(7)陰で蠢く者達

(エルメリア様が王太子妃になってからは、公式の場で数回顔を合わせた程度だけど、段々表情が暗くなっているのが、確かに心配と言えば心配だったのよね。でも久しぶりにお会いしたら、随分明るい表情になっていて良かったわ)

 エルメリアの前を辞去して廊下を歩き出したアルティナは、ナスリーンと並んで歩きながら、密かに考えを巡らせた。そんな彼女の考えを読んだ様に、ナスリーンが話しかけてくる。


「少し前にお会いした時より、妃殿下の表情が随分柔らかくなっておられて、安心しました。これも全て、あなたのおかげですね」

 確かに上級女官の推薦をしたのは自分ではあったが、対外的にはアルティンの推薦だと思われている為、アルティナは訳が分からないといった反応をしてみせた。


「隊長? 私は近衛騎士団に入ってから、まだ大した事はしていないと思いますが?」

「あ……、え、ええ……、そうでしたね。ちょっと言い方を間違えました。気にしないで下さい」

「はぁ……」

 慌ててその場を取り繕おうとしている彼女を見て、アルティナは笑い出したいのを堪えた。


(上級女官を推薦したのは、アルティナではなくアルティンですから。気を付けて下さいね)

 そんな事を考えていると、通路に立ち止まって話をしていた二人に近付く足音が聞こえた。


「少し宜しいでしょうか? ナスリーン様、アルティナ様」

 咄嗟に身構えたアルティナだったが、小走りにやって来たグレイシアを見て、すぐに警戒心を解いた。しかし何故自分達を追って来たのか分からず、戸惑った声でナスリーンが尋ねる。


「グレイシア様? 何かご用でしょうか?」

「すみません、実は」

「二人とも、お静かに」

「え?」

「何か?」

 誰かの声が微かに聞こえてきた為、アルティナは二人に鋭く声をかけて注意を促した。すぐに異常を察して口を閉ざした二人に手振りで合図して、慎重に通路を進む。


「……ったく! 見せびらかしてるんじゃないわよ! たかが冴えない伯爵家の次男を捕まえた位で、いい気になって! そんな貧乏伯爵家なんてドレイン侯爵様がその気になったら、すぐに取り潰されるんですからね! 今に見てらっしゃい、すぐに吠え面かかせてやるわっ!」

 曲がり角に身を隠しながら、その向こうに広がっている庭園の片隅の様子を窺うと、深緑色のお仕着せを着た一人の侍女が、何かを踏みつけながら盛大に悪態を吐いていた。そして気が済んだらしい彼女が、自分達が潜んでいる方とは反対方向に歩き去ってから、アルティナ達は先程まで彼女が居た場所に歩み寄ってみる。


「今のは後宮勤務の侍女ですよね? ここで一体、何をしていたんでしょう?」

 アルティナが不思議そうに屈んで、ひしゃげた小さな紙袋を摘み上げると、何やら焼き菓子の欠片の様な物が零れ落ちた。それを確認したグレイシアが、苦笑気味に事情を説明する。


「ユーリアがこちらに上級女官として勤め始めてから、毎日の様にシャトナー伯爵家のクリフ様が取り次ぎ所に出向いて、彼女に差し入れをしております」

「まあ……、クリフ殿もマメですね。婚約者が心配なのでしょうか」

「結構大量なので、ユーリアが周りの侍女達にお裾分けしていまして。大半はありがたく受け取って、友好関係を築くのに一役買っているのですが、中にはあの様な……」

 そこでグレイシアが、先程の侍女が立ち去った方を眺めながら思わせぶりに口を閉ざした為、ナスリーンが後を引き取った。


「貴族に見初められた平民の女を妬む、下級貴族の方も存在するというわけですか。王太子殿下に見向きもされなかった上級貴族のご令嬢方が、エルメリア様を妬むのと同じ構図ですね。さぞかし話が合うでしょう」

「そういう心根に問題がある方を妃殿下の近くに配置したくはありませんし、先程は面白いお名前も聞けましたわ」

 そう言って小さく笑うグレイシアに、ナスリーンとアルティナは揃ってその意図を悟った。


「ユーリアへの反感が増大するのを抑える為には、差し入れを止めさせるのが一番の筈ですが、それを放置させているのは……」

「ある程度不穏分子をあぶり出した所で、一斉に配置転換を行うおつもりですか」

「はい。初日にクリフ殿から頂いた箱の中に『幸せ一杯の顔でお裾分けすれば、色々面白くなるから』と書いた紙が入っていたので、どういう意味かとユーリアを初めとして上級女官達で当初首を捻ったのですが、予想以上の効果でした」

 小さく笑いながらの説明に、ナスリーンが呆れ気味に感想を述べる。


「クリフ殿には直接お会いした事はありませんが、なかなか食えない方の様ですね」

「そのようです。こちらにとっては頼もしい限りですが。それで話が変わりますが、アルティナ様に個人的にお尋ねしたい事がありまして」

 ここで急に指名されたアルティナは、戸惑いながら応じた。


「何でしょうか?」

「あなたが、彼の新しい主ですか?」

 デニスについて問われたと正確に理解したものの、迂闊に事情を明かせない上、ナスリーンが居る場で言える事でも無いので、堂々としらを切る事にした。


「え? あの……、申し訳ありません。『彼』とは一体、誰の事でしょうか?」

 そう惚けると、元々明確な返答を期待していなかったらしいグレイシアは、大人しく引き下がった。


「お分かりにならないのなら、それで構いません。お引き留めした上に変な事を申し上げて、大変失礼致しました」

 そう謝罪して一礼して去ったグレイシアに不思議そうな顔になったものの、ナスリーンはすぐに気持ちを切り替えてアルティナを促した。


「それでは次に、セレーナ王女殿下へご挨拶に参りましょう」

「はい」

 そして先程までと同様に、周囲の構造や設備を注意深く観察しながら、アルティナはナスリーンと共に回廊を回り込んで主庭園へと向かって行った。



 所は変わって、同時刻の王太子執務室。

 軽くノックをしただけで、室内からの了承を待たずに王太子の執務室に足を踏み入れた人物を、王太子付きの秘書官は一瞬咎めようとした。しかし名乗りもせずに入室した彼の顔を一目見て、なんとか叱責の言葉を飲み込んだ。


「失礼します、兄上」

「今は執務中だが?」

 苦い顔をしている秘書官の手前、ジェラルドが笑いながら第二王子である弟に指摘すると、ランディスは神妙に一礼してから、書類の束を差し出した。


「これは失礼致しました、王太子殿下。再来月開催の、王家主催篤志芸術展の最終進行案です」

「分かった。目を通しておこう」

 王宮内では芸術や文化交流を担当する高官でもあり、普段内政とは意識して距離を置いているランディスが、そこで珍しく後宮についての話題を出してきた。


「ところで兄上、義姉上付きの上級女官を、首尾良く配置できたみたいですね」

 そこで兄弟揃って秘書官に軽く目を向けると、職務に忠実な彼は業務に関係の無い話が始まったと同時に空気を読み、即座に立ち上がって一礼して隣室に引き下がった。それを見送ってから、ジェラルドが笑顔で話を続ける。


「予想外に良い人材を確保できてな。セレーナも懐いて安堵している」

「それは良かったですね。ですが、さぞかし内務大臣が悔しがったでしょう。あれだけ露骨に、自分の推薦する者を押し込もうとしていましたから」

「全て申請書類が通って手続きが済んで、後は本人が後宮に入るだけになった段階で、奴が愛想笑いを浮かべながら推薦書類を持って来た時には、笑いを堪えるのが大変だったな」

「しっかり自分が承認済みの書類を見せられた時の、グラバーの間抜け面を、是非とも間近で見たかったです」

「ああ、あれはお前にも見せたかった。近年、稀に見る傑作だったぞ」

 そこで兄弟でひとしきり笑ってから、ランディスが明るい口調で話を続けた。


「上級女官交代後、義姉上の体調も宜しいみたいですし、近日中の公務復帰も問題無さそうですね。それに最近、東側の庭園の木に、ニールギアのつがいが巣を作ったと王宮内では評判です」

「そうらしいな」

「あの全身が金色と見紛う姿は、古くから吉兆の証と言われています。義姉上が懐妊中のこの時期に王宮に巣を作るとは誠に縁起が良く、健やかな御子がお生まれになるに違いないと、最近専らの噂で……、兄上?」

 そこでいきなり「ぶはっ!」と笑いを堪えるのを失敗した様な声を出したジェラルドが、そのままくつくつと笑いだしてしまった為、ランディスは本気で困惑した顔になった。すると何とか笑いを堪えながら、ジェラルドが詫びてくる。


「すまん。つい笑いが……」

「それは構いませんが、今の話にそんなに笑いを誘う所がありましたか?」

 不思議そうな顔になっている弟に向かって、ジェラルドは詳細について説明した。


「実は、そのニールギアの巣作りの件なんだが……、新しく入った上級女官が、後宮に送りつけられた虫や小動物を使って、毎日の様に周囲の鳥を呼び寄せて、餌付けをしていた結果なんだ」

「はぁ?」

「彼女曰わく、鳥の間でここが餌が豊富だと口コミが広がったらしく、巣を作る鳥が激増しているらしい。確かに王宮の庭園には、木々はそれなりに豊富だが害獣はいないし、確かに鳥には快適かもしれないな」

 漸く笑いの発作が治まったらしいジェラルドとは逆に、それを聞いたランディスの顔がピクリと引き攣る。


「そんな事に使われていると知ったら、それを送りつけた連中はどんな顔をしますかね? 確かに笑えます」

「そうだろう?」

「だからですかね。一時期落ち着いていたのに、最近また俺を唆そうとする馬鹿が出てきましたよ」

 ここで心底嫌そうに顔を歪めた弟を見て、ジェラルドは皮肉っぽく笑った。


「ほう? 今更だな」

「全くです。妃殿下を排除できない上、王太子も利用できないと判断して、短絡的に王太子をすげ替えようと考える馬鹿から見ると、俺はそんなに担ぎ易そうな、頭が軽い人間に見えるんですかね?」

 如何にも心外と言わんばかりにランディスが肩を竦めて見せた為、ジェラルドが獰猛な笑みを見せながら唆す。


「お前が王太子としての任をきちんと果たしてくれるなら、いつでも私を廃してくれて構わないが?」

「冗談でしょう。そんな面倒事は御免ですよ。私の世界は芸術の中にこそあるんですから。そんなギスギスした権謀術策のただ中なんて真っ平です」

「それは分かっているんだがな。物分かりの悪すぎる連中に対しては、当面愛想を振り撒いておいてくれ」

 そんな兄の指示を聞いたランディスは、心底うんざりした表情になった。


「確かにきっぱりはねつけたら、こっちも危なそうですが、連中は抱き合わせでろくでもない縁談を押し付けてくるんですよ……。容姿はいまいち、性格は極悪の、救いようの無い女ばかりで。せめて内面が美しければ何とかなるのに、俺の美意識が耐えられません」

 ランディスが切実に訴えてきた内容を聞いて、ジェラルドは素っ気なく断言する。


「性根の腐った連中が推薦する者に、内面の美しさを求めるのは酷と言うものだし、無理だろうな」

「兄上も大概酷いし、完全に他人事ですよね……」

 がっくりと肩を落とした弟を見て、少々申し訳なく思ったのか、ジェラルドは苦笑しながら彼を宥めた。


「同情はするが、そこはのらりくらりとかわすしかないな。頑張れ。勿論、お前に本気で惚れた相手ができたら応援するぞ?」

「ありがとうございます。それでは申請内容の確認を、宜しくお願いします」

「分かった」

 互いに微笑んで話を終わらせ、ジェラルドが執務室を出て行くのと入れ替わりに、秘書官が執務室に戻って来る。


「さて、これで連中は、次にどう出るか……」

 そして再開した執務の合間に、ジェラルドは机を軽く指で叩きながら、一人考えを巡らせた。



「全く! どういう事だ、グラバー! これまであれこれあの女付きの上級女官に嫌がらせをして辞めさせて、首尾良くこちらの息のかかった者を送り込むつもりが、その直前に何故あっさり他の者を承認した!?」

 ドレイン侯爵邸で開催された夜会の最中、一人二人と広間を抜けて集まって来た親ラグランジェ派の面々が揃うと同時に、パーデリ公爵が鋭く叱責した。それに対してグラバーが、真っ青になりながら弁明する。


「いや、私はそんな人事を認めた覚えは無くて!」

「何を世迷言を!! 現に内務大臣のお前が承認のサインをして、普通に人事が通っているだろうが! どう責任を取るつもりだ!」

「そうは言われても! あれは絶対、次席秘書官のシャトナーに嵌められたんだ! それに主席秘書官も確認のサインをしている! 私のせいじゃない!」

 そう喚きながら必死に弁解するグラバーを見て、その屋敷の当主であるドレイン侯爵バーンが、思い出した様に言い出した。


「そう言えばシャトナー次席秘書官の婚約者が、今回上級女官の一人として後宮入りしたと聞きましたが……」

 そう言って思わせぶりに周囲を見回すと、次々に出席者から声が上がる。


「確かその女は平民で、グリーバス公爵令嬢の輿入れに際して、シャトナー伯爵家に付き従った侍女だとか」

「それにご令嬢自身も、近衛騎士団の白騎士隊に入隊なさったと聞きましたが?」

「勿論彼女達は、我々の意のままに動いてくれるのでしょうな? なにしろグリーバス公爵に縁の者達ですし」

 周囲の者達がグラバーから自分に視線を移し、口々に胡乱な視線を向けてきた為、ローバンは苦々しい思いをしながら弁明を繰り出した。


「いや、それは……。確かにあやつらは我が家とは関係があるが、物事の道理を弁えないどうしようもない愚か者共で……」

「そうでしたな。何と言ってもグリーバス公爵は、先程話に出たシャトナー次席秘書官に、大層な持参金をむしり取られたと専らの評判ですし。そんな連中を思い通りに使える筈もありますまい」

 密かに主導権争いをしているパーデリ公爵に冷笑された上、周囲から失笑されて、ローバンは小さく歯軋りした。


(くそっ! アルティナ達の考え無しな行動のせいで、この私が軽んじられる事になるとは。この髪の事も併せて、覚えていろ! 今に必ず、吠え面をかかせてやるぞ!)

 先日の襲撃で剃り落とされた髪がまだ十分に生え揃っておらず、未だにウイッグを付けているローバンは、その恨みも併せて憤怒の形相で黙り込んだ。するとこれまで黙って議論の推移を見守っていた、ラグランジェ国大使ジャスパー伯ゼストが、さり気なく問いかける。


「それで、当面の方策は、如何なさるおつもりですか? 上級女官への嫌がらせのあれこれは、続行されているようですが、新しく入った者達が嫌がったり辞めたがっていると言う話が、全く聞こえてこないのですが」

「…………」

 これまでの裏工作が無効化しつつあるのを理解し、しかし次に打つ手など咄嗟に思いつかなかった面々は、互いの顔を見合わせて黙り込んだ。しかしここでパーデリ公爵ザルスが、自信ありげに言い出す。


「それについては、私に考えがある」

「どのようなお考えが?」

「上級女官の他にも、妃殿下の近くに侍る人間は居ると言う事だ。まあ、万事私に一任してくれ」

 横柄に言い放ったザルスに、気を悪くした素振りを見せずゼストが頷き、他の参加者にも確認を入れる。


「それではパーデリ公爵のお手並みを、拝見させて頂きましょうか。皆さんもそれで宜しいですかな?」

「そうですな」

「公爵にお任せしましょう」

 そんな風に話は纏まり、男達は多少の不安と多分な楽観的観測を抱えながら、広間へと戻って行った。

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