第56話 三年後

「さあ、全員降りろ。到着だ」


 ヨハネは手綱を引いて馬を停めると、後ろの馬車に向かって静かに言った。馬車は取りあえず商会の搬入口に付けられた。馬車からは十人の若い男がぞろぞろと降りてきた。みな痩せて粗末ななりだった。年の頃は十五六歳だろう。十人とも馬車のうしろで固まったように動かず、ただ商会の建物を見上げ、不安そうに周囲をうかがっていた。

 ヨハネは言った。

「ここが、エル・デルタの最大の奴隷商会だ。カピタンはトマス。この街一番の奴隷仲買人だ。お前たちはこの商会と六年間の年季奉公ねんきぼうこう契約を結んだ。みんなこの商会のために働く事になる」


 新しい奉公人の一人が物資ぶっし搬入口から中に入ろうとした。


「何をしている。そこは馬車から物を積み込む時の搬入口だ。決して出入りするな。お前らは奉公人だ。奉公人はその分際ぶんざいに似合った振る舞いをしろ。黙って付いて来い」

 ヨハネはそう言うと、十人の新人を引き連れて搬入口を通り過ぎ、右に曲がり、裏路地に入った。その路地は相変わらず、汚水の水溜まりがいくつもできていた。

「うわ、きたねえ」と一人の少年が言った。


「うるさいぞ。『黙って付いて来い』と言ったのが聞こえなかったのか」

 ヨハネは歩きながら言った。もう一度、右に曲がり、奉公人用の扉の前に立った。

「ここが奉公人用の入り口だ。この入口以外は決して使うな。この中が台所になっている。三度の飯はここで喰うんだ。分かったな。中に入っても台所以外は決して使うんじゃないぞ。二階から上にも奉公人は決して入ってはいけない。分かったか」

 ヨハネは諭すように言った。

「分かったか、と聞いているんだ」

 ヨハネは鋭い声で言った。十人の新人は驚きおびえた様子で、声を揃えて「はい!」と答えた。

「次は奉公人ほうこうにん小屋だ。お前らはそこで寝起きするんだ」


 ヨハネはそう言うと、奉公人小屋の扉の前まで歩いて、扉を開いた。中から男の汗の臭いが流れ出てきた。蔀戸しとみどが開けられて光が差し込んでいたが、中は暗かった。「うわっ、くせえ」と新人の一人が言った。先ほど、汚い、と大きな声で不平を言った奉公人だった。


「おい、いま言った者、前に出ろ」

 ヨハネはゆっくりと大きな声で言った。その少年がニヤニヤ笑いながらヨハネの前に立つと、ヨハネは鼻同士がくっつくほど顔をその少年に近づけて、その目を覗き込みながら大きな声で言った。


「いいか。私はかしらだ。かしらの命令は絶対だ。不平も、不満も、陰口も許さん。私の上にいらっしゃるのがカピタンだ。お前らの契約主だ。お前らはカピタンに生かされている。私もカピタンに生かされている。この商会の悪口を言う事はカピタンの悪口を言う事と同じだ。絶対に許されない。分かったか」


 ヨハネに圧倒されたその少年はヨハネの顔を見上げていた。他の新人たちは怯えて黙り込んでしまっていた。

「返事を求められたら、はい、と答えろ」

 新人たちは背筋を伸ばして「はい!」と答えた。その少年は少しの間ヨハネをにらんでいたが、「はい」とさほど大きくない声で答えた。


「寝台は手前から新人が使え。奥は古参だ。新しい衣服と寝具が必要になった時は私に言え。食事はまずくても絶対に三食喰え。これは義務だ。下らない事で喧嘩をするな。古参の奉公人の言う事はよく聞け。そうすればかわいがってもらえる」

 新人たちは目を左右に泳がせながらその話を聞いていた。先ほどヨハネに睨まれた少年は尋ねた。


「あの、奉公人小屋の扉には鍵をかけないんですか?」

「鍵は無い。鍵は掛けない。いつ逃げてもいいぞ。逃げて行く当てがあるのならな。逃げな」

 ヨハネは言った。新人たちはささやき声で話していた。

「あと一つ、奉公人小屋の隣に奴隷用の小屋が二つある。男女別に二つだ。こちらは厳重に鍵が掛けてある。お前ら、女奴隷にちょっかい出したら、肘から先を切り落とされる。分かったか」

 ヨハネが尋ねると、少し間をおいて「はい!」と新人たちは答えた。

「夕飯まで小屋の寝台で休んでろ。外をうろつくんじゃないぞ。解散」

 ヨハネが命令すると十人の新人は奉公人小屋の中に入って行った。中からは新人たちのはしゃぎ声が聞こえた。

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