第74話 新事業

 ヨハネはカピタンの部屋の扉を軽く叩いた。

 中から「入れ」と声がした。中に入るとトマスはいつものように黒檀製大机の奥に置かれた椅子に深々と座っていた。


「ヨハネか」

「はい。お言いつけ通り、参りました」

「伝言役は誰だ」

「この少年です。昨日ここに来た新しい奉公人です」

 パウロはヨハネの後ろに隠れていたが、一歩横にずれて、トマスから見える位置に立つと叫ぶように言った。

「パウロと言います」

「ふん。どうしてその奉公人を伝言役に選んだ」

 トマスはヨハネに言った。

「元気が良くて生意気だからです。ここに来て早々、この商会の悪口を言いました」

「頭、困ります」

 パウロは押し殺した声で言った。


「ふふん」

 トマスは歯を見せず口角だけを大きく上げて笑った。

「それは良い人選理由だ。パウロと言ったな」

 トマスは低い声で上から押さえつけるような声で言った。

「はい」

 パウロはかすかに震えながら答えた。

「私とヨハネの伝言はみなお前がやれ」

「はい」

 パウロは顔を真っ白にして答えた。

「ヨハネ。今日から我が商会は新しい仕事を始める。絹と綿の布をこの街で売る。何故だか判るか」

「街の織物は不足気味だからです」

「なぜそう思う」

「今朝、ガレオン船が入港した直後の市場に行きましたが、織物はすぐに売り切れていました。また、特別な技術で作られた織物も金持ち相手に売られていたからです」

「ふん」

 そう言うと、トマスは左頬の傷を右手で触りながらしばらく考えていた。

「今、この街には外部から大量の織物が運び込まれている。これらの商品の値段には当然、運送料が上乗せされている。軽視できない料金だ。それにエル・マール・インテリオールの海上運輸は非常に不安定だ。海賊が跳梁跋扈ちょうりょうばっこして法外ほうがいな通行料を何重にも取っている。そのため、末端まったんの小売価格が高騰している。これなら街で作って売った方が安い。それにこの街の周囲には織物の技術を持つものが少なくない事が判かった。今まで誰も気付かなかっただけだった」


 トマスはそう言うと深く息を吸い込んで、満足そうにゆっくりと吐き出した。

「それで我が商会で試しに様々な織物を作ってみる。奉公人小屋の隣の建物を作業場として借りた。機を織る奉公人は私が集める。ヨハネ、お前は奉公人たちが寝泊まりと炊事を行えるように作業場を整備しろ」

 トマスは一息つくとまた深呼吸をした。

「さっきこの部屋から娘が一人出て行ったのを見たな。あれは機織り奉公人の一人だ。これからも奉公人を集めるが、もし儲けが出ないならすぐにこの仕事は終わりだ。そう心得ておけ。明日から作業を始めろ。細かい事は勘定係と話をしろ。以上だ。行け」

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