(15)裏設定と女性遍歴

 その後、短時間で身支度を整えたアルティナとユーリアが応接室に出向くと、シャトナー家の面々と、屋敷内に住み込みの使用人達が集まってきていた。伯爵夫妻が三人掛けのソファーに並んで腰を下ろし、その向かい側のソファーにはケインとクリフの他、十代後半に見える女性が座る。それらのソファーとは直角に位置する場所に椅子が二つ並べられており、ガウスに促されたアルティナ達はおとなしくそちらに腰を下ろした。そして使用人達が何事かと壁際に佇んで様子を見守る中、ケインがアルティナに声をかけた。


「アルティン。俺の両親とクリフは知っているか?」

 それに頷いた彼女が、初対面の人物について尋ねる。

「ああ。アルティナが顔を合わせたからな。ところでそちらの可憐なレディは、もしかしてお前の妹君か?」

「下の妹のマリエルだ。俺とクリフの間に、嫁いだ上の妹のサーラがいる。今後機会があったら、引き合わせよう」

「そうか。……マリエル嬢。今回はお休みのところお騒がせして、誠に申し訳ありません」

 微笑んでから殊勝に頭を下げたアルティナを見て、兄嫁になる女性が屋敷に来ているとだけ聞いていたマリエルは、困惑した表情で彼女と長兄の顔を交互に見やった。


「え、ええと……。あの、お気遣いなく。ベッドに入ったばかりでしたので。その……、ケイン兄様?」

「ケイン? お前、これはどういう事だ?」

「意味が分からないのだけど……」

「兄さん? それにアルティナ殿の、その口調は……」 

 マリエル同様、全く訳が分からないシャトナー家の者達が口々にケインに説明を求めたが、彼はそれに答えようともせずにアルティナを詰問し始めた。


「さあ、アルティン。説明して貰おうか。どうしてアルティナ殿とお前が入れ替わっているんだ? それにいつの間に彼女から両親やクリフの事を聞いて、どうやって入れ替わった? そんな暇はさほどなかった筈だ。そもそも、お前が死んだ話は嘘なのか? そうなると随分大掛かりな陰謀の臭いがするんだが」

 矢継ぎ早に質問を繰り出した兄に、クリフが呆れ気味に口を挟む。


「兄さん、いきなり騒ぎを引き起こした挙句に、何を意味不明な事を言い出すんだ。アルティナ殿はアルティナ殿でしょう? 何を錯乱しているやら。それに帰宅した時は素面かと思っていたのに、相当酔っているのか?」

「いや、クリフ殿。ケインは錯乱しても泥酔してもいない」

「え?」

 そこで唐突に割り込んだ声にクリフが思わず声のした方に顔を向けると、室内中の人間の視線を一身に受けながら、アルティナが堂々と言い切った。


「単刀直入に説明しよう。この身体は確かに双子の妹のアルティナの物だが、今現在妹の意識は眠っていて、私、アルティン・グリーバスの意識が表に出ている。その為、今はこの体を私の思い通りに動かせるし、会話もできると言うわけだ」

「…………」

 真顔で告げられたその内容を聞いた面々は、揃ってきょとんとした顔つきになり、室内に微妙な沈黙が漂う。しかしそれはすぐに、悲鳴じみた泣き声によって破られた。


「だっ、だからあれほど、大人しくしていてくださいと、私が何度も申し上げましたのに! これでもう、アルティナ様の人生は終わりです! なんて幸薄い、お気の毒なアルティナ様!」

 そう叫ぶなり椅子に座ったまま両手で顔を覆い、「うわあぁぁぁ!」と盛大に泣き叫んだユーリアを見て、シャトナー家の面々は我に返った。


「侍女殿、取り敢えず落ち着いて貰えるか?」

「そうですね。それでは話ができませんから」

「も、申し訳……、ありませんっ……」

 当主夫妻に困惑気味に促されたユーリアは、声を詰まらせながらもどうにか泣き止んで涙を拭いた。そして気を取り直したように見せかけながら、ユーリアはアルティナと打ち合わせていた内容を徐に語り出す。


「ケイン様が誤解されないように申し上げますと、アルティン様がお亡くなりになったのは事実です。私を含め、何人もの使用人が領地の館で看取って、埋葬いたしましたから」

 それを聞いたケインはちらりとアルティナの顔を見てから、ユーリアに確認を入れた。


「それではアルティンの死亡情報は、公爵家が公にした通りなのだな」

「はい。そして葬儀を済ませた翌日、私はアルティン様の死亡直後に倒れられたアルティナ様を看病していました。ですが夜半に急に目を覚まされたと思ったら、『苦労かけるな、ユーリア。アルティナの事を宜しく頼む』と、依然と変わらない口調のまま仰って。暗闇の中のことでしたし、驚きで心臓が止まるかと思いました」

 そこで恨みがましい視線を向けた彼女に、アルティナがわざとらしく笑いかける。


「誓って、驚かせるつもりはなかったんだがな」

「誰だって驚きますよ! だって普通人が死んだら、その魂はもれなく天上の神の国に逝くんですよ? 国教のグラード教では、地上に留まる魂は悪霊になって、取り憑いた人を狂わせて残虐行為に走らせたり、疫病を流行らせたりすると言われているのに!」

「そうは言っても、どうしてもアルティナの事が心配で……。うっかり天上に逝きそびれたんだ。逝き方も分からないし、当分アルティナの中に居るしかあるまい?」

 真顔でそんな事を口にしたアルティナに、ユーリアは怒りの形相になった。


「何が『うっかり』ですか、何が!? アルティナ様の身体にアルティン様の魂が宿っているなんて事が公に知られたら、忽ちアルティナ様は教会に捕縛されて、良くて生涯幽閉。下手すると宗教裁判にかけられて、死罪になってしまうんですよ!?」

「だが、アルティナの嫁ぎ先がとんでもない守銭奴一家な上に、結婚相手がケインだというのが、どうしても我慢できなかったんだ!」

 ユーリアに負けず劣らずの勢いで怒鳴り返しながら、ケインにビシッと指を向けながら主張したアルティナを見て、ここでクリフが口を挟んた。


「あの……、アルティン殿は、私のグリーバス公爵邸での振る舞いをご存知なのですか?」

 その問いに、アルティナは真面目くさって答えた。

「ああ。日中はアルティナの意識はしっかりしているが、私は妹の意識を通して彼女が見聞きしたもの、感じたものを認識しているからな。なかなかの守銭奴ぶりだった。いっそ感心したぞ」

「それならば、この場で謝罪と弁解をさせてください。本来なら明日、アルティナ殿には説明するつもりだったのですが」

「謝罪と弁解とは?」

 一瞬ユーリアと顔を見合わせたアルティナに向かって、クリフは真顔で裏事情を打ち明けた。


「我が家は持参金欲しさに、アルティナ殿に結婚を申し込んだわけではないのです」

「どういう事でしょう?」

「実はデニス殿から、『悪い噂の多いアルティナ嬢を、わざわざ進んで妻に迎えようとしたらグリーバス公爵家に足元を見られて、それ以後、無理難題を言われたり無茶な要求をされる可能性があるから、後腐れなく繋がりを断つ為に、十分な持参金を貰えるなら引き取ってやっても良い、的な姿勢で交渉するべきだ』と言う助言を受けました」

「デニスが!?」

「兄さんがそんな事を? 全く聞いていませんが?」

 驚愕の声を上げた二人に、クリフがしみじみとした口調で話を続ける。


「私達には『アルティナ様は生粋のお嬢様で腹芸なんかできませんから、予めそういう話をしていると公爵家側にこちらの思惑が漏れるかもしれません。くれぐれも本人には内密に』と言っていましたが。やはりデニス殿は念には念を入れて、アルティナ殿に加えて妹さんにも全く知らせていなかったんですね」

 そう言って納得したように頷いているクリフを見ながら、女二人は内心でデニスを罵倒しつつ、盛大に顔を引き攣らせた。

(デニスの奴……。絶対、面白がっていただけよね?)

(兄さん……。今度顔を合わせた時、徹底的に殴る。そんな大事なことを予めちゃんと知らせなさいよ!?)

 そんな二人の微妙な表情を見ながら、クリフは真摯に申し出た。


「そういうわけで、実際は兄がアルティナ殿に一目惚れした故の、かなり必死な謀略の結果なのです。アルティン殿には、ご容赦いただけると嬉しいのですが。勿論、今日受け取った持参金は、そっくりそのままアルティナ殿にお渡しします。如何様にでもお使いください。我が家は貴族としてはそれほど規模は大きくありませんが、アルティナ殿一人お迎えした途端、家が傾くような弱小貴族でもありませんので」

 苦笑しながらクリフが告げた内容に、シャトナー家の面々が揃って人の良さげな笑顔で頷く。その申し出にアルティナは素直に感謝したものの、ここですんなりと納得してしまっては自分の結婚がなし崩しに決まってしまうため、必死に言い繕った。


「ご厚情ありがとうございます。シャトナー家に対する誤解を訂正する事ができて、私も嬉しいです」

「それなら」

「しかし! やはり私は、ケインをアルティナの夫として認められません!」

 シャトナー家の面々に語気強く言い切ったアルティナに、ケインが血相を変えて詰め寄ろうとした。


「おい、アルティン! どうしてだ!?」

「どうしてだと? ふざけるな! 貴様の女遍歴は、度重なる酒の席で散々聞かされているんだ。今更、身に覚えがないとは言わせんぞ!」

「それは!」

 鋭い追及の言葉にたちまちケインは顔色を変え、他の者は何事かと首を傾げたが、ここでアルティナは容赦なく爆弾発言を投下した。


「百歩譲って、娼館に出入りするのは認めてやるがな。それに手当たり次第って事じゃなくて、ちゃんと店毎に馴染みを作っているし。ブレダ館ではキャシー、リカルド館ではミュリ、レンダース館ではアイラだったよな? 私の記憶が間違っているか?」

「いや、間違ってはいないが……」

「まあ、男同士の付き合いって物はあるしな。私はそういうのは、一切遠慮していたが」

「……嫌味だ」

 家族の、特に妹から軽蔑の視線が突き刺さっているのを自覚したケインは、項垂れて呟いた。しかしアルティナは落ち着き払って話を続ける。


「だがな。リュード子爵夫人リリアナ様や、アスター男爵夫人ソレイユ様や、カルテアド伯爵夫人ジェナリーデ様の場合はどうなんだ?」

「え?」

「どういう事?」

「兄さん!?」

 彼女の台詞を聞いて家族が動揺したのを見て、ケインは慌てて弁解した。


「ちょっと待て、アルティン! リリアナとソレイユは未亡人だし、ジェナリーデの場合は夫君の伯爵とは、もう二年以上前から別居状態で!」

 しかし勢いよく拳でテーブルを叩きながら、アルティナが怒声を放つ。


「言い訳になるか!! これで未婚の社交界デビュー前の女性にも手を出していたら、話を聞いた段階で再起不能になるまで殴り倒している所だぞ!? 寛大な私に感謝しろ!」

「本当に、勘弁してくれ……」

 家族の前でこれまでの女性関係を暴露され、文字通りケインが頭を抱える中、アルティナは何とか怒りを抑え込みながら傍目には冷静に話を続けた。


「そういうわけで、シャトナー家の皆様には申し訳ありませんが、アルティナをケインと結婚させる気にはなれません。結婚させる位なら、一生教会の奥で幽閉される方が心穏やかに過ごせると思います。現に私のような存在もアルティナに付いておりますので、これ以上こちらに関わっているとシャトナー伯爵家の名前に傷が付きます。婚姻申請書を教会に提出する前に、アルティナを教会に送り出してください。できればその際、持参金の一部を寄付として教会に渡していただければ今後の待遇に配慮して貰えるかと思いますので、よろしくお願いします」

「冗談じゃないぞ!! 誰がアルティナ殿を、教会になんか渡すか!!」

「五月蠅い、お前は黙ってろ!」

 そこで再び怒鳴りあいに突入しかけたところで、先程紹介された後は一言も口をきかずにただひたすら唖然としてアルティナの説明に耳を傾けていたマリエルが、控えめに会話に割り込んできた。 

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