(6)王太子妃との再会

 白騎士隊に入隊して数日後、アルティナは王太子妃エルメリアの警護に当たる前の顔合わせとして、ナスリーンに連れられて後宮でも奥まったエリアに足を踏み入れた。

 これまでにも王太子妃には、アルティンとして何度も顔を合わせた事はあるものの、それは全て公の場であり、アルティナは非礼にならない程度に興味深く後宮内の観察をしながら足を進める。


「妃殿下がお待ちです。こちらへどうぞ」

「ありがとうございます。失礼します」

 エルメリアの私室に到達すると、ドアを開けて応対してくれたのは上級女官の制服を身にまとったグレイシアであり、室内には神妙に壁際に控えている二人の侍女の他は、その部屋の主であるエルメリアだけであった。それを確認したアルティナは、この間注意して敢えて連絡を取っていなかった、二人の事を思った。


(この場で控えている上級女官はグレイシア様だけか。ユーリアとマリエル様は、ここの環境に慣れたかしら? でも妃殿下にご挨拶に来たのに、個人的な話を持ち出せないしね)

 心配しながらも目の前の人物に意識を集中していると、横でナスリーンが紹介を始める。


「エルメリア様。こちらが新たに白騎士隊に入隊しました、アルティナ・シャトナーです。王妃陛下に引き続き、王太子妃殿下にご挨拶に参りました」

 そしてナスリーンに目線で促されてから、アルティナは礼儀正しく騎士としての礼を執った。


「初めてお目にかかります、王太子妃殿下。アルティナ・シャトナーと申します」

「ようこそ、これからお世話になる事も多いと思います。宜しくお願いします」

 以前と変わらず、穏やかな笑みを浮かべているエルメリアを見て、アルティナは安堵すると同時に納得した。


(なるほど、アルティンが死んだ直後位に懐妊が判明したって事だから、まだそれほどお腹が目立つわけでは無いわね。だけどこういう時期だからこそ、変な人間を近付けさせたくないって言う王太子殿下の気持ちは良く分かるわ)

 しみじみとそんな事を考えていると、彼女が口調を改めて声をかけてくる。


「ジェラルドから聞きましたが、アルティナは最近お亡くなりになったアルティン・グリーバス殿とは双子の妹君とか。兄上はお気の毒でした。心からお悔やみ申し上げます」

「ご丁寧にありがとうございます。亡き兄も妃殿下のお心に留めて頂いて、感謝している事でしょう」

(妃殿下のこの表情、本当に悲しんでくれているわよね。と言う事は、流石に王太子殿下は妃殿下にも、アルティナの中にアルティンの魂が共存云々の話はしていないみたいだわ)

 沈鬱な表情と口調で弔辞を述べた彼女に対して、アルティナが少々申し訳なく思っていると、ここで気を取り直した様にエルメリアが話題を変えてきた。


「ところで、最近私付きの上級女官に就任したユーリアは、元はあなたの専属侍女で、マリエルはあなたの義妹に当たると聞いていますが」

「はい。二人が何か粗相でも致しましたか?」

「いいえ。二人とも、良くやってくれています」

「そうですか。それを伺って安堵致しました」

 思わず心配して尋ねたアルティナだったが、エルメリアの話を聞いてほっとした。しかし次の話で首を捻る。


「今は二人とも庭園にセレーナを同伴して、鳥に餌をあげている所なの。もう習慣になりつつあるわね」

「餌ですか?」

「ええ。私の所に送りつけられた虫や小動物の類を使って、鳥の餌付けをしているそうよ」

「……何をやってるの」

 あまりと言えばあまりの事態に、アルティナは思わず片手で額を押さえて呻いた。それをエルメリアが苦笑しながら宥める。


「怒らないで頂戴、アルティナ。セレーナは色々な鳥を間近で見られて、とても喜んでいるの」

「そうですか……」

「食事の席で顔を合わせた時も、にこにこしながら『フワーッて、ビューンって、バサバサバサッって、すごかったの!』と報告して、ジェラルドが『それは私も是非見たかったな』と苦笑していた位ですから」

「それを笑って許して頂ける、王太子殿下の懐の広さに、心から感謝致します」

 アルティナが本心からそう述べて頭を下げると、エルメリアが感心した様に続けた。


「それからユーリアの餌付けの様子を見ながら、マリエルが『姫様は食物連鎖のトップに立つお方です。鳥の武器は翼と嘴と爪ですが、姫様が獲物を屈服させる為には、お勉強して知識を身に付けなければ駄目ですよ』と教え込んだらしく、『おかあさま、セレーナはむしではなく、とりになります! おべんきょうして、ぶきをみにつけます!』という、やる気に満ちた発言をしていました」

「虫じゃなくて鳥になるって……。そもそも食物連鎖って何?」

「確かに社交界が食うか食われるかの世界である事は、間違いありませんね」

「……隊長」

 笑いを堪える口調でコメントしてきたナスリーンに、アルティナが恨みがましい目を向ける。そんなやり取りが面白かったのか、控えているグレイシアが口元を手で覆って肩を震わせる中、エルメリアが笑顔で話を続けた。


「これまであの子は『おべんきょうなんていや!』と駄々を捏ねてばかりいたのに、教師に『いっぱいおしえてください!』と迫ったそうで、教師の方が感激のあまり泣いていました」

 そこまで聞いたアルティナは、溜め息を吐いて深々と頭を下げた。


「マリエルは少々真っ正直な気質なもので、これからも微妙に外す発言や行動があるかもしれませんが、何卒ご容赦下さい」

「アルティナ、頭を上げて下さい。私は気分を害してはいませんよ? 寧ろ、反省致しました」

「反省、ですか?」

「ええ。あんな風に活き活きとした笑顔で話すあの子を見たのは、久しぶりでしたから。可哀想にまだ四歳なのに、無意識に周囲の目を気にして、気を遣わせてしまっていたのだろうと思うと……」

「妃殿下。それは」

 少々慌てて宥めようとしたナスリーンだったが、エルメリアはそれを手振りで制止した。


「ナスリーン様、庇って頂けるのは嬉しいのですが、それは突き詰めれば、全て私の覇気の無さが原因ですから。それに近くに侍る女官が頻繁に代わる有り様では、子供だって落ち着かずに周囲の様子を窺う様になります」

「エルメリア様……」

「実は私、以前、アルティン殿に叱られた事があるのです」

「え?」

「どういう事ですか?」

 それを聞いたナスリーンは勿論、そんな覚えは無かったアルティナが不思議そうな顔で問い返す中、エルメリアが思い出話を始めた。


「あれは……、色々揉めた末に、私がジェラルドの婚約者として正式にお披露目された直後の事だから、六年程前の事になるかしら? 王宮で開催された夜会に参加していた時に、アルティン殿と二曲踊った事があるの」

「まあ、そんな事があったのですか。確かアルティン殿は夜会の類に出席しても、積極的に踊ったりはしていなかった様に思いますが」

(思い出した! あれの事だわ……)

 未婚でもれっきとした侯爵令嬢であるナスリーンは、かつての同輩の行動パターンを思い出して、不思議そうな顔つきになったが、そこで漸くエルメリアが何の事を言っているのか思い出したアルティナは、無言で冷や汗を流した。


「その時、周囲から厳しい視線を向けられて、すっかり壁の花になっていた私をダンスに誘って下さったのですが、どうしてだかアルティン殿は面白く無さそうな顔で無言のまま一曲終わらせて。凄く気まずい思いを致しました」

「益々、彼らしくありませんね。幾ら気に入らない相手でも、笑って受け流して心にも無いお愛想の一つや二つ位、平気で口にできるタイプだったと思うのですが」

(その節は、大変申し訳ありませんでした。だけど隊長、私の人物評価ってどうだったんでしょうか?)

 微妙にいたたまれない気分になりながらも、アルティナは黙って聞き役に徹した。


「それで一曲踊って開放して貰えるのかと思ったら、続けて踊る事になって。二曲目を踊り始めた直後に、面白く無さそうに言われたんです。『あなたは何か勘違いをしているのではありませんか?』と。口調は穏やかな物でしたが、とても眼光鋭く言われてしまったもので、私、思わず足を止めてしまうところでした」

「それはまた……、随分失礼と言いますか、何と言いますか……」

「あの、兄は一体、どういった意図でその様な事を口にしたのでしょうか?」

 微妙な視線をチラリと投げかけてきたナスリーンに、(言いたい事は分かりますから)とアルティナは内心で謝りながら、不思議そうな表情を顔に張り付けた。それにエルメリアが苦笑しながら答える。


「アルティン殿は『王太子殿下と結婚して幸せになりたいなどと本気で妄想しているなら、今のうちに婚約を辞退しなさい。王太子殿下は第一に王家と国家の行く末を、考えなければいけない方だ。あなたを幸せにする為に、関わっている暇など無い。だから王太子妃には自力で幸せになれる上、王太子殿下を幸せにできる方が相応しい。周囲に認めて貰えなくて、自分は不幸で悲しいなどと辛気臭い顔をしている女性など、王太子殿下には害になっても益にはなりえない』と、はっきりと申されまして」

「ええ……、まあ、確かにアルティン殿は、初対面の人間にも遠慮なく物申す事がございましたが……」

「あのっ! その節は、兄が大変失礼な事を申しました!」

 ナスリーンに軽く睨まれて、アルティンは自分の中に居る事になっているアルティンに対して非難の視線を向けたのだと分かってはいたものの、勢い良く頭を下げた。それを見てエルメリアが笑う。


「まあ。妹のアルティナに文句を言う為に、この話を持ち出したのではないのよ? あれで私、目が覚めたの」

「エルメリア様?」

 怪訝な顔になったナスリーンに向かって、彼女は穏やかな笑みを見せながら話を続けた。


「確かに、私は考えが甘い小娘だったわ。殿下と幸せになりたい、いいえ、殿下に幸せにして欲しいと心の底で思っていた事を見透かされた気がして、愕然としました。そして改めて、よくよく考えてみたのです。どうして殿下は私より家柄も容姿も良い他の数多の令嬢では無く、この私を選んで下さったのかを。それは私の見識によって、殿下を支える事を期待して選んで下さったのでは無いかと」

 何やら、急にエルメリアが思いつめた口調で言い出した為、ナスリーンが控えめに口を挟んだ。


「あの……、差し出がましい事を申し上げてしまいますが、殿下は個人的に妃殿下に好意を持たれたから、求婚なさった筈ですが……」

「それは勿論、分かっております。殿下は全く好意を持てない女性に求婚する様な、自虐的とか嗜虐的な方で無い事は、私が一番良く存じ上げておりますわ」

「……そうですか」

 アルティナは(その人物批評ってどうなのかしら)と頭を抱えたくなったが、そんな内心には構わずにエルメリアが話を続けた。


「ですからそれ以降、私は外野が何を言ってこようが、殿下に政務が忙しい時期に放っておかれようが、常に笑顔でいる事を心がける様にしました。私が殿下を幸せにしてみせると、それを至上の目標として。ですから私、アルティン殿には感謝しております。直にお礼も言いたかったのですが、なかなか個人的に顔を合わせる事も無いうちに、急逝されるなんて」

「そういう事がおありでしたか……。ですが妃殿下、その感謝のお心は、ちゃんとアルティン殿に伝わっていると思いますから。彼は何事も、無言のままに察する人物でしたし」

「そうだとしたら、嬉しいです」

 少し湿っぽくなりかけたエルメリアの口調を、ナスリーンがやんわりと宥める。そのやり取りを聞きながら、アルティナは過去の所業を完全に思い出して、冷や汗を流した。


(はい、ばっちり聞かせて頂きました。そしてそこまで深く考えていなくて、単に皇太子殿下の婚約者がしけた面してないで堂々としていろと、文句を言っただけだったんです。すみません)

 そんな彼女に視線を合わせて、エルメリアが決意溢れる表情で言い出した。


「ですがここ暫くは、些事に惑わされたり気弱になったりして、ジェラルドやセレーナにまで余計な心労をかけてしまいました。それであなたが新たに白騎士隊に入隊する事を聞いた時、最近の私のありさまを不甲斐ないと思われた亡きアルティン殿が、自らの代わりにあなたを差し向けけたのではないかと思ったのです。単なる偶然かもしれませんが、私は王太子妃としての務めを最期まで果たす事を、アルティン殿の代わりにあなたに誓います」

 そう静かに宣言したエルメリアを見て、アルティナは何度か目を瞬かせてから、穏やかに尋ね返した。


「それでは失礼を承知でお尋ねしますが、妃殿下は今後、これまで以上にお心を強く持って、日々を過ごして頂けるのでしょうか?」

「はい。そのつもりです」

「それを聞いて安堵致しました。私は暫くは王宮にお仕えするつもりですが、ユーリアやマリエルも多少の事で動じる人間ではありません。何事でも遠慮なくお申し付け下さい」

「ありがとう、アルティナ。頼りにしています」

 真摯に申し出たアルティナに、エルメリアが陰りの無い笑顔で頷いて初対面の挨拶は無事終了し、アルティナ達はエルメリアの私室から退出した。

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