第24話
「じゃあ……一旦さっきの部屋に戻るか」
北郎はまたこくり、といつも通りに頷いた。
俺と北郎が小部屋に戻ると、桃子がリクライニングシートそばの椅子に腰かけ、本を読んでいた。朗読だ。
「えーっとね、さっきの続き。『貴様、いつの間にこんな力を……!』『悪の権化たるお前には分かるまい! この、僕を通して出る力が!』『そんなものでこの我輩を倒せるとでも言うのかーーーっ!!』それから……」
「何やってんだ、桃子?」
「次のページね、『俺の身体を、皆に貸すぞ!! うおおおおおおお!!』で、イラストでは主人公がラスボスに特攻を仕掛けてるところなの!」
俺はひょいっと桃子の頭上から、彼女の手元にあるものを取り上げた。
「あーーーっ! 何するんですか先輩! 今いいところだったのに!」
「つーか、これって……」
ライトノベルだった。俺の部屋に山積みになっていたもののうちの一冊で、三周は読み返した傑作バトルアクション。
「返してください! 涼ちゃんに読んで聞かせてるんです!」
つられて涼を見ると、瞼は閉じられ、軽く口を開いていた。その顔つきは安らかで、呼吸も同じ。完全に寝ついている。こんな状態で読み聞かせしても、涼の耳には入らないだろう。
俺はパタンとラノベを閉じ、桃子から一歩、距離をとった。
「かーえーしーてーくーだーさーいー!!」
俺はラノベの表紙に目を落としながら、無造作に右腕を伸ばした。
「あぐ!」
俺の右の掌はちょうど桃子の額に当たり、それ以上の彼女の接近を阻んだ。
そうか。これを読み聞かせしていたのか。――だとしたら。
「桃子、おとなしく待ってろ」
俺は桃子にラノベを押し返した。さっと小部屋を出て廊下を闊歩し、自室に入る。
「……」
室内は酷い有様だった。
あっちの机の上はごちゃごちゃで、こっちのベッドの上にはラノベが散在している。その他、学校のテキストやらノートやらが床を埋め尽くしていた。
その惨状を一瞬で見切った俺は、ガチャン、と小部屋へのドアを引き開け、怒鳴り込んだ。
「おい、桃子ーーーッ!!」
「次はね、『私だけが、死ぬはずがない……。貴様も、道連れだ……』だね! って、どうしたんですかせんぱ――」
俺はスパーン、と手にしたテキストで桃子の頭を引っ叩いた。
「ふひゅ!? わーん、先輩が叩いたーーー!」
一旦頭を押さえた桃子は、顔を上げながら涙目で俺を睨んだ。
「DVだ! 訴えますよ!」
「馬鹿野郎、俺とお前は家族じゃねえだろ! DVは家庭内暴力のことを言うんだよ!」
「ここ、先輩のうちの中じゃないですか!」
うぐ。それを言われてしまうと何とも……。俺は話題の舵を切った。否、戻した。
「人様の部屋を勝手に物色しやがって! 片づけるのに時間がかかるじゃねえか!」
「先輩、一応静かにして!」
「あ」
そこには、涼を挟んで反対側、心配げに涼を見つめる北郎の姿があった。
「桃子、ここで口喧嘩はよくないな。俺の部屋に来い」
「えー、まだこの本読み終わってないのに」
「そういう問題じゃねえ! 行くぞ、桃子」
「待ってて涼ちゃん、すぐ戻るからねー!」
RPGで、悪者に一旦連れ去られるパーティメンバーのように、桃子は俺に連行された。
バタン、とドアを開け、桃子を招き入れてから俺はドアを閉めた。
「で、どうしたんです、先輩?」
「だからさあ!」
俺は腕を大きく広げ、
「人の部屋を荒らすなよ! いろいろ大切な書類とかあるんだから!」
「やましいものですか?」
「だわけねえだろ! 重要書類! 俺が親父とお袋から金を振り込んでもらうのに大事な書類!」
「ああ、それならそのへんに」
「だから荒らすな、って言うんだよ……」
俺は眉間に手をやった。しかし桃子にとってはどこ吹く風だ。
「仕方ないですね、じゃあ私が持ってるラノベからチョイスします」
結局ラノベなのか……。何故ラノベなのかは分からないが、桃子がポーチ(戦闘時に邪魔にならないよう、腰元で一回り装備するタイプだ)から引っ張り出したのは――。
「え、それ?」
そのラノベは俺も知っている。三、四年前に流行った、熱血バトル系のラノベだった。
それだけでは驚くには値しない。ただ俺が知っているのと違うのは、ところどころに付箋が張られ、カバーも本体もボロボロになっているということだ。一体何度読み返したら、こんなに傷がつくんだろうか?
「これを買った帰りだったんです。私が――私たち家族が怪物に襲われたのは」
その時、ピンと俺の脳裏を一筋の光が通過した。
「まさかそれって……」
「先輩も思いつきましたか?」
そう言って、桃子は語り始めた。
「あの、クモの事件です」
※
半年前。俺がフィックス能力に目覚めたと思われるあの日。あの場所。あのバン。そのバンには、桜坂親子、すなわち桃子と彼女の両親が乗っていた。父親が運転し、母親は助手席に。桃子は後部座席で、そのラノベ――新品を見つけるのに随分苦労したらしい――を胸に抱いていた。
もうじき自宅であるマンションに到着する直前、フロントガラスが黒一色に染まった。悲鳴を上げる母親、それに驚き、自らも叫んだ桃子。しかしその時、父親は既に息絶えていた。クモの足についた鋭い爪が、フロントガラスごと父親の胸を貫いたのだ。
当時の怪物には、『民間人を襲わない』という鉄則が仕込まれていなかったらしい。北郎を襲ったカマキリも同様だろう。
黒と赤が目まぐるしく入れ替わる車内で、『何故か』そう、俺が右腕を突き出したのと同じように、何故か桃子はある挙動を取った。
後部座席にあった木製のバットを振りかざしたのだ。
父親が趣味でやっているソフトボールで使われていたものだ。そのバットをどう扱ったのかは、彼女自身覚えていない。しかし、気づいた時には車は停止し、クモの怪物は消え去っていた。
危険を直感的に察知した桃子は、慌ててバンから脱出。その直後に大爆発が起こった、ということらしい。
ちなみに、両親の遺体との面会は許されなかった。遺体の損傷があまりにも酷かったからだそうだ。
※
「そう……だったのか」
俺はいつの間にか桃子の瞳から視線を逸らし、彼女の足元を見ていた。
「ちなみに、そのクモのコアを破壊してくれたのはシュワちゃんです。一撃必殺で」
ふむ。そうして桃子は能力発現し、シュワちゃんに協力する気になったのか。
俺の場合、両親に執着はないにせよ、通信手段がないわけではない。もしかしたら、呼びかけに応じて俺と会ってくれるかもしれない。まあ、そんなことをしても意味はないだろうが。
それに比べて桃子の場合、両親と自らを繋ぐチャンネルは完全に途絶してしまった。両親は死んでしまったのだ。その心痛たるやいかなるものか、俺には測りかねた。
「なんだか悪いな。嫌なことベラベラ喋らせちまって」
俺は、まるで冷凍庫に押し詰められたかのような気持ちで口を開いた。しかし、桃子は表情を変えずに。
「いえ。終わったことですから」
あまりに快活な声に、俺は驚いて顔を上げた。
そして再び驚いた。
桃子は怒るでも悲しむでもなく、穏やかな笑みをたたえていたのだ。
『そんな! ご両親が亡くなって、悲しくないのか!?』などと聞き返すほど俺は野暮ではなかったし、そんな勇気もなかった。だが、桃子が無理をしているのではないか、ということは痛いほどに察せられた。
「それから私、気づいたんです。このバットを握っていると、力が湧いてくるんだって。だから、あんな怪物が出てきたら自分の身は自分で守れるように、釘を打ち込みました。それが今の、私の相棒です」
ふふっ、と意味もなくモモは微笑んだ。もしかしたら、湧き上がってきた悲しみを、顔の内側ギリギリで止めようとしたのかもしれない。
「ところで桃子、どうやって戦う訓練をしたんだ? いや、それよりも、フィールドやらコアやらの概念を、どうやって学んだんだ?」
「ああ、それは電子に任せました」
「あいつに?」
首肯する桃子。確かに、電子はフットワークが軽いし、情報戦も得意だし、銃器の取り扱いも慣れたように見えたが。
「彼女は一体何者なんだ?」
これこそ野暮な質問だった。桃子は肩を竦めながら、
「さあ? 自衛隊の諜報部とか、警視庁の公安部とか、それこそインターポールとか、秘密的組織に属していた、あるいは渡り歩いてきたみたい、としか言いようがありませんね」
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