第39話 秘密の小屋
「おい」
横から太くて長い手が出てきて、ヨハネの腹を抱えた。彼は鈍い痛みを内臓に感じて右を見た。ペテロが汗びっしょりの顔でヨハネを捕まえた。彼は肩で息をしていた。
「おまえ、どこにいたんだよ。後ろ見たらいないから驚いたぜ。ははっ」
ヨハネは安堵のため息をついて、へたり込んだ。
「ペテロ、歩くの速すぎるよ。ぼくは道を知らないんだよ」
「ヨハネが遅すぎるんだよ。ほら後ろ見て見ろ」
そう言うとペテロはいま来た道を指さして示した。
「ほら、見えるだろ」
「いや。分からないよ」
「よく見てみな。白い物が見えるから」
ヨハネは薄暗い緑の森に白い色が見えないか、目を凝らした。するとバンブーの木の横枝に白い丸い物が点々と付いて森の奥に続いているのに気付いた。
「白いものが見えるね。あれなに?」
「猫の頭蓋骨さ」
ペテロは得意げに答えた。
「あれが道しるべになっている。あれをたどれば森を出られる」
「なんでそんな気持ちの悪いものを使うの!」
ヨハネは
「この森は猫の墓場なんだ。猫の白い骨がたくさん落ちてるんだ。それを木に引っ掛けて目印にしてるんだ。よく見えるだろ」
そう言われてヨハネはもう一度森の中を見た。うす緑色の日光に照らされたバンブーの森の中で、頭蓋骨の白はよく映えた。森の出口に向かって点々と白い目印が遠くまで続いていた。
「気味悪いよ」
「そんな事よりこっち見ろよ」
ヨハネはペテロに
そして息を飲んだ。
森の中に陽の当たる小さな空き地があった。その中央に竹で編んだ小屋が立っていた。柱も
「すごい! これ、ペテロが作ったの?」
「そうさ。すごいだろ」
「すごい!」
「俺が一人で作ったんだ」
「ひとりで!」
「そうだ。ははっ」
「半年前から少しずつ材料を集めてさ。みんなにも内緒でこっそりくみ上げたんだ。ここに誰か連れて来るのは、ヨハネ、おまえが初めてだ」
そう言うと背の高いペテロはヨハネの顔の上に屈みこむように顔を近づけた。
「他のやつらには内緒だぞ」
「うん。内緒にする」
「秘密を守れるか?」
「守るよ。絶対に」
「よし、じゃあここでおまえの釣竿を作るぞ。これを見ろ」
ペテロは小屋の横に吊り下げてあった草の束を指さした。
「これがネトルの
ペテロは束から二三本のネトルの
「おまえもやれよ」
ヨハネもペテロの真似をして大げさにネトルを引き抜いた。
「この皮を剥いてより合わせて釣り糸にするんだ。作業は中でやるぞ」
ヨハネはペテロに付いて小屋の中に入った。小屋は子供一人が十分立てる高さだったが、広さはヨハネの家とさほど変わらなかった。真ん中には竹で編んだ小さな台が置いてあり、欠けた陶器のカップが一つ置いてあった。
「すごい! すごいね!」
ヨハネは興奮して叫んだ。ペテロは得意げに腰に両腕を置いた。
「そこにすわりな」
ペテロは台の横を指さしながら言った。
「まず糸を作るんだ。ネトルの皮を剥いてそれをより合わせるんだ。こうやってな」
ペテロはネトルの皮を手早く剥くと、三本の長い皮を作った。それらを一本の糸に編んでほどけないように恥を強く結んだ。
「太い糸だと魚が怪しんで逃げちまう。できるだけ細くやるんだ。皮を両手でこすり上げて細く柔らかくしてから編むんだぞ」
ヨハネはペテロの真似をして、ネトルの皮を両腕でこすってから、三本の皮を一本の糸に編んだ。しかしヨハネの糸はすぐにバラバラになってしまう。何度やっても同じだった。その隣でペテロは器用に糸を編み続けていた。
「ペテロ。うまくできないよ」
「ん?」
ペテロはヨハネの手元に顔を近づけてヨハネの糸を見た。
「ははっ。おまえへたくそだなあ。三本の皮は互い違いに編み込むんだ。村の女の子が三つ編みをやってるだろ。あれと同じさ。それから少しでも編み込んだらばらけないようにはじっこをきつく結ぶんだ」
「うん」
ヨハネとペテロは作業に夢中になった。小屋の天井には光採りの穴が開いていてその上には小さな屋根が付けられ、雨が入らないように工夫してあった。バンブーの緑色の森は、太陽の光を同じ色に染めて、二人の手元を緑色に照らした。その緑の光の下で二人の男の子は一心不乱に作業をした。
「できた! ははっ!」
「ぼくもできた!」
二人は立ち上がって右手を高く挙げると、自分でよったネトルの釣り糸をつまみ垂らして並べ比べた。ペテロの糸は細長くきれいによられていた。
ヨハネの糸はあちこちから繊維が飛び出て見るも無残な姿になった。
「ははっ」
ペテロは笑った。
「笑うなよ。初めて作ったんだよ」
「そうだな。そんなもんかもな」
ペテロはヨハネを見下ろしながら笑った。ヨハネは腹が立って自分が作った糸を地面に叩きつけようと思ったがぐっと我慢した。早く釣り糸を作らなけらばならない。
「これからどうするの?」
「糸をもっと作らなきゃな。それにそんな糸じゃ、魚が逃げちまうぜ。もっと細くて長い糸じゃなきゃな。俺がやるのを見てな」
ペテロはネトルの皮を三枚取り出すと、一枚一枚を大きな手でしごいた。そして端を強く結ぶと両手の小指で結び目をしっかりと掴みながら一目人目を強く編んでいった。
「強く、しっかりと。縦に引っ張りながら編むんだ。そうしないと細長い糸はできないぞ」
「うん」
ヨハネはペテロの肩にあごを乗せて、それを見ていた。ヨハネの黒い前髪がペテロの金色の鬢に触れた。ペテロの大きな手から細くて長い糸が少しずつ生み出される様子を見て、ヨハネは魔法のようだと思った。
「ほら。できただろ。簡単だ。ははっ」
「すごい。すごいね! それぼくにちょうだい!」
「だめだ。糸を自分で作れるようにならなきゃな。釣りはそれから。じゃ、俺は行くぜ。こここは好きに使っていいぞ。糸が作れるようになったら俺んとこ来な」
そう言うとペテロは小屋を出ていった。ペテロは小屋の中に一人残された。
その日から毎日、ヨハネはペテロの秘密の小屋へ通ってはネトルの茎から何本も糸を作った。ペテロの真似をして何本も糸を作った。どうしても細くて長い糸はできなかったが、少しずつ彼は上達した。十日経った頃、ヨハネは自分の作業がうまくいっている事に気付いた。いつも編み始めてすぐに失敗してしまうのに、今日はネトルの皮を強く編み締める度に細く長い糸が次々と作り出されていった。
ヨハネはみぞおちが痛くなるほど集中した。糸は少しずつ長くなり、細いままほつれる事もなく、ついにヨハネの身長を超える長さになった。ヨハネは興奮したまま、満足の長いため息をついた。
ヨハネは作ったばかりの糸を右手に巻き付けてバンブーの森を走り抜けた。そして自分の小屋に走り込むと、座って縫物をしていた母の元へ滑るように座った。
「見て!おかあさん!ぼくが作った釣り糸だよ。すごいでしょ?ぼくが編んだんだ。」
あぶないでしょ、針が刺さるわよ、とヨハネの母は言うと、大儀そうに膝をくみ直した。彼女の肌は黄色く変わり、不自然な痩せ方をしていた。ヨハネは母の膝の上に自分の頭を乗せた。彼女の腹は不自然に前に突き出していた。
「おかあさん。赤ちゃんできたの?」
ヨハネは目を丸くして問うた。ばかなこと言うんじゃないの、そう言うとヨハネの上に縫いかけの着物をかぶせるとその上から針仕事を始めた。ヨハネは着物越しに見える母の顔を見て、コロコロと笑いながら、母の膝に何度も自分の頬をこすりつけて甘えた。
母は布越しでも判るくらい痩せた顔でゆっくりと笑った。
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