第29話

 倉庫は思った以上に整頓されていた。正面に陶磁器の類が並び、右側には細長い箱、左側には甲冑が何体か安置されている。どれもきちんと配されていながら、うっすらと埃が積もっていた。

 一番安そうなのは、あれか。俺は正面の棚から、陶磁器に混じって置かれていた埴輪を手に取り、ふっと息で埃を吹き飛ばした。


「悪いな、練習台になってもらうぞ」


 眼前にかざして、ぱっと手を放す。思いの外呆気なく、埴輪はバラバラになった。

 基本だ。基本に立ち返るんだ。俺は目を閉じ、ロールスロイスの時と同様に、すっと右手を差し出す。カタカタ、という音が耳に入り、はっとして俺は目を開いた。


「よっしゃ!」


 しかし次の瞬間、浮き上がりかけていた破片は、微かな落下音を立てて床に落ちた。


「くそっ!」


 油断した。もう一度だ。俺は再び目を閉じてから、右手をかざす。集中して、集中して、集中して……。だが、元になった埴輪のイメージを詳細にしていけばいくほど、右の掌には嫌な汗が滲み、挙句頭痛までしてくる。


「はあっ!」


 俺は右手を下げ、目を開いた。視界に入ったのは、さっきと同じくらいバラバラになった、何の変化もない埴輪。

 俺は無言でずかずかと埴輪の破片に近づき、どかすように蹴り飛ばす。こいつは形が難しすぎた。もっと簡単な奴を……。俺は埴輪の横にあった小ぶりの皿を手に取り、埴輪同様に床に叩きつけた。その場にひざまずき、じっと破片群を見つめる。それから、手を切らないように注意して、二つの破片を手に取った。せめて、この二つはくっつけてやる。

 その二つの破片を再び床に置き、


「頼むぜ……」


 呟き、瞼を下ろしながら右手を近づける。すると、カチン、という音が響いた。

 やった! 上手くいった!

 今度こそはと思って目を開くと、そこには絶望的な光景が広がっていた。


「!?」


 破片が三つになっていた。フィックスとは逆、これではブレイカーの能力のようではないか。


「畜生!!」


 俺は怒りに任せて、甲冑を引き倒した。重厚な擦過音がして、真っ赤な兜が俺の前に転がる。


「今度はお前だ!!」


 俺は兜を、力の限り蹴り飛ばした。足先が鈍い痛みを訴えたが、そんなことに頓着してはいられない。兜は僅かに欠けたが、対した傷にはなっていない。

 せめて。せめてこのくらいは直せなければ。


「うおおおおおおおっ!!」


 冷静さは微塵も残っていない。あるのは自分に対する怒りと無力感、焦り、そして現実に対する偏向した思いだった。俺がやらなければ。俺が、俺が、俺が。

 無論、そんな心境でフィックスなどできるはずはなく、結局俺は、倉庫内で暴れ回るだけの狂人になってしまった。

 今までの俺のフィックスが上手くいったのは、偶然だったということか。ビギナーズラックだったのか。だとしたら、今の俺はあまりに無力だ。


 俺は甲冑をなぎ倒し、陶磁器の棚を殴りまくり、細長い箱――中身はぐるぐる巻きにされた掛け軸だった――を砕きまくった。


「はあ、はあ、はあ、はあ……」


 どれほど時間が経っただろう。俺はガラクタの破片に囲まれていた。息は上がり、服はズタボロで、拳は血まみれだった。


「くっ!」


 俺は目の前に、無事残っていた皿を手に取った。振り返り、ドアに向かって全力投球。


「くそおあああああああ!!」


 まさにその瞬間、ガラッ、とドアが開いた。


「ッ!!」


 それに気づいた俺は、慌てて自分の腕を止めようとした。が、遅かった。


「ぐあ!?」


 足元がつっかかり、ばったりと前面に倒れ込む。幸い、何かの破片が俺に刺さることはなかった。


「いつっ……」


 床に手をついて顔を上げると、赤い液体が滴っていた。血だ。だが、俺の血ではない。ゆっくり視線を上げる。そしてこの目に映ったのは、見慣れたジャージ姿。 まさか。


「も……桃子?」

「大丈夫ですか、先輩」

「おい、お前っ!!」


 俺は驚きのあまり、慌てて立ち上がった。

 本当は、『大丈夫か』などと言って歩み寄りたい。可能であれば、駆け寄って手当をしてやりたい。しかし、俺の足は衝撃のあまり、動いてはくれなかった。


「な……何を……」

「何をって、杉山さんに訊いたんですよ。竜介先輩はどこに行ったんですか、って。それで様子を見に来たんです」

「そんな……。杉山さんがそんな簡単に俺の居場所を……?」

「苦労したんですよ? あ、もちろん杉山さんを脅したとか、そういう意味じゃなくて。説得するためにです」


 さすが執事さんだけあって、口は堅かったですけどね。桃子はそう言ってクスリ、と笑った、そんな気配がした。

 それから、俺の視界はようやく桃子の顔をまともに捉えた。珍しい、しかし時折見かけたことのある真顔でいる。だが、やはりというべきか、俺の目はモモの頬を滴る赤い流れに固定されていた。


「怪我……。何か、包帯とか……」


 俺は完全に気が動転していた。その場でふらふらと頭を揺らしながら、医療器具はどこにあるのか室内に視線を走らせる。こんな倉庫にあるわけがないのに。


「私は大丈夫です。額は皮膚が薄いから、出血しやすいんです。そんなに痛くないですよ」

「そんな……」


 そんなことを言われても。こんな派手な出血を見せつけられてしまった俺としては、大丈夫も何もなかった。自分でも、大声で喚いているのか、ぶつぶつ呟いているのか分からない。とにかく俺には理解できなかった。それを言葉にできたのは、一体どのくらい経ってからだろうか。


「なんで……どうして俺のところに来たんだ?」

「だって、私にもありますもん。上手く能力が出ない時って。例えば、この前大蛇とザリガニを相手にした時。フィールドの仕掛けもありましたけど、本当だったらもっと早く突入できたはずだって、自信があります」


 モモは血を拭うでも傷口を押さえるでもなく、そう言った。


「だから俺のフィックスに不調が出る時があってもいい、って言うのか?」


 ぐいっと頭を下げる桃子。


「馬鹿、言っただろ!? シュワちゃんやエンターテイナーと渡り合うには、どうしても俺の能力が必要なんだ!! それが通用しなくなったら、俺たちは皆殺しになるんだぞ!!」

「皆、覚悟しています。北郎くんも両親とは疎遠ですし、先輩だってそうでしょう?」

「なっ……」


 いや、確かにそうなんだが。俺自身が、両親に半ば捨てられているのも分かっているけれども。


「私には、私の心を本当に分かってくれる人なんていません。両親は亡くなっていますし、学校の友達も、まだ見た目ほど仲良くなってるわけではないんです。私一人死んだところで――」


 次の瞬間、


「あっ」


 俺は大股でモモに近づいた。思いっきり右腕を振りかぶって、桃子の頬を殴る軌道で、しかし余計に一歩、踏み込んだ。

 俺の右腕はモモの背中に回され、反対側から俺の左腕が、同様にモモの背中にその掌を当てた。


「……何言ってんだよ」

「え……?」

「何言ってんだって言ってんだよ」

「先輩?」

「お前は、お前はな……」


 俺は唐突に涙があふれ出すのを感じながら、


「俺にとって大事な人間なんだよ!!」


 叫んだ。喉が張り裂けそうだとか、モモの血が自分のシャツにつきそうだとか、そんなことはどうでもいい。さっきまで失っていた声が、一斉に俺の口から飛び出した。


「お前が死んだら作戦は失敗する! エンターテイナーを止められなくなるんだぞ! それなのに、いや、その前からずっと、一人で頑張りやがって! お前が死んだら誰も報われない! 俺が……俺がお前のこと好きなんだって、知りもしないで!!」

「!」


 俺の腕の中で、桃子の身体が軽く伸びあがるのが分かった。そして俺は、とんでもない失態を犯したような気がした。

 俺は今、何と言った? 桃子のことが……好き、だと?


「わ……悪い、俺、今どうかしてた」


 一気にクールダウンする俺の頭。見下ろすと、僅かに上目遣いになったモモと目が合った。

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