(13)シャトナー伯爵邸での一幕

 早速アルティナに裏事情を説明しようと思ったクリフだったが、ここでアルデスが彼女に確認を入れた。

「アルティナ殿。そちらの侍女殿も、これから我が家で生活する事になるのですね?」

 その問いに、この間背後の壁際でおとなしく控えていたユーリアを振り返ってから、アルティナが小さく頷く。


「はい。こちらは私の専属侍女をしております、ユーリアです。『公爵令嬢の輿入れなら、実家から侍女の五人や十人を付けるのが普通だが、お前には一人で十分だろう』と言われまして……」

「元々アルティナ様の身の回りのことは私一人でこなしておりましたので、こちらでこのままアルティナ様付きとして働かせていただけるのなら、他の方のお邪魔は致しません。宜しくお願いします」

「勿論、アルティナ殿のお世話はあなたにお願いしよう。詳しい勤務条件は、明日以降に侍女頭に説明させる」

「宜しくお願い致します」

 鷹揚にアルデスが頷き、ユーリアが深々と頭を下げる。そのやり取りが一段落してクリフが再度声をかけようとした時、母親が困惑顔で応接室にやって来た。


「あなた、クリフ。公爵家の執事が馬車に乗らずにお帰りになりましたが、一体どういう事ですか?」

 そう問われて、クリフは真顔で説明した。

「それが……、持参金が一万リラン不足していまして。代わりに馬と馬車を、こちらに渡してくださる事になったのです」

「馬と馬車をですって?」

「ああ。早速、グリーバス公爵家の家紋を外さなくてはな。我が家に馬車はあるし、中古で売ればそれなりの金額になるだろう」

「売却されるのですか?」

 話に付いていけずに目を丸くしたフェレミアに、アルデスは真面目な顔のまま告げた。ここで詳細を説明しておきたいのは山々だったが、当事者かつ被害者でもある女性達を早く休ませるべきだろうと判断したクリフは、母に頼んでおいた事の首尾を尋ねる。


「ところで母上。ご婦人方の部屋の支度は整いましたか?」

 そう問われたフェレミアは、気を取り直して報告した。

「ええ。それを知らせに参りましたの。アルティナ様、侍女の方も、夜も更けて参りましたし、詳しい話は明朝改めてすることにして今日の所はもうお休みください。アルティナ様には客間を整えました。侍女の方もあまり離れない方が良いと思いましたから、客間にほど近い部屋を準備してあります」

 その申し出にアルティナ達は顔を見合わせ、控えめに固辞してくる。


「いえ、ですが、奥様……。急に押し掛けた上に、そんな厚かましい事は……」

「アルティナ様はともかく、私如きが客間の近くで休ませていただくなど。私は使用人用の棟の片隅でも使わせていただければ」

「気になさらないで。正直に言うと、使用人棟の空き部屋は物置代わりにして、備品が山積みになっているらしいの。今からそこを片付けるより客間とその近くの部屋を整えた方がはるかに楽だし、使用人の手を煩わさないものだから」

 女主人に微笑みながらそう言われてしまっては、アルティナ達はそれ以上異議を唱えることはできなかった。


「ありがとうございます」

「奥様のご厚情に甘えさせていただきます」

「さあ、それでは参りましょうか」

 そしてフェレミアに促された二人は、アルデスとクリフに深々と一礼してから、彼女の後に付いて移動を開始した。そして女性陣が居なくなってから、アルデスが息子に軽く疑いの目を向ける。


「しかしクリフ。お前、もしかしたら……」

 その視線を受けたクリフが、苦笑いしながらどうやってかシャツの袖口の奥から掌の方に滑らせて、一枚の一万リラン金貨を取り出してみせた。

「これですか?」

 その悪びれない笑顔に、アルデスは思わず嘆息する。

「お前という奴は……」

「シャトナー家の面汚しですか?」

 しかし次の瞬間アルデスは破顔一笑し、息子の背中を叩きながら褒めた。


「いや、良くやった! あれだけがめつく金目の物を要求したのなら、金輪際我が家と係わり合いになりたいなどとは、先方は思わないだろうしな」

「今回は酷い役回りをする事になりましたが、なかなか面白かったですね」

「おいおい。本当に守銭奴になるなよ?」

 そこで親子は盛大に笑い出したが、すぐにクリフがしなければならない事に気が付いた。


「ところで父上。この金貨を早速金庫にしまいませんか?」

「そうだな。滅多にお目にかかれない大金だ」

 そしてクリフが金貨を元通り箱に入れ、それを抱えて二人で書斎に移動してから、設置してある金庫にしまい込んだ。そのタイミングで、ドアを開けてフェレミアが姿を現す。


「あなた、クリフ。こちらにいらしたのね。探しましたわ」

「ああ、フェレミア。どうだった? アルティナ殿の様子は」

「無事客間で休んでいただきました」

「そうか。ご苦労だったな」

 アルデスが妻に労りの声をかけるとフェレミアは素直に頷いたものの、すぐに憤慨気味に話し出した。


「皆に色々な指示を出す傍ら、お二人から簡単にお話を伺ったのですけど、本当に夕食後にいきなり、こちらへ出向くように話があったみたいです」

「やはりそうか」

「持参された荷物の内容も、必要最低限の衣類のみでした。全く嘆かわしこと。一体公爵夫妻は、何を考えておられるのかしら?」

「母上、取り敢えず落ち着いください」

 尚も言い募ろうとするフェレミアを、クリフは穏やかな口調で宥め、次いで懇願した。


「詳しい話は明朝、アルティナ殿が色々落ち着いてから、じっくりとしてください。私は明日も仕事で王宮に出向きますので、これまでのグリーバス公爵邸や先程の私の守銭奴ぶりを、母上の方からちゃんと演技だと説明して貰わないと困りますから」

 結構切実な息子の訴えを聞いたアルデスが、ここで茶化すように口を挟んでくる。


「いや、あれは演技ではなく、実はお前の本性ではないのか? とっさにあんな事ができるとはな」

「父上……。あれはちょっとした出来心です」

 そんな夫と息子のやり取りを聞いたフェレミアが、不思議そうに会話に加わってくる。


「まあ、クリフが何かしたの? 私にも教えてくださる?」

「ああ、良いとも。実は先程、公爵家の執事殿に対応していた時……」

 そこで息子がしでかした暴挙を聞いたフェレミアは驚愕の顔付きになったが、すぐにおかしくてたまらないと言った風情で笑い出し、釣られてアルデスとクリフも再度笑ってしまった。

 それからアルデスとフェレミアは自分達の寝室に向かい、クリフは書斎に残って領地経営に関する報告書などに目を通していたが、そこにガウスが顔を出して報告してきた。


「クリフ様。ケイン様がお戻りになりました」

「ご苦労。そろそろ休んで構わないよ。私も休むから」

「それでは失礼致します」

 ちょうキリが良かった事もあり、クリフが書類を纏めていると、書斎にケインが慌ただしく駆け込んで来た。


「クリフ、悪い! 遅くなった!」

 うっすらと額に汗を滲ませながら叫んだ兄に、クリフは苦笑しながら尋ねる。

「兄さん、会議と夜勤は大丈夫だったのか? 正直、知らせても帰って来れないかと思っていたんだが」

「会議は夕方から始めた物が長引いていただけだし、夜勤は他の隊の人間に連絡を付けて、代わって貰った。それより彼女は?」

 その問いに、クリフは小さく溜め息を吐いてから正直に答える。


「取り敢えず公爵家から付いて来た侍女共々、客間で休んで貰ったよ」

「そうか。それなら良かった」

「あまり良くはないが」

「どういう意味だ?」

「話を聞く限り、本当に金策が付き次第、公爵家から叩き出されたという感じだ。それにも少々腹が立ったからとことん守銭奴っぽく、余計にせしめてしまったよ」

「何の事だ?」

 怪訝な顔になった兄に向かって、クリフは自分のした事を正直に打ち明けた。それを聞いたケインは、頭痛を堪えるような表情になる。


「お前……、それは明らかに詐欺だろう」

「断罪するかい?」

「俺は何も聞いていない」

 真顔で堂々と揉み消し宣言をしたケインを見て、クリフは思わず小さく噴き出した。それを見たケインも小さく笑ってから、徐に踵を返す。


「それじゃあちょっと、彼女の様子を見てくるから」

「え? 様子を見てくるって……。もうアルティナ殿は、お休みになっている筈だが?」

 瞬時に笑いを消して怪訝な顔になった弟に、ケインは冷静に思うところを述べた。

「急に環境が変わって、彼女が心細い思いをしているかもしれないから、もし起きているなら少し話をしてくる。もう眠っているなら、寝顔だけ見てくるさ」

 それを聞いたクリフは、微笑みながら了承した。


「本当なら、女性の寝室に許可無く立ち入る行為は紳士的とは言えないと、兄さんを窘めるべきなんだろうけど、待ち焦がれた花嫁だしね。一応、信頼しているよ。それから母さんが言っていたが、彼女が休んでいる客間は南向きの角部屋の方だから。手前の部屋では侍女が休んでいるから、間違えないように」

「分かった」

 壁に設置してある棚の引き出しの一つを開け、そこに保管してある各部屋のマスターキーから、クリフが告げた部屋に該当する物をより分けたケインは、真顔になって振り返った。


「今回はお前に随分世話になった。今度改めて礼をする」

「気にしなくて良いよ。お休み」

「ああ」

 そこで鷹揚に笑って頷いたクリフと別れ、ケインは客間へと足を進めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る