せられていた。地面一杯にござが何十枚も不規則に並べられていた。その上には腹を開かれた魚が干されていた。ヨハネはその近くによって観察した。魚の加工には切れ味の悪い刃物を使ったらしく、内臓がまだ残っていた。魚は小さく、切り開かれた腹は乾燥していたが、目や口はまだ生乾きだった。そこに黒く大きな蠅が五月蠅なしていた。その中で、痩せた子供が半裸で座り込み、その不潔な干し魚にむしゃぶりついていた。その子供たちの頭には白く小さな虫が蠢き、胸元は皮膚の病で赤くただれていた。
三人は分かれて、その漁村を見て回った。ヨハネはそこで立木をくみ上げただけの粗末な家が幾つも立てられているのを見た。入口から中を覗き込むと、そこは踏み固められた土の床で、泥をこね上げたかまどが隅に作られていた。その周りから天井に向かって黒いすすが壁と天井にこびり付いていた。その暗い家の中には何人もの人間が重なり合うように、寝転がっていた。そしてヨハネが一番つらく感じたのは、し尿の臭いだった。家から少し離れた所に茅葺の小屋があった。そこからは糞尿の臭いが漂ってきた。彼は思はず口と鼻を両手で覆った。それは穴を掘ってその上に茅葺の屋根を作っただけの衛生状態の非常に悪い便所だった。その周りには蠅が唸り声をあげて群がっていた。これでは疫病が流行るだろう、今まで下水の仕事を手伝ってきたヨハネはそう考えた。
ヨハネは村の中を横切って港へ帰った。港にはただ船着き場が幾つか造られているだけで、漁に使う船がたくさん並んでいた。人々は蕃服を着て網を繕っていた。その周りをたくさんの子供たちが走り回っていた。みな一様に痩せて、あばら骨が浮いていた。ヨハネはふと故郷のエリアールを思い出した。十年前の自分もここの子供たちと大差なかったのだから。
ヨハネたち三人は夜になると船に戻り、ござを掛けて折り重なるように寝た。そして似たような島を幾つか廻った。みな一様に貧しく不潔な島々だった。
海碧色に染められた絨毯のような海と、深緑の木々に覆われた島、そして不潔で貧しい村々。それがエル・マール・インテリオールの姿だった。あの子供たちは、やがて奴隷か奉公人として売られるだろう、運が良ければ、海賊か兵士になれるかもしれない、ヨハネはそう思うと、空を見上げて小さなため息をついた。
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