愛しき修羅は星を吞む
あいほべく
第1話 こうして二人は
天正十四年(西暦1588年)四月。
それは、我が主が家督を継いで五年、数えで二十七になった年のことでありました。
わたくしはそのころ、名を
――――ええ、戦乱の世でした。
決して広いとは言えない所領を守るために、わたくしたちは寄せる敵を迎え撃ち、一族と自らの民のために攻め返し、奪い、
かたきに流させた血は我らの
ある時は勝ち、次には負けて。近隣の国衆と組んでは、裏切り、また離反する。
それを繰り返していました。ずっと、ずっと。
そうして最後に逆らい、従ったのは後の”天下人”でした。
あの日殿は、隣国で起きた一揆を鎮めるための援軍として出陣されておりました。
夕刻になって、その地を治めていた領主が都合した宿に入り、わたくしは見張りとして殿の寝所そばに控えました。
下弦の月がようやく顔を出し始めた真夜中のこと。
眠気を堪えていたわたくしが、ぎしりという床が踏まれる音に振り向くと、目の前に血しぶきがあがりました。
斬られる、と感じ咄嗟に腕で庇ったため命は免れましたが、傷で手が動かず刀を取ることが出来なくなりました。
せめて殿に知らせようと、わたくしは叫び声をあげました。
「殿!お逃げくだされ!!」
「いかがした!
白い夜着を召された殿のお姿が目に入る頃には、わたくしは腹の方も斬られておりました。
刀を抜いた殿がこちらに寄って来られますと、曲者は素早く引き下がっていきました。
「たれかおらぬか!曲者ぞ!」
声に反応するものはいませんでした。他の家臣達も、すでに斬られていたのかもしれません。
私の手当てをしようとしゃがみこもうとした殿は、しかし漂ってくる焦げ臭いにおいに気付き、動きを止めました。
外から火がかけられたようでした。
「和睦などと!あやつら、おれをはなから殺すつもりであったのだ!」
殿は血を流し続けるわたくしを背負われ、走り出されました。
「わたくしにかまわず疾くお逃げくだされ、殿」
「ならぬ。ゆるさぬ!ゆるさぬ!」
許さぬのはわたくしが死ぬことなのか、だまし討ちを行った者達のことなのか。
殿はもう、怒りで我をお忘れのようでした。
宿の入口は橙の炎にすっかり覆い尽くされ、乾いた木が焼けるぱちぱちという破裂音が耳に入ってきます。
殿は背の私を降ろすと、まだあまり火の出ていない壁に両掌をつき、力いっぱい押しはじめられました。
なにしろ殿は、怪力持ちで、乗っていた馬を太ももが閉じる力だけで締め殺したこともあるほどでおられましたから、バキバキという音を立てて、瞬く間に壁に穴が開きました。
そこから殿が外へと出られますと、黒の戦装束を纏った兵どもに囲まれました。その数、百はいたでしょうか。こちらに向けて火のついた矢を次々と射かけます。
わたくしは、これ以上殿の足手まといにならぬようにと渾身の力で殿の前に出て、矢除けになろうとしました。
けれど、もう、殿は生き延びるおつもりがないようでした。
「このおれを、上様と同じ殺め方をなさるおつもりかあ!関白どのとやらは!」
殿は黒く焦げた袖を振り乱して叫ばれました。
「もしや、上様を焼いたのも関白どのではないのか」
「殿下を愚弄するか!」
集まる兵の中でも一際目立った烏帽子型の兜を被った将が咆えました。
殿は止まぬ火矢によって燃え上がる御身にも構わず、刀を携えて、兵の方へ駆けていかれました。
「ぬし、ぬしか!おれを殺すのは。よいぞ!おまえも、おまえも!みな!」
雑兵が次々と斬り殺されていきました。炎に浮かび上がった、殿のお顔が赤く、鬼のように険しく見えました。
「この恨み!六代先まで祟ろうぞ!覚えておけ!おれ、おれは・・・」
喉を焼かれた殿の声がきこえなくなり、後はわたくしのほうにもすぐ火が付きました。
肌が焼けるのは、ああ、とても痛かったですとも。
まあ、もうすでに刀傷を受けておりましたのでよくわかりませんが。
そうしてわたくしは、”地球”での生を終えたのです。
――――ちきゅう。
いつまでたっても慣れぬ言葉でございます。今でも信じられませぬ。
大地が丸く、月のように動いていて、そしてまた、違う“星”に我らが生まれ直してきたなどと。
ふう~
長い身の上を語り終えたルドルフ、前世の名は久太郎というらしい少年は溜息をついた。
豪奢な木彫りの施された椅子に腰かけ、床に届かぬ両足を前後にぷらぷらとしている。
はちみつ色の肌に、穏やかな眼差しの碧眼。くるりとウェーブのかかった肩までの銀髪を揺らし、テーブルの向かいに座っていた少女へと微笑みかけた。
「どうです?姫君には面白くもない話でしたでしょう」
ルドルフの視線の先にいた少女の表情は、ゆっくりと口を開けた。結い上げられた艶やかな金髪、白磁の肌に、小さな頭上には赤い宝石のあしらわれた金のティアラ。
ミュリツァグロリア帝国第三皇女、齢十二のジョゼフィーヌであった。
「その元のあるじに、あなたは会いたいと思うことがあるか?」
「会いたくもあり、会いたくなくもあります」
「なぜ会いたくない?」
「見つけてしまったが最後、わたくしは殿のお側に行かざるをえなくなってしまうからです。殿が現在どのような立場のお方であっても、今の”ルドルフ”の持つすべてを投げ捨ててでさえも」
この星では転生者は少なくない。およそ十人に一人は前世の記憶持ちだ。ありえない話ではないが、地球の、日本の、それもたった一人と巡り合えることはまずないだろう。
ルドルフは前世の主人を思い、懐かしさに軽く笑った。
ジョゼフィーヌが音を立てて椅子から立ち上る。
テーブルを回り、ルドルフの側までやってきた。
急な姫君の行動をいぶかしがるルドルフに向けて、ジョゼフィーヌは、膨らんだドレスの裾をくしゃくしゃに握り、絞り上げたような声で告げる。
「われは、さきほどの話に一つ、嘘があることを知っている」
深い海の色を称えたルドルフの瞳が、驚愕に見開かれた
「それは困りました・・・このルドルフ、いずれあなたの生まれたお家を滅ぼすつもりでありましたのに」
ガジャール連合王国第一王子、ルドルフは、悲しげに顔を歪ませ答えた。
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