第6話
俺がドン引きしたまま口を閉ざしていると、幼女はすとん、と俺の前に片膝を着いた。
「いや、平に平に! 失礼つかまつった」
と言って綺麗なお辞儀をする。
「別に謝られるほどのことじゃないんだが……」
「ちょっと電子! そんなことやってても話が進まないじゃん! ちょっと調べてほしいデータがあるんだけど!」
桃子が背伸びをしながら電子に迫る。
「滝川先輩に、何か資料っていうか……。映像、見せてあげられない?」
「う~む、突然難解なことを申すものよな……」
「確かに、時間が止まっちゃうから資料は少ないと思うけど……。フィールドの外に設置されてた監視カメラには、私たちの戦闘なんて映らないしね」
「あー、いや、ちょっと待ってくれ」
口を挟んだのはシュワちゃんだった。首だけひょっこりこちらへ出している。
「二週間前の市街地での戦闘はどうだい? あの時はフィールドが広かったから、監視カメラもフィールド内にあったはずだ」
「つまり、その監視カメラの映像だったら生きてる、ってことか?」
俺の質問に首肯するシュワちゃん。
「なるほど! 少々お待ちくださるがよろし」
すると電子は、デスクの下からまた別のキーボードを引き出し、猛烈な勢いで叩き始めた。
「お、おい電子、一体何を……」
「しゃらっぷ!!」
突然桃子が、俺の前面に手を差し出した。
「今はダメです! 彼女の邪魔をしては!」
「じゃあお前に訊くけど……。今電子は何をやってるんだ?」
「警察の交通課のデータベースを漁ってるんです。そこから私たちの戦っている場面を抽出して、先輩に見せてあげようと」
なるほど。それはありがたい。これで俺も覚悟ができるというものだ。
ん? いや、待てよ。
「警察のデータベースにあるってことは、警察に悪徳魔術師の怪物とか、お前ら秘密結社の存在はバレちまってるんじゃないか?」
「それはござらぬ。拙者がプロテクトをかけましたからな。解除できるのは、拙者だけでござる」
こちらの言葉が耳に入ったのか、電子が颯爽と答えてみせる。
俺は桃子の耳元にささやいた。
「……なあ、こいつ一体何者なんだ?」
「さあ? いろいろやりながら情報操作テクを極めていたらこんなになっていた、としか」
全く、桃子の人脈は一体どうなってるんだ。などと思っていると、勢いよく『押忍!』という声が飛んできた。
「ご覧になるがよろし」
と言いながら、電子は得意げにエンターキーを押した。同時に椅子のキャスターを後退させ、俺たちが見やすいように場所を開ける。
そのディスプレイに映されていたのは――。
モノクロの、しかし解像度は良い画面の中。画面端から現れたのは、アルマジロのような怪物だった。シュワちゃんの牽制。モモの突撃。再びシュワちゃんの、とどめの一撃。
見事なものだと思い、俺は口笛を鳴らした。
「あれ? ここで終わりか? まだあるんだろ、フィックスの作業とか」
誰が俺の前にフィクサーを務めていたのかは知らないが。
「ああ、すまない滝川くん」
シュワちゃんは後頭部を掻きながら、
「跳弾した弾丸がカメラに当たってしまってね。これより先のデータは失われているんだ」
「そうなのか……」
俺は、少しばかり落胆した。実際の現場での立ち回りを学べないかと思っていたのだ。
「それに」
シュワちゃんは身体の向きを変え、俺と真正面から向き合った。
「君のような能力を持った人間、フィクサーは、今のところ君しかいないんだ」
「えっ?」
俺はまじまじとシュワちゃんの目を覗き込んだ。
「マジで? 俺だけ?」
すると回転椅子の上で、ディスプレイに目をやったまま、電子は
「計算上は、そろそろフィクサーが現れてもいい頃合いだったはずでござる」
「計算って?」
「それはですな……」
電子によれば、ブレイカーやシューターのような破壊系の能力者の出現比率からして、そろそろフィールド内の物を直す役割を負った能力者が現れてもいい頃だった、とのことだ。
「その場になれば分かるさ。君には十分な素質が与えられているんだから」
シュワちゃんはそう言ってくれたものの、俺が直したのは学校の器物とロールスロイス一台だけだ。実戦でその能力を発揮できるだろうか? 怪物を前にパニックにならなければいいが。
いや、まだ疑問はある。
「なあ桃子、俺が貴重な戦力になるってことは、さっき学校にいた時に気づいたんだよな?」
「ええ。セクハ……」
「そこまで話題を戻さなくていい!!」
俺は慌てて桃子の口に手を当てた。
「むぐむぐ!」
噛みつかれては痛そうなので、ぱっと手を離す。桃子は首元に手を遣って、ぜーはーぜーはーと息をついた。
「俺が訊きたいのはな、どうしてすぐに俺をこのアジトに連れてこなかったのか? ってことだ」
「ああ、それですか」
桃子はふっとため息をつき、
「もし先輩が私たちに協力的でなかったら、勧誘を止めようと思ったからですよ。部外者にここの場所を知られるとマズイですから」
「じゃあ今俺が、ここで一抜けしようとしたら?」
すると桃子は、バックパックから覗く釘バットの柄に手を伸ばしかけた。
「冗談! 冗談だ! 前向きに検討させていただきます! はい!」
「結構です」
どうして俺がこんな奴のために……。まあ、乗りかかった舟だ。もう少し話を詰めさせてもらおう。と思っていると、桃子が思わぬ気を利かせた。
「皆、喉渇いたんじゃない? コーラとウーロン茶とアイスコーヒーがあるけど?」
いつの間にかリビングに戻っていた桃子は、俺たちの後ろから声をかけた。
「ああ、悪いな」
という俺の返答に、皆こぞって電子の部屋から脱出、リビングに戻った。
桃子が、俺たちの希望に沿って飲み物を注いでくれた。俺はコーラ、シュワちゃんはウーロン茶。電子はといえば、アイスコーヒーにコーラを混ぜるという不可思議な行為に走っていた。誰もツッコミを入れないところからすると、これが彼らの日常であるらしい。
俺は一口コーラに口をつけ、グラスをカタン、とテーブルに置いた。正面には桃子が座っている。そうか、こいつもコーラを選んだのか。と思ったその時のことだった。
「ん?」
俺の視界に異常事態が飛び込んできた。
「おい、桃子ッ!!」
「ひゃ、ひゃいっ!?」
突然立ち上がった俺に、皆の視線が集中する。
「その腕、どうしたんだよ!?」
長袖の制服の上腕の部分が裂けて、血と思しき赤い染みができていた。
「あ、さっき包帯巻いといたんですけど、結び方が弱かったみたいですね。ちょっと結び直してきます」
何とはなしに席を立つ桃子。
「おい待てよ!!」
桃子は明らかに負傷している。そして最後に戦闘が行われたのは、河川敷での犬との決闘だ。つまり、桃子は俺をかばったばっかりに、自分が負傷を引き受けることになったのだ。
「どうして早く言わないんだよ!? 病院に行った方が……」
「この傷跡では、何があったか警察に追及されることになるかもしれません。そうしたら、いろいろ面倒なんですよ」
「面倒って……どういうことだ?」
桃子は包帯を適当な長さでくわえて千切りながら、
「悪徳魔術師やら秘密結社やら、どうせ信じてもらえないでしょう。仮に信用されたとしても、警官隊は能力者集団ではありません。怪物による死傷者が増えるのは目に見えてます」
だから私たちが止めるんです――。
その言葉に、俺は何か、胸の奥でたぎるものを感じた。
俺は能力者。
しかもフィクサー。
平凡な生活から逸脱し始め。
自分の存在を誰かに認められたいと思っている。
これだけの条件が揃って、今頃『はい降ります』とは言えないだろう。
今までずっと透明人間のようだった俺。そんな俺が必要とされ、しかも目の前の、恐らく腕だけではなかろう傷を負った少女の一助になれる。
「おい、お前」
「はい」
桃子は包帯を巻き終え、ふっと目を上げて俺を見返した。
「俺にできることなら何でもする。お前を守らせてくれ」
「……?」
桃子のポカンとした顔つきを見て、俺は急に正気に戻った。
「あ、ああ、俺はフィクサーだったな。戦いじゃ役に立たないかもしれないが……」
くそっ、こういう時、何て言えばいいんだ?
「俺、お前が戦って帰ってくるのを待ってるよ。そして必ず怪我を治してやる。だから、俺にも協力させてくれ!」
俺はがばっと頭を下げた。
しばし、バスルームに沈黙が舞い降りる。
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