(13)怒り

 斜めに振り下ろされた最初の一撃を、アルティナが跳びすさってかわすと、ディルが嫌そうに口を開いた。

「全く。当てが外れたよ。何であんたみたいなお上品な小娘を、殺らなきゃならないんだ。めんどくさい上に、特別手当が貰えないじゃないか」

 メイスを構えながらディルがそんな悪態を吐いた為、審判役のナスリーンが自分達と十分距離を取ったのを確認してから、アルティナは冷静に確認を入れた。


「隊長を殺すか再起不能にしたら、報酬に上乗せして貰える事になっていたのかしら?」

「何だ。分かってんなら、さっさと隊長さんに泣きついて相手を代われよ。時間の無駄だろ」

「そっちこそ、さっさと尻尾巻いて帰った方が良いんじゃない? ぐずぐずしてると、今後、仕事が来なくなって廃業しないといけなくなるわ」

 油断無くソードを構えながらアルティナがそんな警告をすると、相手は怪訝な顔になった。


「はぁ? 何であたしが廃業するのさ?」

「だって、私みたいな『お上品な小娘』にボロ負けした傭兵なんて、『大した腕前だ』とかなりの評判になりそうじゃない? あ、格好の物笑いの種にもなりそうよね」

 そこでわざとらしく笑ってみせると、ディルはあっさりと挑発に乗った。


「ほざきやがったな!? この飼い犬女が!!」

「……うおっ、と」

 叫びざま、勢い良く胴体を狙って真横に薙ぎ払ったメイスを、すんでの所でかわしたアルティナに向かって、ディルが吠えた。


「その綺麗なお顔をズタズタにして、蹴り転がして踏みつぶしてやるよ!!」

「それは勘弁して、欲しいわねっ!」

 くるりと反転させて、真正面から突き出されたメイスを、微妙に身体を左に寄せただけでかわしながら、アルティナも相手に剣先を突き出す。それもすぐに刀身を横に薙ぎ払われ、アルティナは密かに舌打ちした。


(やっぱり速い……。それなりに使い込んでるし、場慣れしてるわね。まあ、当然だけど)

 相手からの攻撃を、辛くもかわしながら冷静に分析を続けるアルティナだったが、あまり余裕は無い事は十分承知していた。


「おりゃあっ!! おらおら! 逃げてばっかりいるんじゃねえよっ!!」

「くぅっ……」

 斜め上から振り下ろされた一撃を、咄嗟に刀身で受け止めた彼女は、耳障りな衝撃音とその重量に、内心で冷や汗をかいた。


(拙い。まともに受けたら、刀身が折れるかも。でも……、油断しきって乗り込んできたのが、運の尽きよ)

「はあっ!」

 そして頭の中で素早く算段を立てたアルティナは、周囲には分からない程度に攻勢に出始めた。しかし相手のメイスを掴んでいる手や、急所から微妙に外れた位置への攻撃に、ディルが嘲笑で応える。


「はっ、どこ狙ってんだよ!? そんなひょろひょろ剣なんて、かすりもしねえぜっ!!」

 彼女の指摘通り、アルティナのソードはディルの手足を切り裂く事などなく、周りで見ている騎士団所属の男達からしてみれば、どう考えても狙いが定まっていないか攻撃の仕方が分かっていないのではないかと、不安に駆られる様な攻撃内容だった。

 自然と審判役を務めているナスリーンに、試合終了を訴える眼差しをこぞって送ったが、当の彼女は含み笑いのザルスの横で、無表情で試合の推移を眺めるのみであり、男達は常には見せない彼女の酷薄な様子に、非難の言葉を囁き合った。


(侮って完全装備で来るとは思っていなかったけど、胸部を保護する皮鎧も身に着けていないなんてね。さすがに膝や肘は保護しているけど、その防具も軽装。これならなんとかなるわ)

 観客を不安に陥れながらも、アルティナは自分が望んだ展開に向けて、そうと分からない様に着々と結果を積み重ねていった。しかしさすがに全ての攻撃を避け切れず、メイスの先端部分がアルティナの左腕をかする。


「……ちぃっ」

 思わずアルティナが小さく悪態を吐くと、それを耳にしたらしいディルが、如何にも楽し気に声をかけてきた。


「おやぁ? 綺麗なお洋服が台無しだなぁ。隊長さんに、叱られるんじゃないのかい?」

 腕への直撃は回避したものの、幾つかの鋭利な突起部分がアルティナの革製の防具に接し、容赦なくそれを一文字に裂いた。その隙間から下の制服と腕の皮膚も切れた事が見て取れたが、試合続行に問題ないとアルティナは判断する。しかしひたすら我慢してきた彼女の忍耐力は、そこで呆気なく崩壊する事になった。


(やってくれるじゃないの。もう手加減無用って事よね!?)

 本気でキレたアルティナだったが、一人の男が少し離れた場所で、彼女以上にキレまくった。


「あのケダモノ女! 俺のアルティナに、何て事しやがる!?」

 怒声を放ちながら弓と矢を手にして立ち上がったケインに向かって、この間戦々恐々としながら様子を窺っていた部下達が一斉に駆け寄り、全員で彼の左右の腕に組み付いた。


「シャトナー副隊長! お願いですから冷静に!」

「ちょっと待って下さい!」

「いきなり問答無用で射掛けるのは拙いですって!」

「……分かった」

 そしてケインがあっさりと弓と矢をテーブルに置いた為、部下達は一瞬安堵して手を離したが、またすぐにケインの腕を押さえた。


「そう言いながら、さりげなく槍を手にしないで下さいよ!!」

「駄目だ! もう会議中だろうが何だろうが、団長を呼んでこい!!」

 回廊の柱に立てかけてあった槍を手にされて、ガルシスは悲壮な顔付きで部下に言いつけたが、それを笑いを含んだ声で宥めた者がいた。


「それはちょっと拙いと思うから、止めておいた方が良いな」

「え?」

「デニス……、お前、どこから湧いて出た」

 薄笑いしながら歩み寄ってきた相手を認めて、ケインは苛立たしげな表情になった。その怒りの視線を真っ正面から受け止めても、デニスは全く臆する事なくケインの前までやって来る。


「酷い言われようだな。何か見ていたらお前達が揉めていそうだったから、様子を見に来たのに」

「お前に用は無い。失せろ」

 不機嫌そうに追い払おうとしたケインだったが、デニスは淡々と尋ねてきた。


「一応聞くが、お前まさか本気で、この試合に乱入するつもりじゃないだろうな?」

「邪魔をする気か?」

 眉根を寄せながら(そのつもりなら、お前でも容赦しない)との気配を醸し出したケインに、ガルシス達はハラハラしたが、デニスはそれには直接答えず、回廊の端に寄って手すりに手をかけ、下を見下ろしながら独り言の様に続けた。


「確かに端から見てると、かなりやばいよなぁ……」

「当たり前だ」

「だがな、ケイン。近衛騎士団は、各隊の自主自律を旨とする」

「それがどうした」

「今回の入隊試験に関しては、白騎士隊の管轄だ。ロミュラー隊長の眼前でそれに割り込む事は、明らかな越権行為、かつ白騎士隊隊長の判断に不服があると異議を申し立てて、彼女の顔を潰す事になるが、そこの所は分かってんだろうな? 黒騎士隊副隊長殿?」

「…………」

 正論を堂々と繰り出されて、ケインは面白く無さそうに黙り込んだ。そして相手が完全に理性をぶっ飛ばしたわけでも無い事を確認したデニスが、苦笑しながらケインを手招きしつつ移動する。


「気持ちは分かるが、ちょっとこっちに来い」

「何だ」

「他の奴らには聞かせられないからだ。いい加減、頭を冷やせ」

 小声で叱りつけられたケインは憮然としながらデニスに従ったが、ガルシス達と少し離れて話を聞かれる心配が無くなってから、声を潜めて確認を入れた。


「少し頭は冷えたと思うからお前に尋ねるが、あれはアルティンだな?」

 その問いに、デニスが小さく頷く。

「間違い無く、中身はアルティン様だな。始まる前に、目線で『ケインを押さえておけ』と言われた」

「それでも、アルティナを装って対応してるから、派手な立ち回りができなくて、ああなってるんだろうが。一体、どう決着を付けるつもりなのか、知っているか?」

「全く知らん」

「あのな!?」

 思わず声を荒げて距離を詰め、デニスの制服に掴みかかったケインだったが、対するデニスは冷静に話を続けた。


「だが、ロミュラー隊長の性格からしても、アルティナ様を見殺しにはしない筈だ。現にかすり傷は負っても、まだ致命傷は受けてない」

「受けてからでは遅いんだが?」

「いざとなったら鳥を使って、あの女の眼球をえぐり出させて強制終了させる。だから最後まで黙って見てろ」

 軽く睨みつけられても全く動じず、突然物騒な事を言い出した目の前の男に、ケインは思わず怒りを忘れ、呆れ果てた表情になった。


「お前だって割り込む気満々のくせに……。偉そうに言うな」

「そうすれば少なくとも、パーデリ公爵は裁定に関して難癖を付けられない。お前、あのオヤジの存在を忘れてただろう?」

「……確かに、越権行為はできないな」

 少々悔しそうに溜め息を吐いたケインを見て、何とか説得できたらしいとデニスは安堵すると同時に、さり気なく競技場を見下ろした。


(取り敢えず説得できたが……。手間取り過ぎですよ、アルティナ様)

 そこには、未だに傍目には防戦一方にしか見えない、アルティナの姿があった。

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