第18話 血まみれの恋
ヨハネは鉄格子から顔を突き出しながら声を殺して叫んだ。
「こっち。こっちだよ。生垣の一番下。その小さな柊モクセイの横」
娘は両手で自分の肩を抱きしめながら、ゆっくりとヨハネに向かって歩いてきた。裸足の足が敷き砂を踏んで、サク、サクと音を立てた。娘は茂みの隙間に傷だらけのヨハネの顔を見つけて叫んだ。
「あなた!」
そして声を押し殺した小さな声でつぶやいた。
「あなた、いったいそんな所で何やってるの。血がいっぱい出てるじゃない」
彼女は鉄格子の前まで来てしゃがみ込むと、右腕に巻き付けてあった手ぬぐいをほどいて、ヨハネの顔に付いた傷口を拭いた。井戸水で湿らせてあったその手ぬぐいは、ほてった傷口を心地よく冷やした。しゃがみ込んだ娘の顔は、ちょうどヨハネが顔を突っ込んでいる鉄格子の少し上にあった。
娘はクスクス笑って言った。
「まるで芋虫みたい」
「ひどいなあ。必死で通り抜けたんだよ」
「どうやってこの壁を通り抜けたの」
「これは壁じゃないよ。生垣だよ。隙間はたくさんあるよ」
「でもこの木は棘だらけでしょ」
「そうだよ。だから全身傷だらけの血まみれになったんだ」
「なに考えてるのよ」
「もう一度、君に会いたかったんだよ」
そう言われると娘は目を大きく見開いて、ゆっくりと閉じると、まるでまつ毛が重くなったようにゆっくりと目を半分だけ開いた。
「僕はヨハネ。この商会の奉公人だ。君の名前は?」
「昼間も言ったでしょう。奴隷に名前なんかないわ。あるのは奴隷番号だけ。」
「じゃあ、なんて呼ばれてるの」
「奴隷番号T」
「じゃあ、ティーって呼んでいいかい? いい響きだと思わない? ティーってさ」
娘はしばらく瞳を左右に動かして、迷っていたが、やがてクスクスと笑い出した。
「いいかもしれないわね。ティー。番号よりずっといいわ。ここでの私の名前はティー」
「ここでのあつかいはどう。食事や寝床はどうなってるの」
「食事はアロースのお粥よ。夜は寝わらで寝るの」
「えっ、男奉公人より良い食べ物じゃないか」
「そうなの? 奴隷は大事な商品だから、良いものを食べさせて、清潔にさせられるのよ。その方が高く売れるから」
ヨハネはそれを聞いてティーから視線を
「ねえ。あなたも今日の野次馬の中にいたの? 馬車に乗る時の」
「いいや。僕は遠くにいてあそこにはいなかったよ」
「やめさせようとは思わなかったの」
「無理だよ。僕は一番の下っ端で、今日も顔の骨が砕けるほど殴られたんだよ」
「ふうん。勇気がないのね」
「無茶だよ。他の奉公人たちはたくさんいるんだよ」
「……まあいいわ。許してあげる。この手ぬぐい貸してくれて、嬉しかった。人に優しくされたの、久しぶりだったから」
そう言うとティーは鉄格子に、体をかがめてヨハネの首に手ぬぐいを巻いた。その時、ティーの服の胸元が少し下がって胸の膨らみが少しだけ、ヨハネの目に入った。ティーの黒い髪の毛が、ヨハネの鼻先をかすめ、甘い臭いが鼻孔に満ちた。
「もう、戻らなくっちゃ。ほかの女奴隷たちが感づくわ」
「もう少し大丈夫だよ」
「だめよ。みんな勘が鋭いんだから」
「そうだ。これあげるよ。今日もらったんだ。
ヨハネは
「ありがとう。実はとってもお腹がすいてたの。でもあなたはいいの?」
「僕は大丈夫。食べなよ。おがくずの少ないパンだよ」
「うん。ありがとう。じゃあ、私は帰るわ。見つかると大変だから」
ティーは立ち上がった。
「待って。また会いに来る。また会えるよね」
「うん。わたし夜はできるだけ裏庭に出るようにするから」
そう言い残すと、ティーは奴隷小屋の裏口へ小走りで駆け去った。髪が揺れ白い貫頭衣の裾が上下に揺れるのを見て、ヨハネの胸は熱くなった。この後、またカラタチの棘と
ヨハネの通った後には、満月の青い光を受けたカラタチの白い花が力強く咲いていた。
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