第28話
北郎がパチン、と指を鳴らすと、フィールドが上からかき消されていく。見慣れた光景だ。しかし、釘バットを振る音は止まない。
「おーい桃子、訓練は終わりだぞ」
呼びかけても、桃子は素振りを止めない。
「桃子ってば!」
「聞こえてます、よっ!」
「もう十分訓練しただろ、徹夜する気か?」
まあ実際、フィールドを張りさえすれば夜も来ないわけだが。呆れ半分な俺に向かって、乱れた呼吸を隠そうとすることもなく、桃子はこう言った。
「そのうち、帰り、ますっ! 先輩、たちは、早く、晩飯でも、食べててくださいっ!」
言葉の切れ目の一つ一つの間に『ふっ!』と息を短く吐いて、釘バットを振るう。
「モモちゃぁん、そんなんじゃ疲れて戦えなくなるわよぅ?」
と言う涼の前に、俺はさっと腕をかざした。
「あいつ、根っからの頑固者でな……。しかも両親が怪物に殺されたときてる。今はあいつのやりたいようにやらせてやるのがいいと思うが……どうだ?」
涼は軽く肩を竦めた。
「ま、そういうことならいいわ。私にも、私の務めがあるしぃ」
『そうそう上手くいくかは分からないけどねぇ』と続ける。それに対して、俺は言ってやった。
「何もしないよりはいいさ」
「それもそうね」
さして気にした風もなく、その場を後にする涼。車椅子の操作も慣れたものだ。
それにしても、桃子……。無理はしてもいいけど、無茶はするなよ。
※
その日の晩。
「あーったく……」
俺は自室で目を覚ました。というよりは、目はずっと覚めていたのだが、どうにも眠れない。
「ま、ちょっくらやりますかね」
後頭部を掻きながら、俺はフィールドを展開しようと思った。一応俺も、能力者の端くれだ。直感的に『できる』という心地はする。あとは……イメージ? このマンション全体を包み込むだけの広さが必要だ。
「頼むぜ……」
そう呟いて俺は指を組み合わせ、願ってみた。すると、聞き慣れたほわわん、という呑気な音がする。窓に近づき、街路を見下ろす。
「よし」
先ほどまで穏やかな風に揺られていた樹木が、ピッタリと動きを止めている。それに、セピア色に染まった空を確認できた。どうやら、フィールドの展開は上手くいったらしい。
そして俺が何をしようとしたかというと、
「許せよ、すぐ直すからな!」
僅かに逡巡した後、俺は廊下にあった陶磁器の壺を掴み上げ、思いっきり床に叩きつけた。当然のごとく、壺は鋭い音を立ててバラバラになる。
「よし、フィックスだ」
俺は今まで同様、右手をかざして壺に向けた。しかし、
「あれ?」
右の掌に、力が入らない。今まで感じていた、一種の熱のようなものを感じることができないのだ。
「ちょっと待てよ、どうしたんだ?」
幸い、その壺は安物だった。壊してしまったことに罪悪感はない。だが、それよりも問題なのは、俺のフィクサーとしての能力が失われてしまった『かもしれない』ということだ。
いや、判断するにはまだ早い。たまたま寝ぼけていたせいで、能力が発揮できなかっただけだ。そう信じて、俺は再度、右の掌を壺の欠片に向けた。すると、ひょいっと欠片の一部が持ち上がり、パズルのように自らの指定位置に収まり始めた。しかしすぐに、カタン、といって床に落っこちてしまう。
「くそっ、どうなってんだ……?」
と悪態をついた直後、
「竜介様!」
杉山さんの声だ。そうか、今の杉山さんはフィールド内にいるから、一般人だけれど動き回ることができるのだ。
「竜介様、お怪我は!?」
「あ、お、俺は平気です」
「この壺を割られてしまわれたのですね。只今片づけを」
と言って踵を返そうとした杉山さんの肩を、俺は軽く掴んだ。
「それより、少し相談に乗ってもらえませんか? 僕の能力についての話です」
「能力というと……。壊れた物を直すという、あの能力でございますか?」
首肯する俺。
「緊急なんです。今まではちゃんとできたのに」
杉山さんは、ふっと穏やかな表情になってから、
「かしこまりました。わたくしでよければ是非、竜介様のお話をお伺いしたく思います。壺の片づけは、後回しにいたしましょう」
※
「なるほど。眠れなくて自己鍛錬に励もうとして起き出したら、能力が使えなくなっていた、と」
「はい……」
俺と杉山さんは、マンションのエントランスホール、エレベーター横のソファに腰を下ろしていた。エレベーター同様、自動販売機のような機械は動かすことはできない。階段を下りてきたからだろう、やや喉が渇いていたが、缶コーヒー一杯買うこともできなかった。まあ、仕方がない。
階段を下りてくる間、俺もできる限りのことは考えていた。夜だから身体が睡眠状態で、能力発動が遅れたのだろうか。緊張のあまり、夕飯をあまり食べられなかったからだろうか。ただ単に、疲れているからだろうか。
ただ一つ確実なのは、残り三日でエンターテイナーは怪物たちを野に放つ、ということだ。これだけは何としても防がなければ。
「杉山さん、人生の先輩として訊きますけど」
「なんなりと。竜介様」
「俺の力を役立てる機会が来たんです。でも、ちょうど不調になっちゃったみたいで……。どうしたらいいのか」
「そうですな……」
杉山さんは珍しく背筋を曲げ、感慨深げに息をついた。
「手段は二つあります。一つはひたすらできるまでその作業に挑戦し続けること」
確かに、そのうちに能力が復活するかもしれない。しかし、かなりの重労働だ。
「じゃあ、もう一つは?」
「一旦投げ出すことです。何もしない、あるいはその能力に類することをしない。頭を真っ白にして、考えないようにするんです」
「それは無理です!」
俺は即答した。
「時間がありません!」
「では最初の作戦を取るしかありませんな」
杉山さんの返答も即座に返ってきた。
「そう、ですね……」
「人間の身体や心理状態は、波というものがあります。今は、竜介様にとって悪い波が来ているのでしょう。しかし、もしあなたが本気でご友人を助けたい、ご友人の仇を討ちたいと思われるのであれば、ここでじっとしてはいられないはずです」
その瞬間、俺の頭を、右から左に電流が流れた。
仇を討ちたい。
その言葉で真っ先に思い浮かんだのは、桃子の寂しげな微笑みだった。
「俺の大切な人で、両親を殺された女の子がいます」
杉山さんは無言。
「俺だって、その殺した奴のことが許せない。戦いたいと思っています」
俺はぎゅっと、両の拳を握りしめた。
しばらくの間、沈黙が続いた。何故黙り込んでいたのか、自分で自分のことが分からない。だが、それが必要な逡巡だったであろうことは想像に難くない。それは極めて短時間。十分か十五分くらいだと思うが、それで頭がリフレッシュされたような気がした。
「ありがとうございます、杉山さん」
俺は唐突に立ち上がったが、杉山さんは驚いた素振りは見せなかった。それよりも、彼の顔には穏やかな、いつも通りの笑みが浮かんでいた。
「確か近所に、うちの祖父が集めた工芸品を仕舞い込んでいる倉庫がありましたよね?」
「そこで能力の訓練を?」
俺はぐっと頷いて見せた。
「もし竜介様が、その鍛錬の結果、全てを元通りにできるのでしたら、何も問題はないでしょう。精一杯、暴れていらっしゃい」
すると、杉山さんも立ち上がった。その手に握られていたのは、例の倉庫に入るための鍵だ。杉山さんは、掌に載せた鍵をそっと俺に差し出してくれた。
「下世話なお話ですが……。竜介様、何かを、誰かを守りたいという気持ちをあなたが持たれたこと、あなたにお仕えするものとして心から嬉しく思います。ご武運を」
「ありがとう!」
俺はパチン、と指を鳴らしてフィールドを解除しながら、マンションのエントランスを駆け出して行った。
※
倉庫はすぐに見つかった。ダッシュしてきたから分からないが、徒歩でもマンションから五分とかからない場所だろう。全体的に古びてはいるが、ただの倉庫として使うには申し分ない。
「ぐっ……っと」
鍵を開けて中に入ると、やはり真っ暗だった。懐中電灯を持ってくるべきだったか。俺は一、二歩踏み込み、手を壁に当ててやっとスイッチを見つけた。
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