第101話 愛の歌

 ヨハネの仕事は続いた。

 市参事会しさんじかいの教会建設は順調に進んでいた。ドーム型の天井を持った教会本体はほぼ完成した。そこで作業をする人々は彫の深い、オリーブ色の肌の色をした人々で、建築についてと特別な知識を持っていた。

 ヨハネを含む奉公人たちは庭や水路を作るために、手押し車やで土や石を運んだ。ヨハネの背骨はきしみ、手のひらの豆は潰れて血が流れた。裸足で歩く彼の爪は割れ、赤黒い血が滲んだ。


 短い休憩時間になると、彼は庭の隅にある水溜まりで手と足を洗った。

 水が傷口にしみて声を上げるほど痛かったが、同時に腫れた手足が水で冷やされ、声を上げるほど心地よかった。

 彼は顔も水溜まりで洗うと、完成しつつある教会へゆっくりと歩いて行った。



 教会の中からはヨハネが聞いた経験のない歌声が聞こえてきた。それはドームの天井に響き、石の壁に作られた縦長の窓から漏れ聞こえてきた。彼は今まで旅芸人たちのリュートくらいしか音楽を聞いた事がなかったが、その透明で深遠な振動は彼の心と体を激しく揺さぶった。それに彼は何故かその歌の意味が理解できた。


 聖なるおん母マリアよ

 神の恩寵おんちょうに満ち満ちたお方

 救い主は、あなた様と共におられる

 あなた様は、女たちの中からただ一人選ばれ、おん身の御子と共に祝福されている

 聖なる母マリア、救世主のおん母上

 いまここで、そして我らが死する時のために

 我ら罪びとたちのために、

 お祈り下さい

 アアメン


 ヨハネは教会の石壁に額を付けて目をつぶると、その歌声を全身に染み込ませるように深く深く聴き入った。


「この教会の聖歌隊です」

 急に後ろから声を掛けられて、ヨハネは振り返った。そこには黒い外套がいとうを着た若い男が立っていた。

「あなたは市参事会から送られてきた奉公人ですね」

 そう言いながらその男はヨハネの目だけをじっと見つめた。

「中にお入りなさい。今日はこれからセプールベダ様のお話があります。正面の入口からお入りなさい」

「しかし今は仕事中の休憩時間なのです」

 服に付いた土埃を払いながら気まずそうにヨハネは言った。

「私から責任者には言っておきましょう。こんな機会はそうそうあるものではありませんよ」

 そう言ってその男は入り口のほうに左手を伸ばした。

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