第28話 トマスの出自

 木造家屋の解体、階段の石積み、馬小屋の清掃、下水の掃除、用水路の底さらい、河底の石運び。ヨハネは様々な肉体労働に毎日駆り出された。

ティーの言葉はヨハネの心を針のように刺し続け、頭を冴えさせた。きつい労働はヨハネの若い体を少しずつ削り続けたが、ティーの言葉はヨハネの心をかき乱し続けた。働きながらヨハネは考え続けた。


 ヨハネの年季奉公契約は六年間だった。


 給金も無く、辞められもしない。しかし衣食住に困る事もなかった。それにティーの言う通り、逃げた所で何もできなかった。


 ヨハネは仮に自分が逃亡したらどうなるか、考えてみた。毎日の過酷な労働からは逃れられるだろう。しかし食べ物も住む所もなくなる。あの土臭い粥すらなくなるのだ。服もすぐに擦り切れるだろう。仕事を見つけるのは難しかった。逃亡した奉公人が仕事に就くのは極めて難しいはずだった。ヨハネは基礎的な読み書きと簡単な計算ができるだけだった。当然、裏社会に身を投ずるハメになるだろう。だが裏社会の仕事は別の意味できつい労働であるはずだ。街外れにある貧民街には街から疎外された者たち就く仕事があるかもしれない。しかしそこでは毎夜、何かしらの事件が起こり、朝になると変死体が見つかり、犯人はようとして知れなかった。貧民街の宿屋には若すぎる女から老婆までが酌婦として置かれ、握り拳にタコを作った大男の管理の下に置かれていた。男娼だんしょうまでいるという噂が流れてきた。それが、ヨハネやティーが逃げた後のなれの果てであるはずだ。


 しかし、しかし、とヨハネは何度も考えた。奴隷や奉公人から立身出世したものがいるのだろうか。市参事会しさんじかいに出資している街の有力者たちはみなコーカシコスで、生まれながらの大金持ちだったはずだ。商会のカピタンであるトマスはどうだっただろうか、とヨハネは思い出そうとした。トマスの目の色はヨハネと同じ青色だった。しかし体つきと肌の色はワクワクの血がたっぷり入ったヨハネとさほど変わらなかった。上等な服を着て、書類に字を書き付けているトマスの姿をヨハネは何度か見ていた。そう言えば、トマスの出自を誰も知らないのではないか、とヨハネは思った。

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