(12)波乱の予感
「何だか普段よりも、人が多くありませんか?」
試験を行う予定の第三競技場に近付くにつれて、妙に人が多いと感じたアルティナだったが、ナスリーンは嫌そうに推測を述べた。
「マーリカ以外にも、あの方の出で立ちを見た者が仰天して、騎士団内で触れ回ったとみえますね。恐らく手の空いている者や訓練中の者が、興味本位でこちらに集まっているのでしょう。後日、団長に規律を正して頂こうと思います」
その口調から彼女が変わらず激怒しているのを理解したアルティナは、思わず遠い目をした。
(隊長、本気で怒ってる。だけどこれじゃあ、気持ちは分かるわ。それに厄介な事に、これだけの人目がある中、あくまでアルティナとして戦わなければいけないから、面倒さが増したわね)
忌々しく考えながら進んでいくと、建物に囲まれた形で存在している競技場が見えて来た為、ナスリーンが足を止めて、隣を歩くアルティナに囁いてきた。
「それではアルティン」
その呼びかけに、同様に足を止めたアルティナが、すかさず訂正を入れる。
「私は“アルティナ”ですよ? 隊長。お間違え無く」
「気を付けます」
そこで互いに苦笑の表情になってから、二人は再び競技場の中央に向かって足を進めた。
「お二人とも、お待たせしました。それでは入隊試験を始めようと思いますが、宜しいですか?」
アルティナを従えて競技場の中に立つ二人の前にやって来たナスリーンは、落ち着き払って声をかけた。
「はい、構いません」
「あたしはいつでも良いよ」
「それでは、簡単にルールについて説明します。あくまで今回の試合は入隊試験ですので、ここの競技場の中のみでお願いします」
「随分、狭苦しい所が好きなんだねぇ」
「こら、ディル!」
もはや暴言の類は無視する事に決めたらいナスリーンは、淡々と説明を続けた。
「武器の使用に制限はありませんが、三本勝負で、入隊希望者は相手から一本取れた時点で合格とします。ただし基本的に寸止めですが、万が一、寸止めできずに斬り付けたり殴打してしまったら、それは相手が一本取った事になりますので、注意して下さい。そして一方が降参、もしくは試合続行不可の状態になったら、その時点で私が終了を告げて、勝敗を決定します。何か質問はありますか?」
そう告げたナスリーンに向かって、ディルは少々馬鹿にした様な目を向けた。
「へえ? やっぱりお上品だねぇ……。殺し合いなんかしないってか?」
「質問は無いようですね。それでは今回あなたと試合をするのは、こちらのアルティナ・シャトナーになります」
「宜しくお願いします」
自分の嫌みを完璧に無視した上で、アルティナを対戦相手として紹介してきたナスリーンに向かって、ディルは驚愕の叫びを上げた。
「はあぁ? このお嬢さんがあたしの相手だぁ!?」
「先程の私の話を、全く聞いていらっしゃらなかったみたいですね。私は『試合続行不可の状態になったら、その時点で終了を告げて、勝敗を決定する』と言った筈ですが。私が試合をしたら、そんな事はできません」
予想と違って唖然としているザルスが絶句している中、ディルがかなり意地悪く笑いながら尋ねてきた。
「へぇぇぇ? それじゃあこちらのお嬢様は、さぞかしお強いんでしょうねぇ?」
「いえ、単に私が一番最近に入隊したもので、私を上回る力量であれば、白騎士隊として務まるだろうという隊長の判断ですから」
「だけどさぁ、何もわざわざ、怪我してる人間を引っ張り出さなくても、いいんじゃねーの? 隊長さん」
淡々と言い返したアルティナの右手を見て、ディルは皮肉混じりに尋ねたが、ナスリーンの答えは変わらなかった。
「彼女からは、試合には支障は無いと報告を受けています」
「はい。これはちょっとランプの扱いを失敗して、火傷をしただけなんです。大した事は無いんですが、跡が残らない様に、完全に治るまで外気に晒すなと家族に言われていまして。お気に障ったら、申し訳ありません」
手の甲から指の第二関節近くまで包帯を巻いた右手を、軽く左手で押さえながらアルティナが頭を下げると、ディルは呆れた表情になった。
「火傷ねぇ……。それなら大した事ないだろうけど、わざわざそんな人間に試合させようなんて、意外にオバサンは人使い荒いんだな。どうすっかな、やっぱ止めようかな? こき使われんのは真っ平だし」
「お、おいっ、ディル! その辺にしておけ!」
「なんでだよ。本当の事だろ?」
「…………」
ぼそぼそと言い合うディル達を、ナスリーンはこめかみに青筋を浮かべながら睨み付ける。一方でアルティナが注意深く周囲を見回すと、二階の回廊部分から顔を覗かせているケインの姿を見つけて、本気でうんざりした。
(うわ……、ケインったらやっぱり見てる。あの高さだと、回廊に椅子でも持ち込んで、じっくり観戦するつもりよね。でも二階からだから、状況としてはまだマシかしら? 競技場のすぐ外だったら、即座に乱入してきそうだもの)
そしてそのまま視線を動かしていると、同じ回廊の反対側に、デニスが佇んでいるのを認めた。
(ああ、デニスも居るわね。当然か……。とにかく、ケインが暴れそうになったら、全力で押さえてよ!?)
ちょうど向こうも視線を合わせてきた為、アルティナが目線で訴えると、彼は苦笑してから微かに頷いた。それで幾らか気が楽になった彼女は、改めてディルと向かい合う。
(とにかく、やるしかないわね。今後、平気で女傭兵を推薦してくるなんて馬鹿な真似をしない様に、ここできっちり粉砕しておかないと)
そんな一触即発の競技場を見下ろす位置に、少し前から陣取っていたケインは、涼しい顔で手元にある弓の弦の調整をしていた。
「あ、あの~。副隊長?」
「どうした? ガルシス」
数歩離れた所に立っている部下に呼び掛けられた為、椅子に座ったままケインが問い返すと、彼は恐る恐る問いを発した。
「どうして渡り廊下にわざわざ机と椅子を持ち出して、弓の手入れをされているんですか?」
「うん? 変な事を聞くな。騎士たるもの、普段から装備の点検保守を心がけるべきではないのか?」
如何にも嘘臭い笑顔を振り撒かれながら反論されたガルシスは、貧乏くじを引かされた自分自身を憐れみながら、気力を振り絞って会話を続行させた。
「いえ、ですから。どうして室内や保管棟でされないのかなと思いまして」
「偶には弓や矢も、風に当てた方が良いだろう。それに今日は天気も良い。清々しい風を感じながら、仕事をしたいと思わないか?」
「……清々しいどころか、寒気を感じます」
「今、何か言ったか?」
「いえ……、何でもありません」
「そうか」
ボソッと本音を漏らしたガルシアに、ケインが笑顔で尋ねたが、もう何を言っても無駄だと諦めた彼は、黙ってケインの作業を見守る事にした。その一部始終を、更に少し離れた場所から窺っていた黒騎士隊の面々が、顔を寄せ合って相談する。
「やっぱり分隊長クラスでも駄目だ。誰か隊長か団長を呼んでこい!」
「駄目ですよ! 今日隊長は休暇で、団長は王太子殿下に呼ばれて会議中ですし!」
「それじゃあ、どうすんだよ!? あの人、アルティナさんが怪我でもしたら、迷わず相手を射殺しかねないぞ!」
「それはそうだが!」
「……五月蠅いな」
いつの間にか声を荒げていた部下達の声を聞いて、ケインが不快げに顔を歪めた。そしてガルシスが窘めようとする前にケインが弓を手に立ち上がり、部下達に声をかける。
「お前達、暇そうだな。それならもう少し離れて、的になって貰えないか? 弓が歪んでいないかどうか、チェックしたいんだ」
その完全に本気の口調と表情に、その場に居た全員が、もの凄い勢いで首を振った。
「いえいえいえ! 黒騎士隊の備品は、俺達が毎月きちんとチェックしてますから!」
「試し打ちしなくても、今すぐ安心してお使い頂けます!」
「遠慮無くお使い下さい!」
「そうか。それなら良い」
そう呟いて再び椅子に座り、弓の手入れを再開したケインの側から、ガルシスが駆け寄って部下達を小声で叱りつけた。
「お前ら! 何て事を言いやがるんだ!?」
「でっ、ですが分隊長!」
「俺達、こんな至近距離で的になるのは嫌ですよ!」
「……ああ、そろそろ始まるな」
必死に訴える騎士達の声など聞いていないらしいケインが、競技場を見下ろしながら独り言の様に呟く。釣られてガルシス達も回廊の手すりに寄って眼下を覗き込むと、確かに競技場の中心でアルティナとディルが向かい合い、ナスリーンに声をかけられている所だった。
「それでは両者、準備は宜しいですか?」
「はい」
「いつでもいいよ」
ナスリーンの声にアルティナはスラリと鞘からソードを引き抜き、ディルはこれ見よがしに槌矛を一振りする。
「それでは……、始め!!」
そんな鋭い声でのナスリーンの宣言によって、戦いの火蓋は切って落とされた。
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